【Session19】2015年12月07日(Mon)大雪
昨晩からの冷え込みで、朝から都心でも雪がちらつく中、学は新宿にある自分のカウンセリングルームへと向かった。口から吐く息が外気と触れると湯気のように白く染まり、その色は一瞬で氷のように溶けて無くなるのである。
学は昔、ひとり公園で雪を丸めて遊んでいた頃を思い出した。それはちょうど父も母親も出掛けてしまい、雪の降る寒い日であった。その当時、学はよく家の外に追い出され、しんしんと降る雪の中手袋もはめずに真っ白な雪の上を歩いて公園に向かった。学にとって公園は聖地で、自分ひとりの世界を楽しむことが出来るそんな空間だったからだ。
そして誰もいない公園で、学はしきりに空を見上げて口を大きく広げた。学は美味しそうに雪の氷を食べたのだ。学にとってこれが初めてのアイスだった。その味を今も学は覚えている。とても冷たくて、でもすぐに溶けてしまう。思い出すたびに儚さや切なさが込み上げて来るのだ。そう、ちょうど27年前の忘れもしない12月7日の大雪の日である。
学はカウンセリングルームに入ると、暖房を高めに設定して部屋が暖まるのを待った。その間、学は自分がはめていた手袋を眺めていた。この手袋は学のおばあちゃんが、学が中学を卒業する時にプレゼントしてくれたものだ。学が高校受験に合格すると、おばあちゃんは密かに学のために夜通しで編んでくれていた物だった。
そのことを思い出すと、学は少しうつ向きながら涙をこらえ瞼を閉じたのだ。瞼を閉じても当時のことが思い起こされ、学の目から涙が溢れた。それは、もう大好きだったおばあちゃんがこの世に存在しないからだ。そしてその左右アンバランスな手袋を学がはめているのを、おばあちゃんは嬉しそうに照れながら笑っていたからだった。
学にとって都心の初雪は、とても儚く切ないそんな気持ちにさせられるのである。だから今日のカウンセリングは、学にはとても嫌な日だった。午前中のカウンセリングを何とか無事に済ませ、午後からの彩とのカウンセリングに備えたのだ。そして彩は何時ものようにやって来た。
木下彩:「こんにちは倉田さん。今日、朝から雪降ってますね」
倉田学:「こんにちは木下さん。そうですね」
木下彩:「なんか、雪降るとテンション上がりませんか?」
倉田学:「いや、そんなことないですが…」
木下彩:「倉田さん。小さい頃、雪遊びしませんでしたか?」
倉田学:「ええぇ、しましたが…」
木下彩:「倉田さん、なにして遊びました?」
倉田学:「雪だるまとか」
木下彩:「なーんだ。遊んでるじゃないですか」
倉田学:「いちおう」
木下彩:「他には?」
倉田学:「雪うさぎ」
木下彩:「倉田さん、雪うさぎ作ったんですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
木下彩:「雪合戦とかしなかったんですか?」
倉田学:「僕は、やったことが一度も…」
木下彩:「倉田さん、雪合戦したことないんですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
木下彩:「駄目ですよ、雪合戦は定番じゃないですか?」
倉田学:「僕は友だちが少なかったので…」
木下彩:「わかりました。今日のわたしのカウンセリングの後の予定は何ですか?」
倉田学:「えーと。じゅん子さんのお店に行きますが…」
木下彩:「あなたはラッキーです。わたしと雪合戦ができます」
倉田学:「僕は、寒いの苦手だから」
木下彩:「今日のあなたは犬です」
倉田学:「何ですか、それは?」
木下彩:「では、質問を変えます。あなたは犬と猫どっちが好きですか?」
倉田学:「僕は、両方とも嫌いじゃないけど…」
木下彩:「と言うことは、どちらも好きと言うことですよねぇ?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
木下彩:「わかりました。今日は犬の方をもっと好きになってください」
倉田学:「いいですけど…」
木下彩:「この唄を思い出してください。雪やこんこ、あられやこんこ~♪」
倉田学:「犬は喜び庭かけまわり~♪ 猫はこたつで丸くなる~♪」
木下彩:「そうです、そうです。正解です」
倉田学:「それで僕は犬ですか?」
木下彩:「そうです。外で、かけまわりましょう」
倉田学:「そんな場所あるんですか?」
木下彩:「柏木公園でーす」
倉田学:「…………」
こうして学と彩のカウンセリングが何時ものように始まり、そして終わろうとしていた。
木下彩:「倉田さん、さっきの約束覚えてますよねぇ?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
木下彩:「それでは早く行きましょう」
倉田学:「先に行ってて貰えませんか」
木下彩:「駄目ですよ倉田さん。わたしを外で待たすんですか?」
倉田学:「いや、そう言う意味じゃなくて、少し準備しないといけないから」
木下彩:「倉田さんって心理カウンセラーなのに、女ごころわからないんですね」
倉田学:「僕は、別に女ごころがわからなくても、心理カウンセラーできると思ってますから」
木下彩:「駄目ですよ。女ごころを知るのも勉強です。わたしが指導します」
倉田学:「僕は別に、お願いしてないんだけどなぁ」
木下彩:「大丈夫です。今度、猫になって貰いますから」
倉田学:「猫って、何ですか?」
木下彩:「それは、お楽しみです。さあ、行きましょう」
倉田学:「はい、はい」
こうして二人は、柏木公園へと向かったのであった。公園に行くと、子供達が雪遊びをしていたのだ。それを観た学は、その小学生の女の子に、雪うさぎを作って見せたのだった。公園になっている南天の木から実と葉を取り、雪うさぎの目と耳にしたのである。
女の子:「かわいー」
倉田 学:「こんなので良ければ」
女の子:「おじさん、すごーい」
その声を聞きつけた他の小学生も、その子を取り囲むように集まって来たのだ。そしてこう言ったのだった。
小学生達:「おじさん、もっと作ってよ!」
倉田学:「君達、北海道には本物のユキウサギがいるんだよ。おじさんが君達にプレゼントしたのは、本物をちゃんと観ることだよ。その瞬間しゅんかんを、君達は大切にしているかな」
倉田学:「雪や氷はすぐに溶けてしまう。でも、その時に何を感じ何を想い何を大切にするかは、誰にでも出来るんだよ」
小学生達:「おじさん、難しくてよくわからないよ」
倉田学:「君達も大きくなったら、きっとそのことに気づいてくれると、おじさんは信じているんだ」
木下彩:「倉田さん、昔何かあったの?」
倉田学:「僕は昔、ユキウサギだったから…」
木下彩:「倉田さん、時々変なこと言うんだから…」
こうして二人は雪を投げ合い、じゅん子ママの待つ銀座へと向かったのだ。学の言ったユキウサギとは、ラテン語で「臆病なウサギ」を意味し、自分のことを学は昔、臆病者だったと言いたかったのだ。そして子供にプレゼントした雪うさぎの南天の赤い実の意味が、「わたしの愛は増すばかり」だと言うことまでは、学にもわからなかったのであった。
しかし確実に学のこころは、彩に傾き始めていた。そのことに学自身気づくはずもなく、彼にとってはいちクライエントとして彩とラポール(信頼関係)が十分に築けていると言う程度にしか感じていなかったのだ。そして二人は、じゅん子ママのお店へと入っていった。
倉田学:「こんばんは倉田です。じゅん子さんいますか?」
若いホステス:「こんばんは倉田さん、ちょっとお待ちください。倉田さん、今日もひとみと一緒だったんですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ」
若いホステス:「ひとみ。最近、同伴すること多いから。しかもVIPなお客さまばかり」
倉田学:「VIPなお客さんって、どんなお客さんなんですか?」
若いホステス:「そうねぇ、著名人とか政治家とか」
倉田学:「僕は違いますけど…」
若いホステス:「あの子、時々変なのよね。まるで人格がふたりいるみたい」
倉田学:「そう見えるんですか?」
若いホステス:「ええぇ、だって雰囲気全然違う時あるから」
倉田学:「お店にいる時のひとみさんって、どんな様子なんですか?」
若いホステス:「お店で働きだしてからまだ四ヶ月ぐらいなのに、もう常連さんができて、かなり稼いでいるみたい。それに同伴で、ご馳走とかプレゼントもたくさん貰っているらしいわ」
倉田学:「そうなんですか。あなたはどうなんですか?」
若いホステス:「わたしは先輩なのに、先を越されちゃったかな」
すると学は自分のカバンに手を入れ、彼女に何かを差し出した。
倉田学:「これ何かわかります」
若いホステス:「ビー玉ですか?」
倉田学:「そうです」
若いホステス:「どうしたんですか、これ」
倉田学:「僕が昔、おじいちゃんとお祭りに行った時、おじいちゃんに買って貰ったラムネから取り出したのを集めたやつです」
若いホステス:「倉田さん、そんなの今も持ってるんですか?」
倉田学:「これは、僕とおじいちゃんの想い出だから」
若いホステス:「そんな大切なものを、わたしにくれるんですか?」
倉田学:「僕は、ひとつだけあればもう大丈夫です。ビー玉ひとつで、誰かを幸せにできるのであれば…。あなたが大切にしているものは何かありますか?」
若いホステス:「わたしですか。わたしは大切なものを、どこかに置き忘れて来てしまったような…」
倉田学:「今からでも大切なものを見つけ、大事にしていけばいいと思うんです。僕はあなたに、そのきっかけをプレゼントしただけだから」
若いホステス:「わかりました。わたしも自分の大切なものを探してみます」
学はカバンからもうひとつのビー玉を取り出し、そのビー玉を上の方にやりこう言ったのだ。
倉田学:「僕たちは大人になると、このビー玉のように光を遮るフィルターをかけて、昔見えていた大切なものが見えなくなってしまう」
そんなことを言っていると、じゅん子ママが現れたのだった。
じゅん子ママ:「懐かしいわねぇー、ラムネ玉ね」
倉田学:「ええぇ、そうですが…」
じゅん子ママ:「昔よく遊んだわ。そのラムネ玉で」
倉田学:「じゅん子さんも遊んだんですか?」
じゅん子ママ:「ええぇ、そうよ。倉田さんも遊んだんですか?」
倉田学:「ええぇ、まあぁ。ひとりで」
じゅん子ママ:「ひとりじゃ、ビー玉遊びできないでしょ!」
倉田学:「僕は、敵にも味方にもなれますから」
じゅん子ママ:「倉田さん、面白いこと言うわねぇ」
倉田学:「僕は何時も遊ぶ時、ひとり二役でしたから」
じゅん子ママ:「そうなんだ」
倉田学:「はい」
こうして学とじゅん子ママのカウンセリングが始まったのだった。彼女の変容はだいぶ進み、彼女の築地駅での出来事は次第に鮮明に思い起こせるようになって来た。それはその当時の朝、彼女の乗る営団地下鉄 日比谷線が北千住駅を発車し、じゅん子ママは上野駅でその電車に乗り、彼女の誕生日を一緒に祝うために彼女の恋人と霞ヶ関駅で待ち合わせていたからだ。しかしその当時のことを思い出そうとすると、もうひとつの感情が溢れて来たのだった。
じゅん子ママ:「わたしだけ助かって! わたしの愛したひとも、そして同じ車両に乗っていたひと達も…」
倉田学:「あなただけ助かった訳ではありません。そして、あなたは十分に辛い経験をして来ました。もう自分を責める必要はありません」
じゅん子ママ:「でも、わたしの誕生日を祝ってくれるはずだった、彼の意識はもう…」
倉田学:「あなたは、幸せになる権利を持ってます。そして、今を生きています。あなたがやらなければならないことは、一生懸命に生きることです」
じゅん子ママ:「わたしの恋人だった彼を残して、わたしだけ幸せにはなれません…」
倉田学:「僕は思うんです。人間は自分のために生きているようで、実は誰かのために生きているんじゃないかと」
じゅん子ママ:「わたしは、彼のために生きると言うことですか?」
倉田 学:「それが今生きている、わたし達の定めだと」
こうして学とじゅん子ママのカウンセリングが終わった。彼女が自分の奥底に閉まっていた本当の気持ちが、学には少し見えた気がしたのだ。帰り際、じゅん子ママからクリスマスのお誘いを学は受け、そしてこう言われたのだった。
じゅん子ママ:「あなたは、サンタみたいなひとね」
倉田学:「僕、プレゼント用意しないと駄目ですか?」
じゅん子ママ:「そう言う意味じゃなくて、あなたって『形のないプレゼント』をあげるの上手だから」
倉田学:「それって、褒めてるんですか?」
じゅん子ママ:「そうよぉ。それを出来るひとって、今少ないから」
倉田学:「逆に、僕はそれしか出来ないから」
二人の会話が終わり、学は寒い夜道を歩きだした。外の雪はもう止み、夜空にはオリオン座を観ることが学には出来たのだ。学の『形のないプレゼント』とは夢であった。
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