【Session01】2015年07月01日(Wed)

 わたしはJ大学哲学科を卒業し、民間のカウンセリングスクールで二年間勉強した後、スクールカウンセラーの補助を経て三年前から東京の新宿駅傍で『カウンセリングルーム フィリア』を開設した倉田学と言います。

 現在、歳は33歳でこう言っては何ですが、ひとの話を聴く仕事ですがしゃべるのは苦手です。特に女性のクライエントが来るとちょっと緊張してしまいます。その緊張をクライエントに見透かされないか、本当は何時もドキドキしながらカウンセリングをしています。


 しかし彼の元には男女問わず多くのクライエントが来るのであった。彼のカウンセリングは彼自身も気がついていない天性の素質を持っていたのです。それは話を聴く際にラポール(信頼関係)の取り方がまるでクライエントに気づかれない無意識レベルで作ることが出来たからである。

 それはあたかもクライエントのこころをコントロールできてしまうぐらいに、無意識的にクライエントのこころの状態をある意味、催眠状態に持ち込むことが彼には出来たからであった。

 クライエントの「仕草」「呼吸」「言葉」の全てにおいて、彼は完璧にクライエントのペースに合わせ、こころの奥の闇にまで踏み込んで行くことが出来たのである。

 彼は長年、心理療法を勉強し、また独自に研究も重ねて来たのだが、彼自身もこの天性の素質については気づいておらず、彼自身の身体に元々備わっていた才能だったからだ。

 彼の元には何時も多くのクライエントが訪れ、また他の心理カウンセラーが匙を投げたクライエントが舞い込んで来たのである。 そう彼女に最初に会ったのは、開設してから三年が過ぎようとしていた夏の初めであった。


 その頃の彼は、他の心理カウンセラーからひと目置かれる存在になっていたのだが、33歳にしてプライベートでは結婚もしておらず恋人もいない。専ら新しい心理療法のことを考えるのが楽しみのひとつであったのだ。

 また高校時代から好きであるアクアリウムで、水草を水槽の中に活ける作業がわたしにとって唯一神聖な儀式で、この時の彼は自分がこの世界で本当に生きていると言う実感を感じることが出来たのである。

 彼は女性に興味が無い訳ではなく、ただ苦手なだけでどう接していいのかわからないと言う高校時代の苦い経験があるので、今まで避けてきたと言った方が良いのかも知れない。


 しかし彼のところには恋愛関系でお悩みのクライエントからもカウンセリングの依頼が来る。彼自身の恋愛は駄目でも、カウンセラーとしてはカウンセリングを成立させることが出来ると彼は言っています。 彼は正直、女性や男性の恋心なんて分かりません。 カウンセラーは話を聴いて答えを与えるひとではありません。

 「クライエントの中にある答えを導き引き出すひとである」と言うのが彼の専らの持論ですから。 また彼は前に彼のカウンセリングを受けた女性から執拗以上に色々と迫られた苦い経験があるので、それが彼を女性に対し更に苦手とさせた原因のひとつでもあったのだ。


 話は戻り、わたしのカウンセリングルーム『カウンセリングルーム フィリア』に訪れたその女性は解離性同一性障害(二重人格)と精神病院で診断され、幾つかの精神病院やカウンセリングルームを転々として、わたしのところにやって来た。 最初にその女性からカウンセリングの予約を受けたのは本人からの電話であった。それは忘れもしない梅雨の時期の蒸し暑い午後15時過ぎだったと思います。


木下彩:「もしもし木下と言います。そちらで、カウンセリングを受けたいのですが…」

倉田学:「もしもし『カウンセリングルーム フィリア』の倉田です。どういった相談でしょうか?」


木下彩:「えぇー、精神病院の医師から解離性同一性障害(二重人格)ではないかと言われまして…」

倉田学:「解離性同一性障害(二重人格)ですか? かなり厄介ですねぇ」


木下彩:「そうなんです。精神病院や他のカウンセリングルームへ行っても難しいみたいで…。先生のところでは診られますか?」

倉田学:「診られなくは無いけど…。解離性同一性障害(二重人格)だとすると今の人格が統合することにより人格が変わってしまい、苦しむかも知れないけど大丈夫?」


木下彩:「…………」


 しばらく彩は考えた後、こう学に答えたのだ。


木下彩:「先生! 何とか今の状況から抜け出したいんです」

倉田学:「あっそー。それから、先生って呼ぶの止めて欲しいなぁ。僕は医者じゃないし、ただの心理カウンセラーだからさぁ」


木下彩:「わかりました先生!」

倉田学:「だから先生って呼ぶの止めてって言ったじゃん」


木下彩:「あ、すいません。なんて呼べばいいですか?」

倉田学:「 倉田さんでいいんじゃないの。で、君の名前はなんだっけ?」


木下彩:「木下彩です」

倉田学:「では木下さんでいいよね。それでカウンセリングには、いつ来られるの?」


木下彩:「えーと、その前にカウンセリング料金って幾らですか?」

倉田学:「僕のところのカウンセリングルームは60分 1万2千円だけど…。他と比べて決して高くないと思うけどねぇ。他に訊きたいことは何かある?」


木下彩:「わかりました。では予約したいのですが、7月7日(火)15時からで大丈夫でしょうか?」

倉田学:「ちょっとまってね。スケジュールを確認するから。うん、大丈夫だよ。それと、カウンセリングの時間だけど…」


倉田学:「木下さんの場合60分ではおそらく無理だね。一回のカウンセリングに120分は必要だね。それから、だいたい2~3週間に一回は来て貰うことになと思うよ」

木下彩:「えぇ、そんなに掛かるんですか?」


倉田学:「木下さん。解離性同一性障害(二重人格)をカウンセリングするのって、物凄く大変なことだと言う自覚が無いでしょ!」

木下彩:「ええぇ、まあぁ」


倉田学:「時間も掛かるし、その分お金も掛かる。まして望ましい結果になるとも保証できない。過酷なものになると言うことを自覚しておいた方がいいと思うよ」

木下彩:「…………」


倉田学:「今なら辞めることも出来ますがどうしますか?」

木下彩:「お願いします」


倉田学:「わかりました木下さん。では7月7日(火)15時からで『カウンセリングルーム フィリア』でお待ちしています」


 学はこの時、直観的に思った。おそらく、このクライエントのカウンセリングは過酷なものになるであろうことを…。そして学はこの彩とのカウンセリングを通して学自身も変容して行くことになろうとは、この時は知る由もなかったのだ。

 一方の彩はと言うと、今までの精神病院での治療費やカウンセリングのカウンセリング費用を工面するのに借金を抱えており、今の派遣社員の仕事だけでは生活していけない状況に陥っていたのである。今後のカウンセリング費用を払えない彩は、夜の仕事に足を踏み入れようと決意したのであった。

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