第14話
「ユイ様、足元ではなく、パートナーの耳に視線を固定してください」
「は、はいっ!」
シャム猫のような老執事、バートンさんからの指摘を受けて、私は顔を上げました。
黒い縁取りの灰色猫耳が、ターンの進行方向へぴくりと微かに動きます。
そっちかな、と足を運ぶと、ぽすんと何かが脛に触れました。
「パートナーの尻尾を蹴らぬよう、よく注意を」
「あっ、ごめんなさいっ!」
「お気になさらず。続けましょう」
なんというか、獣人らしいアドバイスが続きます。
ずっと踊り続けているので、少し疲れてきてしまいました。
窓の近くで腕を組み、私たちを眺めていたフィルが、仏頂面で口を開きます。
「バートンと踊る分には、様になってきたようだが……。この調子で、間に合うのか?」
「覚えは悪くありません。本番に備えて、そろそろ坊ちゃまもユイ様と踊ってみてはいかがでしょうか?」
「もう少し上達したらな。……それと『坊ちゃま』と呼ぶな。むず痒い」
「ほう。かしこまりました」
くすりと笑って、バートンさんは足を止めました。
息を整える私の耳元に顔を寄せ、「以前は、わたくしが『坊ちゃま』と呼んでも、あのような事は申されなかったのですよ」と教えてくれます。少し笑ってしまいました。横腹が痛いです。
「休憩か。茶を淹れよう」
「わたくしめが」
不機嫌そうにフィルが言うと、バートンさんは胸元に手を添えて一礼し、すぐに広間から出ていきました。
もう結構なご高齢に見えるのに、息が切れていないのはなぜなのでしょうか……?
私は浅い呼吸をしながら、フィルのほうへ目を向けました。
「……どうして睨む?」
「いえ……フィルは、練習しなくていいのかなと」
睨んだつもりはありませんでしたが、問われたので答えました。
このお城に来て、初日に彼と何度かステップの練習をして以来、私はフィルとは踊っていません。
先生になってくださっているバートンさんのほうが、フィルより踊りが上手いと思います。……というか、多分フィルはダンスが下手です。彼は練習しなくてよいのでしょうか?
「それはお前が、俺の足を踏まなくなってからだ」
ぴしゃりと言われました。不服です。
「バートンさんのは踏んでませんよ。上達してるって、あなたも先ほど言っていたじゃないですか」
「だが俺のは踏むだろう。そういう顔をしている」
「どんな顔ですか」
反射的に言い返しましたが、そうかもしれない、とも思います。
ご老体であるバートンさんとは違い、フィルの足は踏んでもさほど罪悪感がありません。
それに彼はステップが強引というか、初心者である私を、無理に振り回そうとするときが多々ありました。
あれをもう一度やられたら、むしろ私は、彼の足をまたわざと踏むかもしれません。
「……とはいえ、もう日もあまりない。明日からは、俺も練習に参加しよう」
「なぜ、明日からなのですか?」
「靴に仕込む甲当てが、明日には完成するからだ」
「…………」
私はじろりとフィルを見ました。
自室で何かしているのは知っていましたが、そんなものを作っていたとは。
フィルのお城での生活は、思っていたより自由でした。
妙に野性味あふれる薔薇が好き勝手に蔦を伸ばす中庭も、ちょっと埃っぽい書室も、上るのが大変ですが見晴らしのよい尖塔も、好きに訪れてよいようでした。……いえ、塔は危ないので、フィルの監視付きですが。
ちなみにコウモリは、聖堂の裏手に生息しておりました。
人を襲ったりはしませんが、病気の媒介になるらしいので、近づいたりはしていません。
ただ自室の窓から、夕方になると飛んでいるのがたまに見られます。なんだか哀愁漂うというか、妙に感慨深い光景でした。
もうすぐ開かれる王城での舞踏会にて、私はフィルにエスコートされ、彼と踊る事になるようです。
私にはよく分かりませんが、それは『聖女』とフィルとの繋がりを、周囲に知らしめる意味があるのだとか。
ハロウズ侯爵派と、教会の『原理派』への牽制。王様、そしてお会いしていない王妃様にも、私が聖女としてフィルと踊る事には、大きな意味があると聞きました。
フィルは詳しくは、はぐらかして教えてくれません。
それに、複数の派閥の思惑が入り乱れているようで、軽く聞いただけでも頭がこんがらがってきそうでした。
……私にとって、大事な事柄は一つだけ。そう、フィルは説明しました。
城でのダンスを成功させたのち、王城の地下に忍び込み、私を召喚した『召喚陣』に刺さっているという『聖剣』を引っこ抜く。
それがフィルと私が『共犯者』として行う、計画の最終目標です。
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