第32話 戻った日常
今日も良い天気!
窓を開けて、うーんって両手を上げて新鮮な空気を思いっきり吸い込んでから、顔を洗い歯を磨き着替えをすます。
朝から何かと忙しい。今日も元気に働かなくっちゃね!
キッチンへ行って食材の下準備。野菜の皮を剥いて切って、それから鍋に水を入れて火をかけておく。
そうしていると料理人達がやって来る。
「おはよう、サラサ。お、もうこんだけ用意してくれてるのか? 助かるよ」
「そう? 良かった! じゃあこれからテーブルの用意してくるね!」
意気揚々と食堂に行きテーブルセッティングしていると、ヘレンさんが入ってきた。
「おはよう、ヘレンさん!」
「おはよう。サラサちゃんは今日も早いのね」
「うん。やる事がいっぱいだしね!」
「でも、前より人数が多くなったから、あれこれしなくても大丈夫よ?」
「そうなんだけど、慣れって言うのかな? 何かしないと落ち着かないって言うか……」
「そう? あ、じゃあ、ご主人様を起こしてきてちょうだいな」
「え?! わ、私が?!」
「そうよ? サラサちゃんが」
「でもでも! ヴィル様はいつも自分でちゃんと起きてこられるよ?!」
「最近は少しお寝坊さんなのよ。だからサラサちゃんが起こしてあげなくちゃ」
「で、でも……!」
「はいはい、じゃあいってらしっしゃいねー」
ヘレンさんは私の背中を両手でグイグイ押すようにして、食堂から追い出した。
ヘレンさんってこんな強引な人だったっけ?
追い出された私は仕方なく、と言うか、オズオズと言った感じでヴィル様の部屋へと向かった。
ヴィル様の部屋の前に着くと、心臓のドキドキは速くなっていく。深呼吸を三回、しっかりしてから扉をノックする。
だけど返事はない。少ししてからもう一度ノックする。だけどやっぱりまた返事はない。
返事はなくても入って良いって、ヴィル様には言われている。だけど、だからって簡単には入れないよね。
ドキドキしながら少し扉の前で待ってから、意を決したようにカチャリと扉を開けて中の様子を伺う。
うん、ヴィル様はいないね。って事は、やっぱりまだ起きてらっしゃらないんだ。ここは寝室じゃなく居間で、そこにヴィル様の姿はなかったから。
部屋に入るだけでもこんななのに、寝室に起こしに行くなんてかなりハードル高いんですけど! って思いながら、寝室の前でまた深呼吸。それからあまり大きく叩かないようにして扉を三回ノックする。
返事がない。少ししてからまたノックするけど、まだ返事はない。
「失礼します」
と多分聞かれてないだろうけど、小声で言って礼をしてから扉を開ける。大きな窓のそばにあるベッドには、ヴィル様のお姿があった。
ソロリと近づいていく。なんだか起こしちゃいけない気がする。だって凄く気持ち良さそうに眠っていらっしゃるんだもの。
あぁ、寝顔もやっぱり素敵なんですね。髪も眉毛もまつ毛も、プラチナブロンドで光を浴びてキラキラ光っていてお綺麗です。
私のどす黒い真っ赤な髪色とは全然違いますね。
そんなふうにお顔を眺めながら思っていると、突然腕を掴まれた!
と思ったら、ぐいっと引き寄せられ、私はヴィル様の胸に飛び込むようなかたちになった。
「ヴィ、ヴィル様! 起きてらっしゃったんですか?!」
「あぁ……サラサが私の顔を覗きこんでいたのが分かったのでな」
「す、すみません! あの、えっと、その……」
「昨日は少し遅くまで起きていたんだ。だからもう少し眠りたいのだが」
「あ、そう、でしたか! 申し訳ありません! では……」
「サラサも一緒に眠るといい」
「えっ?! そ、それは、ダメです!」
「何故だ?」
「ですから、それは、その……!」
「ハハハ、そんな慌てなくてもいい。冗談だ」
「冗談?!」
驚いた! ヴィル様が冗談を言うなんて!
でも、最近のヴィル様はこんな感じ。なぜか感情が豊かになられたの。特に私にはそうされると言うか……笑顔も誰にでも分かるほどだし、言葉数も多くなった気がする。
ヴィル様に抱き寄せられたようになって、それは凄く嬉しいんだけど、やっぱり恥ずかしくてドキドキしていたら頭を優しくナデナデされた。もう、ヴィル様! 嬉しすぎて心臓がパンクしそうです!
私がドギマギしていたら、一つに結んだ髪紐をヴィル様がスルリと外された。長く真っ赤な私の髪がハラリと広がった。
その髪をヴィル様が指に絡めるように手に取り、唇に寄せる。まるで髪にキスをしているみたい……
もうダメ! もうこれ以上は心臓がもたない!
思わずガバッて起き上がるようにヴィル様から離れて、取り繕うように話し出す。
「あ、あの! 食事はこちらでなさいますか?! それとも食堂へ行かれますか?! あ、今日も良いお天気なんです! 庭のお花も元気で綺麗で! ですから! あ、の……!」
「そうか。なら後で庭園へ行こうか」
「わ、分かりました!」
「朝食は食堂へ行くよ。皆と食事がしたいのでな」
「はい! そのように!」
居た堪れない……!
すぐに姿勢を正して、勢いよく礼をしてからその場を走り去る。あぁ、ドキドキする! ドキドキする!
最近のヴィル様は私との距離がとても近いように感じる。それは凄く嬉しいんだけど、慣れない私はいつもこんな感じになっちゃうの。
そんな私を見て、ヘレンさんや他の人達も何故か嬉しそうにニヤニヤしながら見ている。いや、見守ってくれているのかな? 領主様と侍女がどうにかなるなんて、あり得ない事なのにね。
朝食の準備が終わると、ヴィル様は姿を現した。あぁ、本当に格好良いです。素敵すぎます。
私と目が合うと、ヴィル様はニッコリと微笑まれた。やめてください。鼻血が出て倒れてしまいそうです……!
ヴィル様がこんなふうにご自分の気持ちをお顔に出されるようになったのは、私が階段から落ちて目覚めてからだった。
私はエヴェリーナ様から肩を突かれて階段から落ちて頭を打ち、暫く眠っていたんだって。丁度お医者様が来られてて、だから私は運良く助かったみたい。その時に、魔力なしで体調が思わしくなかったのも、ちゃんと治療して貰えたみたいなの。
って事で私は今すっごく元気! それに、何故か魔法が使えるようになったの! 魔力が私の体に宿ったの!
お医者様は、元々あった魔力が何かに押さえ付けられていて、それが何かにより解除されたのではないか、とあやふやな事を言っていたけど、何が原因であれ、私が元気になったのは変わらないからどうでも良かったの!
でも、今は敢えて魔法を使う必要はないし、ただ魔力がこの体にあるって事で体調も万全だから、それでなにも問題はないよね!
でも何か忘れてる気がする……
それは昔々の事だったような、忘れたい事だったような忘れたくなかった事だったような……
まぁ、そうであっても、今の生活には何の支障もないから全く問題はないんだけどね。
使用人達も皆一緒に朝食を摂って、その日の仕事へと取り掛かる。こうやって使用人も含めて皆で食事をするようになったのも私が目覚めてから。
ヴィル様に何か心境の変化でもあったのかな? でも、それは悪いことでもなんでもなく、むしろ良いことだから良かったって思う。皆も嬉しそうだしね。
朝食を終えてから、私は庭園へ向かった。
庭園の一角にはヴィル様から頂いた草花が植えられてあって、その世話をするのは私の役目なの。
少しずつ成長していってる薬草や魔草、それに何か分からない草花も順調に大きくなっている。嬉しいなぁ。どんなふうに育つのか、ワクワクしちゃう。
ふと見ると、ヴィル様が庭園に来られたのが見えた。真っ赤な薔薇を見つめていらっしゃる。
ヴィル様は特に真っ赤な薔薇を気に入られてて、時々こうやって眺めに来られる。
前にエヴェリーナ様に荒らされたから、少し少なくなっちゃったけど、それでもここの薔薇はすごく綺麗なの。
でも前はこの薔薇を、ヴィル様は何故か悲しそうに、切なそうに見ていらっしゃったのに、最近は愛しい物を見るような目で眺めていらっしゃる。
それも心境の変化によってなのかなぁ?
そう思って見つめていると、私を見つけたのか此方までヴィル様がやって来た。
うぅ、緊張する……
最近のヴィル様がこんな感じだから、以前みたいに想いを口にする事が出来なくなっちゃった。でも気持ちは前とは変わらない。私はヴィル様を好きなままで、それは前よりも強くなってるみたいで……
ヴィル様は私の近くまで来るとニッコリ微笑んで私の手を絡めるようにして繋いで、真っ赤な薔薇の咲く方へと連れていった。こんなふうに手を繋がれたのにもドキドキしちゃう。
もちろん私は抵抗することなく、ヴィル様に連れられていく。
目の前には真っ赤な薔薇が美しく
「綺麗ですね……」
「そうだね。サラサの髪色と同じ、綺麗な色だね」
「私の髪は……こんなに綺麗じゃありません」
「そんな事はない。私は以前から思っていたんだ。落ち着いた赤い髪色は上品さを表しているようだと。この髪色が私は好きなんだよ」
「以前から……?」
「真っ赤な薔薇はね、愛情を意味するんだよ。サラサの髪色もそんな感じがするよ」
「えっ? い、いえ、私の髪色なんてそんな……!」
「サラサはもう私を好きだとは言ってくれないのかな?」
「そ、れは……」
「私は好きだよ」
「え……?」
「サラサが好きだよ」
「ヴィル……様……?」
「サラサは? もう私を好きではないのかな?」
「いえ! 私もヴィル様が、その、えっと……」
「うん、私が?」
「好、き……です……」
「そうか……そうか……良かった……」
ヴィル様は嬉しそうに微笑んでから、私をフワリと抱き寄せた。
なんて優しく抱き包むんだろう。まるで壊れ物を扱うように、とてもとても優しく包んでくださる。
「サラサ……この薔薇は全て君の物だよ」
「え……?」
「いっぱいの薔薇をプレゼントすると約束したんだ。それを果たさせて貰えないだろうか」
「えっと……それは、いつ……?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
「ヴィル様?」
少し伏し目がちになったヴィル様は、近くに咲いていた薔薇を一本手折られて、それを私の髪に挿してくださった。
そうされた事に何故か涙が出そうになった。
「もう一度、最初からはじめていこう。二人で一緒に」
「あ、の……何の事ですか……?」
よく分からない事を言ってるように感じて、私はヴィル様を見上げる。
不思議そうにしている私に、ヴィル様は軽く左右に首を振って、それから頬に優しくキスをされた。
驚きと戸惑いと恥ずかしさで、私は思わず下を向いた。顔は熱を持ったように熱くなっている。きっと赤くなってるはず……!
どうしちゃったんだろう? どうしちゃったんだろう?!
ヴィル様が私にこんな事を言ったりされたりするなんて!
嬉しいけど戸惑っちゃうよ!
どうしよう、顔が上げられない! 嬉しくて恥ずかしくて、どうして良いのか分からない!
「もう離さないよ。覚悟しておいて」
「……っ!」
耳元で
従者のアンドレがやって来て、
「そろそろ執務室に戻ってください」
と言ってきたのを
「仕方ないな」
とため息をついて、ヴィル様は私から名残惜しそうに離れて行かれた。
何がどうなってこうなっているのかは分からないけれど、それは嫌な事じゃなくて、むしろ嬉しい事で……
エヴェリーナ様も王都に帰られたし、だから私はここから出ていかなくても良くなったし、皆でこれからもここで過ごせるようになったし、ヴィル様のお傍にずっといられるようにもなった。
すべて元通り。この邸に平和が戻った。
でも前とはちがう。
私は赤い髪色のままで、黒にしなくても良いとヴィル様から告げられた。私の髪色を見ても、誰も嫌な顔をしなかったし、いつもと変わりなく接して貰えてる。有難くて嬉しくて涙が出そうだった。出さなかったけどね!
そして一番違ったのはヴィル様の私への態度。
私の事を何故か愛しい者を見るような目で見つめてくださる。微笑んでくださる。
私とヴィル様は身分があまりにも違いすぎる。だからどうにもならない筈。なのにそんな事は関係ないとばかりにヴィル様は私に積極的だ。
うん、気にしない。
今は身分とか、そんなのは気にしないでおく。
元より、どうにもならない相手だと分かっていたんだもの。ヴィル様が
ねぇヴィル様。
これからもここで平和に過ごしましょうね。
ヴィル様の心が変わったとしても、私はいつまでもいつまでもヴィル様が大好きですから。
いつまでもいつまでも。
いつでもどんな時も。
あなたは私の大切な人だから。
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