第19話
「果たして、そうか? お前が抱いたところで二人で地獄に生きる正解があるとしても、この場合は違うんじゃねぇの?」
僕の話を聞き終えた
「これじゃあ、まるで王子様のキスを待つ眠り姫だな」
白い病室の白いシーツの中、
窓から差し込む光は、柔らかくカーテンに遮られ穏やかな浅い海の底にいるようだ。
あの夜、母が残した薬を飲んで自殺を図った
死んだ母が僕に知らせてくれなければ、おそらく間に合わなかっただろう。
救急車によって病院に搬送された
検査の結果、目立った原因もなく考えられる事としては心因性によるものであり、目覚めることを身体が拒絶しているのではないか、ということだった。
「だが、
「……僕には、そのどちらも許されそうにないですけどね」
「
「そうですね……憎かったですよ。恨んでもいました。奇跡なんていらないと思うほどに。でも……」
「親と子ってのは、不思議なものだよな。自分とは確かに別の人間なのに、良く知ったつもりで、時には自分のこと以上に愛しかったり憎かったり恨んだりもする。
どうしても分かり合えず、擦れ違い憎み合っている親子も、心の奥底では互いに分かり合い赦し、赦されることを望み、それを諦めきれない。たとえそれが、ずっとずっと先だとしても死ぬ間際だったとしても、その『いつか』は来ると、必ず分かり合える筈だと、赦し合える筈だと、渇望さえしてしまう。
どうしてだろうな?
他人だったら分かり合えないことに、そこまで固執しないのにな。
それは、お互いの甘え、なんだと思ったことがある。血が繋がっている、という甘えだな。普段は意識すらしていない遺伝子を、どこかで意識している瞬間とでも言い換えることも出来る。どんなに憎み合い擦れ違っていても同じ遺伝子を持っているなら、必ず分かり合える、必ず愛し愛される、必ず赦し合えると勘違いしているんじゃないだろうか。そんな理屈は何処にも有りはしないのに。
そして愛し合っているが故に、血の繋がりに甘えて、互いを
親と子が違う人間であるように、考え方も愛の形も表現だって違うのに、それも分かっている筈なのに結局、愛し合っているが故の血の繋がりってやつに親と子は甘えて、油断して、互いに振り回されてしまうこともある。切っても切れない愛と、切りたくても切れない愛……厄介なことだよな」
「……愛されていました。なのに、人が変わったような嫌なところばかりに目を奪われ、また、それが
「親の方もだよ。自分の子供だから、愛しているから、愛されているから、と甘えていた。『いつか』分かってくれるってな。酷いことをしてしまったが赦して貰える、分かって貰えるんじゃないかと、甘えがあったんだろう。
僕の左眼に視えた、病気以前の母親の姿。
そのどちらの姿も、今はもう視えない。
眠り続ける
「まだ、好きなのか?」
「分かりません。ずっと、好きでしたから。
それが恋じゃなくなったとするなら、愛に変わっただけでしょうし」
「ずいぶんと遅い初恋の終わりだったな」
そうだ、僕の初恋はこうして終わる。
その
「恋なんてものは、所詮そのもの自体が幻想なんだ。手に入らない海の底の花を眺めているうちが至極であって、実際に手に入れた途端にそれは凡庸に成り果てるんだよ」
僕を慰めているつもりなのかもしれない、その
そうではない、と知っている。
おそらく、
花を手に入れたその先にだって、目を上げればそこに至極の景色は、あるのだ。
だが、僕にはもう、見えない。
光の届かないその深い闇の中に、この先僕は何を見出すことが出来るというのだろう。
僕は
もうそれだけで良いんだ、と思う。
目の前に存在を望むくらいは、許されるんじゃないだろうか。
「ところで、
「それは……
「ふうん?」
僕を見て
過ぎたことは戻らない。
単独事故だった。
それがせめてもの幸いで、救いだ。
だから僕は、
違う未来も、あっただろう。
それこそ無数に。
だが僕たちは、いつだって選ばなくてはならない。
それが最善だと願い、足を踏み出すのだ。
その先に待ち受けるものが、何か分からなくても。
「そういえば店の前にいた、あの頭の無い身体どうなりました? って、
「ああ、言うのを忘れていた。生憎、身体の方は分からないが、鍋なら売れたぞ」
「ええっ?!」
「お前が休んでいる間に、オンラインで注文が入ったからな。すでに配送済みだ。まあ、穴があるわけでもないし。鍋は、鍋だから気にするな。身体も今頃、頭のある方へ歩いてるんじゃないか?」
「
「由比? この辺りでは大きくて有名な、あの個人病院が? え、だって
「海外に居るとは言ったが、外国人と結婚したとはひと言も言ってない」
また、この人は。
「無条件な愛なんて、無いと俺は前に言ったが、もしあるとするならそれは……まあ、良いや。
「苦しい記憶は全て忘れて、幸せなことを覚えてくれていたら……それが無理なら、いっそのこと……なんて思うのは、あまりに勝手で都合良すぎますかね」
「そしたらお前もワンチャンあるとか考えてねぇよなあ?」
「な、ないですよ。
「そうでないときは?」
僕は
「まあ、俺は
「また、そんなことを」
ははッと笑った
「ち、ちょっと何してるんですか」
絵になるその様子に思わず見惚れてしまった僕が、慌てて遅れて声を掛ければ「眠り姫に祝福があることを祈って」と、いつになく真剣な横顔で呟くのだから、
そうかと思えば、僕に向き直った
「なあ、あの家に独りでいるなら、いっそのこと『
「…………結構です」
「いま、ちょっと考えたろ?」
「ッ……」
「なんだ?」
「……いえ、別に」
「ふうん?」
「その、何でも分かるって顔で見るのやめて下さい」
「ははッ」
その時、僕の耳元に声が聞こえた気がした。
それは、とても懐かしい声――。
眠る
その声が、届いていることを願った。
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