宇宮出むかし物語
宇宮出 寛
阿弥陀の聖
これは、まだ妖怪やら鬼などが、人の住む世と境目なく存在していたころの話である。
ある夕刻、山近くの村の一軒に、宿を求める法師姿の男があった。主人は所用で出かけており、まだ若い嫁が姑とその小家を守っていた。男は阿弥陀の聖と呼ばれる行者で、
「一夜泊めて頂けるとありがたいのですが・・・」と言ったところを見ると、髭の薄い三十位な歳格好で、頭陀袋を提げて鹿角の杖を曳いている。
「むさい所ですが、よろしければお入りなされ」と姑が言い、嫁は行者をかまどの脇へ案内した。山里ではそろそろ火の恋しい時節であった。
行者は汚れた衣には不似合いな、さっぱりした袴姿をしていた。嫁はかまどの火にそれを見ると、ふと何か不思議な思いが湧いた。その朝良人が着ていった袴によく似ていたのだ。まさかと思いつつ裾の辺りを見て、あっと声が出そうになった。自分が縫い付けてやった破れ目をそこに発見したのだ。嫁は気づかぬふりでその場所と形を確かめ、それが良人のものに違いないと確信した。
「お義母さん、行者さんにお粥を上げてください。わたし、ちょっと隣へ行ってきます」
嫁は落ち着いてそう言うと外へ出たが、歩きながら膝が震えた。
隣家の親父は話を聞くと、
「それがまことなら、そやつを捕らえて問い詰めねばならぬぞ」と怖い顔で答えた。
「どうしてそうなったか分かりませんが、あれは間違いなく良人の袴です」
嫁の言葉を受け、すぐに三人の屈強な若者が呼ばれ、事情が説明された。
村人が押し掛けたとき、行者は粥で腹を満たし筵の上に寝転んでいた。若者たちが腕を取って引き起こし、持ってきた縄で縛りあげるのを、呆然とされるままになっていたが、
「これはいったいどういうことでしょう?」とようやくそう訊いた。
「お前はその袴をどこで手に入れた?持ち主から奪ったのか?」
という隣家の親父の追及に、行者は贖ったものとどこまでも言い張った。若者の殴打にも、
「わしは何も悪いことはしておらぬ」と主張して譲らなかった。
だが嫁は縛られた男の裾を改めると、
「これは妾が繕ったものに相違ありません」と言った。
それを聞くと、村人たちは行者の犯行を確信し、持っていた頭陀袋が調べられた。糒(ほしい)や鉦などと共に、赤い縞の浮いた瑪瑙玉が出てきたが、それは嫁が河原で見つけて良人にやったものであった。
行者は殴られたためもあってか沈黙していたが、不思議な成り行きに魂を抜かれた気がして、
「なぜあんた達には俺のやったことが分かるのだ?」と訊いた。
すると隣家の親父が頷きながら、
「やっと認める気になったか。ここは、お前が盗んだ袴の持ち主の家なのだ。観念して仔細を話せ」と迫った。
行者の話によれば、昼飯を食べる人に呼ばれ、分けてもらって食ったが、その人の荷物が欲しくなり、人目のないのを幸いに殺してしまったのだという。
それを聞くと、嫁も姑も泣いた。
「恩をあだで返すとは、お前は畜生以下の奴だ。あの男は麻糸を受け取りに行くところだったのだ」と親父が言った。
村人は行者をさらにきつく柱に縛り付け、
「明日そこへ案内してもらう。今夜はこれまでだな」という親父の言葉で引き上げていった。
行者は一晩中考えていた。 「なぜ俺はあんなことをしたのだろう。あれから一山越えてきて、誰にも知られぬはずがその日のうちに露見するとは、天罰が下ったに違いない。それにあの行李は空だった。
俺は親に捨てられて乞食の大将に育てられ、乞食もしたし盗人にもなった。やがて阿弥陀仏を勧めて歩くようになったが、行者といっても乞食と変わらぬ暮らしだった。
空腹の俺に昼を分けてくれた人をなぜ殺してしまったのか。思えばただ男の負った荷が欲しかっただけなのだ。
首を突いたとき、どうか助けてくれと男は言った。それを俺は聞き入れなかった。人に知れるのが怖いばかりに。
あんなことが出来たのは、俺が人でなしだからだろうか。きっと俺のような奴を鬼というのだ。世間にいう鬼とは俺のような奴のことに違いない。
間違いなく俺は殺されるだろう。だがそれは当然の報いだ。」
翌朝早く、村人と嫁は縄付きの行者を連れて出発した。良く晴れた秋天の冴え冴えとした空気の中、一行は無言で歩いて行った。山を越え隣村を通り抜け、また道が上りに掛かろうとする辺りに来ると、行者がここだと告げた。
遺体は大きな樟の根元に横たわっていた。首の血が黒く固まって衣を汚していたが、幸い山犬にも喰われておらず、取りすがって泣く嫁には、ただ眠っているだけに思えたかもしれない。
村人は罵声を浴びせながら行者を裸にすると、持ってきた鹿角の杖で幾度も突いた。行者は抵抗することもなく果てた。そして杖と共に藪の中へ投げ込まれた。
男の遺体は背負子に結わえられて村へ帰っていった。
夜の闇の中で、行者は目玉を飛び出させていた。突かれたときの衝撃のせいだったろうか。下腹からは血だらけの内臓がべっとりと流れ出て、それを三匹の山犬がむさぼり喰っていたが、それを眺めるかのように、二つの目玉は怪しく光っていたのである。
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