第20話 リノの道程 1
幼い頃の記憶はあまり思い出したくない。
「貴方の名前は貴族のお父さんから貰ったのよ」
と言うのが口癖だった母さんは優しい人だった。けれど、いつも義父さんに暴力を奮われていた。
いや、コイツは義父さんなんかじゃない。家に帰って来ては金を無心し、僅かばかりの金を強引に奪うとすぐに家を出ていく。
そのお金がないと生活ができないと、母さんが泣いてすがると
「鬱陶しい!」
と殴る蹴るの暴力を奮う。母さんを庇おうと、僕が前に出ると僕も同じように殴られた。
「俺の子じゃねぇのに、なんで育てなきゃならねぇんだよ?!」
そう言ってその男は僕たちをいつも虐げた。
母さんは朝から晩まで働いていた。いつも何処かに生傷を作っていて、それでも僕には微笑みを見せてくれていた。
「リノの本当のお父さんは貴族なの。貴方には半分、貴族の血が通っているのよ」
母さんはそれを誇りのように言うが、僕には何の意味もない事のように思っていた。そんな母さんはある日突然倒れて、それから一度も起きることなくこの世を去った。長年の疲労が溜まったのかなんなのか、急に心臓が止まったからだと説明された。
あの男は母さんが横たわっているのを見て、涙も見せずに家中を探すようにしてお金を持って、それから帰って来なくなった。
そうして僕は孤児院に送られる事になった
母さんが亡くなって悲しい筈なのに、僕は泣くことが出来なかった。もう何年も笑えてなかったように思う。母さんの微笑みは、いつも何処か諦めが入っているように感じて、素直にそれを受け止める事ができなかったんだ。
孤児院にいても、何も変わらない。誰も僕に干渉しないで欲しい。関わらないで欲しい。そう思っていた。
無理な笑顔や上辺だけの言葉にはウンザリだった。
元から一人だったように思う。母さんはいつもここではない何処かを見ていたような感じがした。いつか自分の元へ、その貴族が迎えに来ると思っていたようだった。だから女性としての佇まいにはだけは気をつけていた。
義父だった男は、はじめは母さんが凄く好きだったみたいだったけど、心ここにあらずな母さんに愛想をつかしたようだった。
僕はきっと、誰からも求められていなかった。ただ一人の肉親である母さんにも。
だから自分からも求めようとしなかった。
だけど、この孤児院に長年いる女の子、サラサが突き飛ばされたのを見た時は勝手に体が動いていた。どんな理由であれ、女に暴力を奮う男は許せない。それだけは自分に根付いた教訓のようだった。
サラサはいつも笑顔で元気な女の子だった。だけど、その髪色が深紅であったが為だけに、心無い虐めを受けていたのだ。
その髪色を僕は綺麗だと思った。淑やかな髪色は、落ち着いた上品な色合いで、僕は高級感のある髪色だと思っていたんだ。
きっと着飾ったら、何処かのお嬢様と見違えるようになるんじゃないかと思うくらい、サラサの髪色に心惹かれたんだ。
虐められても、サラサは元気だった。文句や悪口を言うこともなく、
「仕方ないねー」
と笑っているような子だった。
強い子だなって思った。どうして嫌な事をされても笑えるのかが分からなかった。
その笑顔に触れたかった。サラサといると、自分が何に拘って意固地になっていたのか分からなくなる程に心が癒されていった。
そしていつしかそれは恋と言うものに変わっていった。
サラサといると、自分を気負う事がなかった。素直になれた。自然に自分も笑えている事に驚いた。サラサを笑顔にしたくて、色んな話をした。サラサは僕の初恋の人で、かけがえのない存在となった。
そんなサラサに僕はプロポーズをした。
それは幼い自分が何とか伝えた精一杯の想い。サラサにはどう伝わったかな。
恥ずかしそうに下を向いていたサラサに、野バラを摘み取って髪に挿し、
「 大きくなったらサラサと同じ髪色の薔薇をいっぱいプレゼントするよ。真っ赤な薔薇はね、愛情を意味するんだよ」
そう伝えた。
サラサの小さな手を取って、一緒に山から孤児院まで帰ったあの時は幸せだった。
本当にサラサ以外に好きになれる人はいないと、あの頃から僕は思っていたんだ。
だけどその日の夜遅く、寝ている僕は院長先生に起こされた。何事かと、寝ぼけた目を擦りながら院長先生に連れられたのは応接室。そこには身なりの良い服を着た男の人がいて、
「間違いない。旦那様にソックリだ」
と言って笑った。
それからすぐに荷物も持たずに着の身着のままで、僕は孤児院から連れ出された。何が起こったのかよく分からなかった。どうして自分がここから連れて行かれるのかも理解出来なかった。
せめてサラサに最後に会いたかったけれど、それも叶わなかった。強引に手首を掴まれ孤児院の外に出たら、そこには見たこともない程に豪華な馬車が停まってあった。
もしかして……本当のお父さんが僕を迎えに来たの?
ならどうして母さんが亡くなった時に迎えに来てくれなかったんだろう。いや、それだとサラサと会うことも出来なかった。だから孤児院に来たことは僕にとっては必然だった。
だけど、どうしていきなり……
着いた場所は大きなお邸だった。その大きさに足がすくんでしまったけれど、引き摺るようにして僕は邸内へと連れていかれた。
待っていたのは僕と同じ髪色と瞳を持つ男の人。あぁ、あれが僕のお父さんか。そう直感した。
その人はジュリアーノ・ジョルジュ辺境伯。この辺境の地を守るその人だった。
その傍らに金の髪色が綺麗な青い瞳の女の人がいて、ずっと僕を睨み付けていた。
父は僕を笑顔で迎えてくれた。きっと横にいる女の人は奥さんなんだろう。他の女の人との子供をその人が快く受け入れられる筈はない。僕は瞬時にその事を理解した。
「よく来てくれたね。名前はなんと言うんだい?」
「……リノです」
「リノ……? 厚かましくもジュリアーノ様の名前から頂いて名付けたとでも言うつもり?!」
「やめないか、エスメラルダ」
「嫌よ。そんなこれ見よがしな名前なんて!」
「分かった。分かったから落ち着いてくれないか。リノ、君を私の息子として迎えよう。だがその名前は変えさせて貰うよ。良いね?」
「え……でも……」
「たかが平民に口答えは許しません! わたくしが教育をしなおします!」
僕を息子にすると言う癖に、平民だと言い放つエスメラルダと呼ばれたその人は、僕の母親となる筈の人だった。
手続き上はそうなった。僕は養子として迎え入れられ、辺境伯令息となった。名前もリノからヴィルヘルムと言う堅苦しい名前に変えられてしまった。
だけど、その人は自分の事を母上とは呼ばせずに、『エスメラルダ様』と呼ばせた。同じように僕が父親にジュリアーノ様と呼ぶと、
「ヴィル、私を父上と呼んで貰えないだろうか」
と、懇願するように言われてしまう。だから父上、エスメラルダ様と呼び分けるようになってしまった。
ただ、エスメラルダ様の前では、ジュリアーノ様と言わなければ後で折檻されてしまうので、気をつけて呼ばなければならないと言うややこしい事となっている。
エスメラルダ様には日々、貴族としての教育を受けている。と言うよりも、それは教育という名の虐待だった。
僕を気に入らないエスメラルダ様は、少しでも僕が自分の思うように動かないと、手にした馬を焚き付ける時に使う鞭で容赦なく殴り付けてきた。姿勢、立ち居振舞い、貴族の名前や関係性等の知識を、文字通り叩き込まれた。
魔法や剣術は流石に他の講師をつけられた。そして学問に関しても専用の講師がつけられた。
跡取りとして、僕はそうやって鍛え上げられていったのだ。
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