第29話

 久方ぶりに見るミーシャ・フェリーネの姿に、私はビクリと身を強張らせました。

 何も答えない私を見据え、ミーシャは嘲りの言葉を重ねます。


「なあにぃ? こんなところに忍び込んでくるなんて、これじゃあハゲ猿ならぬハゲネズミねぇ」


 彼女の隣に並ぶネズミの大臣が、不機嫌そうに表情をしかめました。

 その後ろには、なにやら呆けた顔のリカルド様がいます。ぼんやりとしていて、その瞳は何も映していないように窺えました。


「……これはこれはフィリップ殿下。このような場所へ、一体どのようなご用向きで?」


「話す必要はない。ユイ、あれだ」


 ネズミの大臣からの問いを切って捨て、フィルは広間の中央を指し示しました。

 そこには一本の剣が刺さっています。……あれを抜けば、帰れる。


 見ると、私たちの足元を含めて、広間の床は大小様々な魔法陣で埋め尽くされておりました。

 ……いえ、小さな魔法陣が集まって、さらに大きな魔法陣を形作っているようです。

 その繰り返しで、小魔法陣が中サイズの一画になり、さらに中魔法陣が大魔法陣へと変じております。

 じっと見続けていると、目が回ってきそうな図式でした。描いた人は大変だったろうなと、こんなときなのに、どこか他人事のように思います。


 広間を満たしている光は、この魔法陣から発せられているようでした。

 青白い光を顎の下から受けて、ミーシャ・フェリーネが目を吊り上げました。


「何しに来たって! この私がッ! 訊いてるのよォッ!!」


 そして絶叫しました。

 彼女の様子はどこかおかしく、目は落ちくぼみ、皺ができ、表情は奇妙に歪み……端的にいうと、前よりブスになっておりました。


「……ハロウズ侯の心情をより深く掌握するために、『番の儀式』を繰り返したな。あそこまで欠乏症が進んでしまえば、体に不調が出てもおかしくはない」


「アンタのせいでしょうがァァァッ!!」


 フィルの呟きを聞きつけたのか、ミーシャは私を睨み付け怒鳴り散らしました。

 私はただ黙って、床に突き刺さる剣を見つめていました。……あれを抜けば、帰れるのです。


「無視、無視、無視、むし、ムシ、ムシムシムシ、ムシすんなァアアアアッ! 大臣ッ、あいつ、あの男、フィリップ殿下よッ! あれも私のモノにしなさいッ!!」


「は? だがミーシャ嬢、きみには既に『番』が、」


「いいから早くやれぇええッ!」


 ふいに、再びミーシャが絶叫しました。耳がキンキンするような叫び声です。

 ネズミの大臣が戸惑った様子で、何やらブツブツと唱え始めました。


 私の背中をそっと押し、フィルが言います。


「お別れだ。達者でな。……安心しろ、あれらに邪魔はさせないさ」


「……はい」


 私は頷き、床に刺さる『聖剣』へと足を踏み出しました。

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