第6話 むかしむかしの記憶
持っていたゴミ袋はどこへやら、私はトボトボと歩いていて、そのままフラリと倒れてしまいそうになって、でも何とか自室まで覚束ない足取りで歩いて行った。
あぁ、頭がクラクラする。
ヴィル様の言うとおり、部屋で大人しく寝ていたら良かった。やっぱりヴィル様は正しいね。私なんてやる事なす事、間違ってばっかりだよ。
ベッドで倒れるようにして、また私はそのまま眠ってしまった。
ねぇヴィル様……サラサって名前を付けてくれたのはヴィル様でしたね。
あの時……幼い頃ヴィル様に拾って頂いた時、名前を聞かれても何も答えなかった私に、『サラサ』と名付け、呼んでくださったのはヴィル様でしたよね。
もう過去に囚われないで欲しいと言いながら、私はあの時嬉しかったんです。そして切なくもなったんです……
ゆっくりと目を閉じると、暗闇が私を覆っていく……
あぁ、これは夢……
むかしむかしの遠い日の夢……
「こら! お前ら、サラサを苛めるな!」
「ヤバい! リノが来た! 皆、逃げろ!」
あぁ、そうだった。私はよく苛められてたんだった。この地では珍しい、深紅の髪色をしていたから、皆が血の色だって揶揄いながら私を苛めてきたんだ。
それをいつも助けてくれるのはリノ。優しいその子は私と同い年の男の子。
私はここでも孤児だった。ここは孤児院で、さっき私を苛めていた子達もリノも同じ孤児院に住んでいた。私たちはここで慎ましく、だけど優しい大人達の世話になりながら、幸せに暮らしていた。
私は生まれて間もない頃に孤児院の前に捨てられていて、だから親という存在を知らないまま育った。
生まれた頃から孤児院にいたから既に自分の環境を受け入れてる。そんな私は途中で入所してくる子を迎え入れるのは慣れたもの。その中にいたのがリノだった。それは私とリノが8歳の頃だった。
リノはお母さんと二人暮らしだったみたいだけど、お母さんが病気で亡くなってしまって、仕方なくこの孤児院に来ることになったんだって。
リノは入所当時、悲しみに打ちひしがれていて、誰の事も拒絶してしまうような状態だった。
きっと悲しい事だけじゃなく、つらいことも嫌なこともあったんだろうな。誰も信じない、受け入れない、リノはそんな何かを諦めたような目をしていた。
だからか、よく喧嘩を仕掛けられていた。嫌味を言われたり物を隠されたり。だけどリノは無反応。
そんなリノが怒ったのは、私が苛められていた時。リノの時と同じように嫌味を言われ、物を壊されて、怒った私が詰め寄ったら逆に突き飛ばされて、壁に頭を打ち付けてしまった時。
「女に手を上げる男は最低だ!」
そう言って私を守るように苛めた男の子を撃退してくれた。
それからは苛められていると私を守ってくれるようになった。私はそんなリノの優しさに惹かれていった。そして少しずつリノは、私にだけ心を開いていってくれた。
リノと一緒にいたら苛められない。だけどそんな事は関係なく、私はずっとリノと一緒にいた。リノも私と一緒にいてくれた。
リノは穏やかに笑う子だった。話し上手で優しくて、だけど私の話もしっかり聞いてくれて。
リノのアッシュブロンズの髪はとても綺麗で陽を浴びてキラキラ光る。瞳は藍色で、月の光をを浴びた夜空みたい。私のどんよりした暗い赤の髪色と真っ黒な瞳とは全然違う。無い物ねだり。だけど羨ましいとか、そんなんじゃなくて。ただリノを綺麗だと思った。そう。私はリノに恋をした。
それは幼い頃の淡い想い。
孤児院の大人達は、私達を見て本当の兄妹のようだと微笑ましく思っていたようだけど、私はそうじゃなかった。日に日にリノを好きになっていく。リノが格好良く見えてくる。
だけどそれは言えなかった。今の関係が心地良かったし、私がそう言ってしまった事で関係が悪くなるのが嫌だったから。
そんなある日、近くの森へ果実を収穫しに二人で山の麓へ行った時のこと。休憩に木の根元に座り込んで、収穫したばかりの果実を食べていた時、リノは私に言ってくれたよね。
「大きくなってもずっと一緒にいたい。サラサ、僕のお嫁さんになってくれないかな……」
驚いた私は何も言えなかった。心臓がドキドキして、嬉しくて信じられなくて、言葉が出てこなかった。そんな私にリノは
「考えててね。返事はいつでも良いよ。僕はずっとサラサが好きだから」
そう言って微笑んでくれた。そして、そこに咲いてあった野バラを一本摘み、私の髪に挿してくれた。
私は自分の髪色が嫌いだった。このせいでみんなに揶揄われる。どんより暗い血のような赤い髪。
だけど、リノはこの髪色が好きだと言ってくれた。そして、髪に同じ色の薔薇を挿してくれたね。
「大きくなったらサラサと同じ髪色の薔薇をいっぱいプレゼントするよ。真っ赤な薔薇はね、愛情を意味するんだよ」
そう教えてくれたのもリノだった。その日から私は真っ赤な薔薇が大好きになった。
今でも後悔する。どうしてあの時、私はすぐに答えなかったんだろう。
「私もリノが好きだからお嫁さんになりたい」
って、どうして言えなかったんだろう。
嬉しくて、でも恥ずかしくて、私は何も言えなかった。だから明日はちゃんと自分からも言おうって、私も好きだって言おうと決めてその日は眠った。
それが幸せな気持ちと共に眠れた最後の日となった。
翌朝、リノはいなくなっていた。
子供が寝静まった頃にやって来た人に、リノは引き取られて行ったと告げられた。
突然の事にどうして良いのか分からなかった。いつもと同じように、朝起きたらリノに会えると思ってた。だから今日会ったら、昨日の答えを言おうと思ってたのに……
その時思ったの。伝えたい事は、その時にしっかり伝えておかないといけないって。いつどうなるか分からない。当たり前の事なんて何もない。私はそれをこの時思い知ったから。
リノは貴族の子供だったんだって。その貴族様の邸で下働きをしていたリノのお母さんと、その貴族様の令息との子供だったんだって。
だけど令息にはすでに婚約者がいて、平民だったお母さんと結ばれる事はなかった。追い出されるように仕事を辞めさせられたお母さんは、僅かな手切れ金を手にして小さな街で生活する事になったって。
だけど、その令息には子供ができなかった。近しい者に適齢の子供がいなかったが為に、リノの存在が浮上したらしい。母親が既に亡くなっていた事が功を奏したと、迎えに来た人が言ってたんだって。人の不幸をそんなふうに言うだなんて、貴族ってヤな奴だなって思った。
最後に別れの言葉も言えないで、自分の本当の気持ちも言えないで、私とリノは別れる事になってしまった。それは私が12歳の頃。リノとの出会いから4年が経った頃の事だった。
そのすぐ後、私にも養女となる話が持ち上がった。
ここは国境近くにある街の孤児院。当時、まだ隣国とは敵対関係になく、平和で穏やかな日々を過ごしていた。
だから、隣国からの移民も多かったし、こちらからも気軽に旅行に行けたり、輸出入も盛んだったから、この街は隣国と友好的な関係状態だった。
そして私を養女にと求めたのは、隣国のお貴族様だった。
その人は一代限りの騎士爵位。元は平民だって。だけど、自分の息子にも騎士爵位を与えたいんだって。その息子は魔法に長けているらしく、将来は魔法剣士にさせたいと思っているみたいで、魔法の特訓に付き合える程の魔力持ちの子供を探してたんだって。
私の魔力は凄く多い。10歳の頃に魔力鑑定をするのが恒例になっていて、近くの教会で魔力鑑定をして貰った時にそれは判明した。
この街一番だって、周りにいる皆が何故か喜んでいたのを覚えている。
その情報を聞き付けたのか、そのお貴族様は私を養女にしたいと申し出てきた。出来ることならここから離れたくなかった。孤児院だけど、ここは私の家だもの。意地悪する子もいてるけど、ここには優しい大人達がいる。お母さんのような存在の先生と、優しくお父さんのように見守ってくれている院長先生がいるから、ここから出ていきたくなかった。
だけど、それは無理な話だった。孤児はいつの時代も存在する。誰かが出て行かなければ入れなくなる子もでてくる。だから機会があれば出て行かなければならない。これは義務なんだ。
そうして私は孤児院から隣国にあるお貴族様の邸に行く事になった。
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