第10話



 『鬼灯ほおずき』に世話になる間、僕が使うのを許されたのは以前、一度だけ使わせて貰ったことのある客用の寝室だった。


 部屋はその時と何も変わらず白い壁に囲まれ、家具と云えばシンプルなチェストが一つとライティングビューロー、色味も何もない部屋はカーテンすらもない。

 僕はライティングビューローの蓋を開け、階下したの板の間から持って来た一人掛けの椅子に座り千加良ちからに借りたノートパソコンを置くと、いつもの事ながら遅々として進まない画面を前に頬杖を突いていた。

 窓際にあるオイルヒーターが、その微かな特徴のある匂いと共に静かに部屋をゆっくりと暖めている。

 僕の背の後ろでは千加良ちからがベッドを占領し、寝転び本を読んでいるのだが、いくらセミダブルとはいえ一人用のベッドを、まさか二人で寝るとか……嫌だと云う以前に、どう考えても無理だろう。となれば、床に寝るのは客だろうが何だろうが消去法を使わずとも分かる。僕だ。

 まあ、布団くらいはあるに違いない。


 などと取り留めのないことを考えていたその時、ふわと左眼に赤を基調にした鮮やかな友禅の、花や蝶を描いた振袖の袂が揺れるのが視えた。

 また、だ。

 僕は、この前と同じものを視たのである。


「……千加良ちからくん」

「んー?」


 身体ごと振り返れば、千加良ちからは開いた本を顔に伏せ胸の上で両手を組んでいる。


「寝てました?」

「寝てない、が眠い」

「この部屋は昔、誰か使っていたとか分かりますか?」

「……昔って、どれくらいだ?」

「いや、その……どのくらい?」


 着物のことは分からない。

 振袖を着る女性は、未婚だと聞いた覚えがあるくらいである。


「若い女性が、この部屋を使っていたりします?」

「俺の母親も若い頃、自室として使ってたな。その前にも誰か使っているだろう」

「古い写真とか無いんですか?」

「それはそうと……?」

「いや、まあ……もう、今日は」

「ふうん?」


 仰向けに寝転んだまま、顔の上から本を顎の下までずらすと僕の方を向いた千加良ちからは微かに唇を歪め、眼だけで笑って見せる。


「……千加良ちからくん、やっぱり良いです。僕に構わず、そのまま寝てて下さい」

「なんだよ、それ」

「破壊力が強すぎるんですよ……っていえ、何でも無いです……」

「ははあ、そうか成る程。遂に史堂しどうも俺の魅力とやらに気づいたって訳だな。でもって嘘の既成事実を、現実のコトにする覚悟が出来んだ?」

「い、いえ……この噛み跡だけで結構です」

「馬鹿だな」


 ふっと優しく笑う千加良ちからから思わず眼を逸らしてしまったのは、もう充分にその魅力が分かっているからなのだが、この関係を壊したくないのも確かなのである。


「古い写真なら、そのライティングビューローの中にあるんじゃないか」

「見ても良いですか?」

「ああ、勿論。二番目の抽斗ひきだしだ」 


 指定された抽斗に手を掛けた時、千加良ちからがベッドから起き上がり近づいてくる気配がした。

 取り出して、手に馴染む皮の表紙のアルバムを開く僕の手元を、背後から覗き込む。

 ふわりと、千加良ちからの匂いが香る。


「……それだな」

「随分と……古くないですか?」

「うん? ああ、これは曾祖父ひいじいさんの頃のだなぁ」


 モノクロの写真は、夕陽を詰めたようなセピア色に染まり見覚えのある青銅の悪魔のあるこの建物は、間違いなく『鬼灯ほおずき』だった。

 扉の前に立つのは、千加良ちからに似過ぎるほど良く似た着物姿に羽織りの男性。千加良ちからも後二十年過ぎれば、このような感じになるのだろう。

 そして僕は、この人を知っている。

 初めて『鬼灯ほおずき』の店の中に入った時に、僕に話しかけた人だ。


千加良ちからくんの曾祖父ひいおじいさんだったんですね」

「なんだ? たことがあるみたいだな」


 僕はその千加良ちからには答えることなく、写真を見続ける。

 直ぐその下には、同じく扉の前に立つ二人の男女の姿。千加良ちからの曾祖父は長身の体躯をやや屈め、唇の端に笑みを浮かべて無表情な女性を覗き込むようにしている。

 その顔は、千加良ちからが僕に見せるものと良く似ていた。


曾祖母ひいおばあさん、ですか?」

「そうであって、そうでは無い……かな。曾祖父ひいじいさんは、ずっと独り身だったらしいからな」

「え? じゃあ、千加良ちからくんのお祖父じいさんは? 養子とか?」

「ハハハッ。それが、どうも実子らしい。おそらくこの女が、産んだんだろ。戸籍では兄夫婦の子供を養子としていることになっているが、実際にはこの女との子供なんだよ。公然の秘密と云うやつだな」


 小さなモノクロの写真の為、淡い髪の色までは分からないが、日本人離れした綺麗な人だった。

 更にアルバムの頁を捲ると、その女性が大写しになった一枚を見つけて手が止まる。

 最初に眼にした写真よりも若い頃の、一枚。

 『鬼灯ほおずき』の店内だろうか。

 顔こそ無表情にカメラを見ているが、良く見ればその瞳の奥は愛しいものに向けられた、艶を含む柔らかなものだと分かる。


「……この女の人」


 もう、間違えようもなかった。

 あの夜、ソファで寝ていた千加良ちからの顔の横に現れ、僕に微笑みを残して消えた女性だった。










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