心を捨てた冷徹伯爵は聖女(義妹)を溺愛していることに気づいてない

菜々

第1章 心を捨てた少年と監禁された少女

第1話 崩壊した伯爵家


 由緒正しきヴィリアー伯爵家が静かに崩壊した。

 

 使用人の誰もが口を漏らさなかったためそれが外に知られることはなかったが、当主であるジュード卿とその妻のイザベラ、そして1人息子のグレイが笑顔で食卓を囲むことはもう二度とないだろう。


 ジュード卿は別邸に入り浸っていて本邸には顔を出さず、イザベラは幼い息子の世話も伯爵夫人としての仕事もすべて放棄し部屋に閉じこもっている。

 家族間の会話がなくなり、ヴィリアー伯爵家は常に静寂に包まれていた。



 順風満帆だった伯爵家が狂ってしまった原因……それは、ジュード卿が『2人の女』と出会ってしまったことだった。

 



 ある晩突然、ジュード卿が赤ん坊を抱いた若い女を連れて帰ってきた。


 知り合いなのか、はたまた自分の愛人なのか、ジュード卿は驚く妻に何も説明しないまま、敷地内にある別邸をその女に譲り渡した。

 大きな別邸は見知らぬ女のものになり、その日からジュード卿が本邸に顔を出すことはなくなった。


 元々愛情深い父親ではなかったが、それでも突然姿を見せなくなった彼に対して、妻のイザベラと息子のグレイは戸惑いを隠せず精神的に追い込まれていく。



 ジュード卿の妻イザベラは、大人しく可憐な女性であった。


 そのような行動をした夫を非難することもなく、見知らぬ女に暴言を吐くこともなく、1人静かに部屋にこもってしまった。

 もう何年外に出ていないのだろうか。

 幼い息子の呼び声にも答えず、彼女はこの日から夫だけでなく息子の顔を見ることもなくなった。

 

 時折部屋を破壊している騒音や彼女の奇声が屋敷に響き渡ることがあるが、誰1人として彼女に声はかけない。

 落ち着いた頃に、使用人が掃除をしに部屋を訪れるだけだ。



 そんな幼少期を過ごした1人息子のグレイは、見目麗しい美少年に成長していた。


 学園ではその見た目と驚くほどの頭脳の持ち主ということで、生徒や教師からは一目置かれている。


 部分的にシルバー色が混ざっている艶のある黒髪。

 めずらしい髪色だったが、端正な顔立ちと合わせるとそれすらも美しく見えていた。


 しかし美しい見た目と反し、彼に思いやりや優しさというものはなかった。

 困っている人や泣いている人を見ても、彼の心が動かされることはない。勉学は優れているが、人の感情に関わる部分は不得意であった。



 グレイ少年は生まれつきそんな冷徹な性格だったわけではない。


 幼い頃は笑顔で父親に寄り添い、泣きながら母親に抱きしめてもらっていたこともある。

 喜怒哀楽のある、普通の子どもだったのだ。


 彼が感情をなくしたきっかけは、もちろんヴィリアー伯爵家が崩壊したことによるもの。

 あの当時、彼はまだ6歳だった。


 突如、自分の父に新しい家族ができてしまったこと。

 父がグレイに会いにくることはなく、会話どころか挨拶をすることも、顔を合わせることすらなかった。


 そして、それにより優しく美しかった母が精神を壊し廃人になってしまったこと。

 グレイがどんなに泣いてもすがろうとも、高熱の病気になろうとも、母が部屋から出てくることはなかった。


 そんな生活に一変した彼は、信じていたもの全てに裏切られ自身の心を壊してしまったのである。


 笑顔をなくし、希望を捨て、彼は冷徹非道な男へと成長していく。



 12歳になったグレイは、父であるジュード卿が誰と過ごしていようがもう気にもとめていなかった。


 しばらくは頭から離れずにいた女の顔も、その赤ん坊の顔も、今となっては思い出せない。

 数年もの間、父と顔を合わせていないことにも気づいていなかった。


 グレイの頭の中では、もう父のことなど消え去っている。



 同じ屋敷に住んでいる母イザベラとも、グレイはもう何年も顔を合わせていない。

 もちろんそのことも気にしてなどいなかった。


 昔は耳を塞いでしまうほど嫌悪していた母の突如の叫び声や狂った笑い声も、今では耳を塞がなくとも聞こえてくることはない。

 脳が完全に母を遮断しているのだ。


 グレイの頭からは、母のことすらも消え去っていた。



 そうして家族バラバラに過ごすようになって数年……変化は突然訪れた。


 ジュード卿と女が外出先で事故に遭い、2人とも死んだのである。


 執事のガイルからそう報告を受けた時にも、グレイにはなんの感情も湧かなかった。

 口から出た言葉は「そうか」の一言。頭の中に浮かんだのも、それだけだった。



 グレイにとって父と女の死はほんの些細な出来事だったが、母イザベラにとっては衝撃的な事件である。


 時には大喜びをして歓声を上げたり、時には屋敷に響き渡るほどに泣き叫んだり、時には怒り狂った叫び声を上げて大暴れしていた。


 そんな狂った母親は、ジュード卿が死んで1ヶ月後に突然正気を戻したかのようにグレイを呼び出した。

 母と息子がまともに顔を合わせるのはいつぶりだったのだろうか。



「この家は私が支えます。死んだ主人の代わりに、私が新しい伯爵家当主として立派にお勤めを果たしましょう」



 イザベラが堂々とした態度で発言した。

 冷静を保っているようだが、その瞳に生気は感じられない。青白く真っ白な肌、痩せてガリガリの身体、痩けた顔、艶をなくしたボロボロの髪。


 まるで生きる屍が喋っているようだ、とグレイは思った。



 いくらこの国では女性も爵位を継げるとはいえ、通常であればこんな精神を壊している者に家を任せたりなどしない。


 だが昔からいる執事も数人のメイドも、誰も止めようとする者はいなかった。

 死んだような目で成り行きを見守っているだけだ。



 

 使用人もみんなおかしいのか?

 ……それもそうか。まともな人間なら、とっくにこんな屋敷の使用人なんて辞めているだろうからな。




 そんなことを考えつつ、イザベラの報告に反対をしなかったのはグレイも同じだった。


 どうでも良かった。こんな家にも自分にも愛着がない。

 たとえ自分が野垂れ死にすることになっても構わないとさえグレイは思っていた。



 こうしてすぐ潰れると思われたヴィリアー伯爵家は、意外にも順調に経営を続けていく。

 財政困難になることもなく、むしろ以前よりも裕福になってさえいた。


 骸骨のように痩せ細り、20は老けて見えていたイザベラも、気づけば昔の美しさを取り戻してきていた。

 肉付きも良くなり、顔の血色も良くなっている。


 あの女にこんなにも経営能力があったのかと、グレイは驚いていた。とてもではないが信じられない。

 だからといって、不正などしていないか調べようとは思わなかった。



 イザベラが伯爵家を継いで1年経った頃、グレイは初めて自分の母親の行動を意識するようになっていた。

 決して家族としての愛情からではない。ただの小さな好奇心だった。



 イザベラはなぜか毎日夫と女が暮らしていた別邸へ足を運んでいる。

 昼間はほぼ別邸に入り浸り、夜になると本邸へ帰ってくる。


 伯爵家の仕事を引き継いでいるのだから、別邸に移動されていたジュード卿の書斎で仕事をしているのかもしれない。

 ジュード卿も別邸に入り浸りで、家にいる間はほぼ本邸に来ることはなかった。


 イザベラも似たような理由だろう。

 そう思うのに、なぜかグレイはそんな理由ではないと感じていた。あの女がそんなに真面目に仕事をしているとは思えない。




 そもそも、自分の夫と女が暮らしていた家に行きたがるものなのか? 

 いったい毎日あの別宅で何をしている?




 グレイが好奇心からイザベラを疑い始めて数ヶ月後、イザベラは夜になると頻繁に夜会へ出かけるようになった。

 そのまま朝まで帰ってこないなんてことも日常茶飯事である。


 グレイはとうとう、別邸への侵入を決意した。

 



 あそこには何かがある!




 その日の夜。

 イザベラが夜会に出かけたのを確認したグレイは、静かに屋敷を抜け出して庭を走り抜け、目当ての別邸へとやってきた。


 窓から見えていたジュード卿と女の暮らしていたこの別邸。

 近寄るのも苦痛だったため、グレイがこの場所に来るのは実は初めてであった。


 ここの鍵は、事前にイザベラの部屋から盗ってきている。

 金庫に隠すこともなく乱雑にテーブルの上に置かれていたため、簡単に手に入った。


 昔のイザベラなら考えられないほどの怠惰だ。

 見た目が戻ってきていても、中身は昔には戻っていないのだと、グレイは改めて気づかされた。


 ガチャガチャッ


 鍵を開けて中に入る。

 真っ暗な室内には月の光しか明るさがない。


 カーテンが開けたままになっているため、そのわずかな光でもなんとなく室内の様子を見ることができた。

 特に荒れた様子も、不自然なほど高級な調度品などもなく、普通の貴族の家といった感じだ。


 グレイは書斎を探して、それほど大きくない2階建ての建物の中をゆっくり歩き回った。

 どの部屋も綺麗に片付いていて、あまり人が使っている気配を感じられない。



 端から順番に部屋を確認していたグレイは、2階1番奥の部屋へ入るなりその異物に目を奪われた。

 部屋の真ん中にはグレイの身長と変わらない高さの檻が置いてある。

 



 部屋の中に大きな檻? 

 猛獣でも飼ってるのか?




 そんなことを考えながら檻に近づいたグレイは、その中にいるを見て目を見開いた。


 薄暗い部屋の中でもわかるほどの美しいプラチナブロンドの長い髪。

 両目には真っ黒の眼帯がつけられ、片足は鎖で繋がれている幼い少女がそこに静かに座っていた。

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