第9話

「えっ、あ、ユ、ユイ……」


 まるで今気付いたみたいに、リカルド様は私のほうへ視線を向けて、途方にくれたような顔をしました。


「何ですかその顔は? 他人の部屋で、勝手に盛らないでください。見ていて気持ちが悪いです。そういう事をなさるのでしたら、さっさとご自分の屋敷にでも、帰ってからやってください。私にはもう、関わらないでください」


「ち、ちが、違うんだ、ユイ。僕は、僕はきみを……」


「私を、何ですか? 何が違うのですか? この、奴隷の証の事ですか?」


 つけられた枷を、私は見せつけるように掲げました。

 じゃり、と鎖が音を立て、リカルド様は、何だか泣きそうな顔をしました。


 泣きたいのはこっちです。

 だから、早く出て行って頂かないといけません。


「もう結構です。あなたなんかに、助けてもらおうとは思いません。気持ち悪いので、さっさとその女を連れてここから出て行ってくださいな。盛るのでしたら、動物らしくお外でどうぞ」


「なっ!? ユイ! 今のは聞き捨てならないぞッ!!」


「うるさいっ! 出て行きなさい!!」


 何が聞き捨てならないものですか。

 この人はもっと聞き捨てならない言葉を、今しがたご自分が言ってしまった事に、まさか気付いていないのでしょうか?


「……あなたにとって、私が醜い髪の猿女だという事はよく分かりました。だからもう、その女を連れて出て行ってください」


「ユ、ユイ……」


 リカルド様が、縋るような目で私を見ました。

 そんな目をしておきながら、彼はミーシャを抱き寄せた腕を、放そうとする気配すらありません。


「行きましょう? リカルド。この子には反省が必要なのよ。こんな風になってもまだ、自分が悪くないなんて勘違いをしているんですもの。……この子が我儘になってしまったのは、あなたにも責任があるのよ?」


 リカルド様の胸元に指を這わせながら、まるで子供に言い聞かせるような口調で、ミーシャがそんな事を言いだします。


「い、いや、それは……」


 抱き寄せたままのミーシャの顔に視線を戻し、リカルド様は言いかけた言葉を飲み込みました。


 やがて彼が小さく頷くのを見て、ミーシャの顔に笑みが浮かびます。

 その様子を冷ややかに眺めて、私は思った事を口にしました。


「……あなたがもし『運命の番』とやらでなかったのなら、リカルド様はあなたの事なんて、少しも好きにはならなかったでしょうね」


「……今、なんて言ったの?」


 リカルド様と寄り添い、出て行こうとしていた足を止めて、ミーシャ・フェリーネが振り返ります。


「聞こえませんでした? お犬の耳なのに遠いのですね。あなたみたいなしょうもない女は、番じゃなければ相手にされませんでしたよ。良かったですね。と、本当の事を言ったのです」

 

「――ッ!」


 その途端、私は床に引き倒されて、ミーシャに顔を殴られました。

 ガツン、と嫌な音がして、視界が揺れて、ずんと鈍い痛みを感じて、また、殴られました。


「っ!? 何をするんだッ!?」


 リカルド様の怒鳴り声が聞こえて、また殴られて、


 ……四回目に殴られる前に、騎士たちが私からミーシャを引き剥がしました。

 私の意識は、そこで途切れました。

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