【Session02】2015年07月07日(Tue)七夕・小暑
暦の上では小暑、七夕の日ですが朝からあまり天気がすぐれず。一週間程前に予約したクライエントの彩が、そろそろ来るであろうと学は時計の針を見つめた。ちょうどその時、1階フロントロビーの玄関のチャイムの鳴る音がして、学はおもむろにインターフォンの呼び出し音に反応したのだ。そしてインターフォンに出たのであった。インターフォン越しに聴き覚えのある声がした。
木下彩:「あのー、先日電話で15時に予約した木下と言います。少し早いですがカウンセリングを受けに来ました」
倉田学:「ああぁ、木下さんね。お待ちしていました。今玄関のドアを開けますから…」
学のカウンセリングルームはオートロック式のマンションの玄関で、これはクライエントを守ると同時に、学自身をクライエントやその関係者などから守る為でもあった。少しすると学の借りているマンションの705号室の『カウンセリングルーム フィリア』に彩は昇って来た。そして705号室のチャイムが鳴る音が聞こえたので、学はドアを開け彩をカウンセリングルームに案内したのだ。
学が最初に彼女を観た時の印象は確か歳は二十五歳前後で、第一印象は見た目の落ち着いた明朗な女性だったと思う。学は今まで何百人もの女性のクライエントを観て来たが、その中でも一番、「明朗でおしとやか」な女性と言う言葉がぴったりと当てはまる女性のように感じたのだ。彼女の名前は木下彩、まだ独身で彼女には複雑な顔を持っていたのでした。
倉田学:「初めまして木下さん。宜しくお願いします」
木下彩:「こちらこそ、宜しくお願いします」
倉田学:「ではカウンセリングを始めたいと思いますが、空調等で暑かったり寒かったりしませんか?」
木下彩:「はい、大丈夫です」
倉田学:「時間の確認をしたいと思います。今日のカウンセリングは120分ですので、15時から17時までで宜しいでしょうか?」
木下彩:「はい」
倉田学:「では、カウンセリング料金ですが120分ですので、2万4千円となります」
木下彩:「わかりました」
倉田学:「それと今回最初のカウンセリングですので、初回面接(インテーク面接)になります」
木下彩:「そうですか、はい」
倉田学:「ですので、必要事項をこの「面談用紙」にご記入ください。また、ここは病院では無いので連絡が取れれば偽名でも構いません。でも、カウンセリングは医療行為では無い点。また、当カウンセリングで症状が悪化したり問題が発生しても、当カウンセリングは一切の責任を負いませんと言う点だけご理解ください」
倉田学:「ご納得頂ける場合のみサインをお願いします」
木下彩:「はぁー、そうですか。今まで受けてきたカウンセリングで、こんな誓約書みたいなこと書かされたかなぁ?」
学が心理カウンセラーになって一番嫌な儀式がこの手続きである。しかしこの手続きをしておかないと、クライエントから訴えられる場合もあるので、やらざる負えないのであった。こうして彩とのカウンセリングが始まったのである。最初に学が彩に、彼女の「既往歴」と「生育歴」を訊くと彼女の表情はすぐに強張ったのだ。そこで学はポケットに何時も忍ばせているピンク色の毛糸のあやとりの紐を取り出した。そう、学が幼少時代に何時もひとりであやとりをしていたので、いつの間にか何時も持ち歩くようになっていたのだ。
学はあやとりで、ひとり黙々と「東京タワー」「はしご」「ちょうちょ」などを作り彩に見せ、最後に彩に右手を出して貰い、彩の右手と学の左手で、学は彩にあやとりを教えながらお互いに紐を取り合い、彩の指に絡みついた紐を学が彩の親指の方からすぅーっと引っ張ると、見事に指ぬきが出来たのである。その時の紐は、彩の指からするりするりとすり抜けていったのだった。
彩は驚きと感動ですっかり学にこころ開く準備が出来たのだ。学にとっては特にこれに意味を持たせた訳では無かったのだが、この辺のクライエントとのラポール(信頼関係)の取り方は、ある意味天性の素質があったと言っても良い。彩のこころを掴んだ学は、彩が中学三年生の時に父親から性的虐待を受けていた記憶が僅かに思い出すことが出来ると言う話を聴くことが出来たのだ。
しかしその記憶も曖昧で、その当時の記憶が欠落していることもわかった。学はこころの中で思ったのだ。今日明日でどうにかできる問題ではないので、今日は話だけ聴いて今後どのようにカウンセリングを行うか次回までに考えておこうと…。
そして学は彩の今の「仕草」「表情」「喋り方」「声のトーン」「服装」などありとあらゆる彼女に関する客観的な情報を感じ取っていったのだ。その時の学は物凄い集中力と、それでいて自然体で接することが出来るのであった。この辺が他のカウンセラーから学が一目置かれる理由でもある。そしてある意味クライエントを催眠状態に持っていける所以でもあった。
いろいろと彩の話を聴いているとあっと言う間に120分が経ってしまい、次回のカウンセリングの日取りを何時にするか学は彩に訊いたのだ。すると彩は次回 7月23日(木)15時からの予約をお願いして来たので、学はカウンセリングのスケジュールを確認し大丈夫であることを彩に告げた。こうして彩との1回目のセッションが終わったのである。その頃、外は垂れ込んだ雲の隙間から少し日が差し込んで、学はそれを伺うことが出来たのだった。
学は今後、彩のカウンセリングをどのように進めるか考えていた。ただ言えるのは、この先どのようなカウンセリングの方法を取ろうとも、険しい道のりになることは間違いないと学には推測出来たからだ。
その頃、彩はと言うと、自分のカウンセリングを引き受けてくれた学に感謝しつつも、今までのカウンセリング費用や今後のカウンセリング費用をどのように工面したら良いか思い悩んでいた。そして新宿駅に向かう途中で、彩はひとり喫茶店に入ったのだ。何故なら電車に乗る前に気持ちの整理をつけてから家に帰りたかったからだった。
彩はその喫茶店でアイスティーを注文し、自分の手帳に今度のカウンセリングの予定を書き込んでいた。そして、少しして注文したアイスティーが彩の目の前のコースターの上に置かれた。彩はストローでアイスティーを一口飲み、少し考え込んでいたのだ。今の派遣社員の月給は約18万円で、月二回のカウンセリングで一回120分だとすると、月々のカウンセリング料金は5万円ぐらいになる。
考え込んでも駄目だと思い新宿で夜の仕事を探そうと決意し、スマホで派遣社員をしながら働ける仕事を探していたのだ。流石に風俗関係は父親からの性的虐待の件もあり、とても彩には出来なかった。彩がスマホに夢中になっていると、洒落たスーツを着た見たことの無いひとが声を掛けて来たのだ。その男こそ『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE』の経営者&No1ホストである樋尻透であった。
樋尻透:「よおぉ。もしかして彩じゃん」
彩は最初、「怖いひとに、声掛けられたなぁ」と思っていた。それは自分が絶対にナンパされるタイプでは無いと思っていたからだ。
木下彩:「すいません。どちら様ですか?」
樋尻透:「えぇー。彩じゃないの。俺、結構ひとの顔と名前覚えるの自信あるんだけどなぁ」
木下彩:「わたし木下彩ですけど」
樋尻透:「やっぱ、そーじゃん。俺、樋尻透。覚えてるでしょ?」
木下彩:「もしかして、小学生の頃の幼なじみの透?」
樋尻透:「そうそう透。でも先輩に向かって呼び捨てすんなよな」
木下彩:「どうしたの透くん。今何やってるの?」
樋尻透:「俺…。今、新宿歌舞伎町にあるお店を経営してるんだよ」
木下彩:「透くんすごいね」
樋尻透:「で、彩は今何してるのよ?」
木下彩:「ううん。新宿で、建設関係の会社の派遣社員」
樋尻透:「えぇ、何。派遣社員」
木下彩:「そう。派遣社員」
樋尻透:「で、給料幾ら貰えるのよ?」
木下彩:「うーん。18万円ぐらい」
樋尻透:「彩さー。お給料それで暮らしていけるの?」
木下彩:「いろいろと今、訳あって。厳しんだよね」
樋尻透:「わかった彩。いい仕事紹介してやるから、一度俺の店に遊びに来なよ」
木下彩:「えぇ。どんな仕事なの?」
樋尻透:「まぁー、くれば説明するからさぁ。それに今の仕事をしながらでも大丈夫だからさぁ」
透は彩に自分の名刺を渡し、7月11日(土)の21時に透のお店に来るよう告げ喫茶店を後にしたのだ。彩はおもむろに透から貰った名刺を見ると、『新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE 代表取締役 樋尻透』と書かれていた。彩は驚いた。そして「透くんが紹介してくれる仕事って、どんな仕事なんだろう…」と帰りの電車の中でずーっと考えていたのだった。その頃の透はと言うと、彩の容姿や化粧、そして仕草や服装を観て「本命」「押さえ」「取りあえず」の「取りあえず」だなと思っていたのであった。
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