心を捨てた冷徹伯爵の無自覚な初恋〜聖女マリアにだけ態度が違いすぎる件〜

菜々

第1章 心を捨てた少年と監禁された少女

第1話 狂った伯爵家


 ヴィリアー伯爵家は狂っている。

 使用人として働く者達は皆、口を揃えてそう言うだろう。


 順風満帆だった伯爵家が狂ってしまった原因は『女』であった。

 


 ヴィリアー伯爵家当主のジュード卿は、とても狡猾な男である。


 金の亡者でもあった彼は、ある日突然赤ん坊を抱いた若い女を連れて帰ってきた。驚く妻や使用人に何の説明もないまま、彼は敷地内にある別邸を女の家とし、金銭の補助をしながら何年もそこに母子を住まわせている。



 ジュード卿の妻イザベラは、大人しく可憐な女性であった。


 そのような行動をした夫を非難することもなく、愛人である女に暴言を吐くこともなく、1人で部屋にこもってしまった。もう何年も外には出てこない。

 

 時折部屋を破壊している騒音や彼女の奇声が屋敷に響き渡ることがあるが、誰1人として彼女に声はかけない。落ち着いた頃に、使用人が掃除をしに部屋を訪れている。



 ジュード卿の一人息子グレイは、まだ子どもとは思えないほど冷徹な性格をしていた。


 学園ではその見目麗しい顔と驚くほどの頭脳の持ち主ということで、生徒や教師からは一目置かれている。


 艶のある黒髪には、部分的にシルバー色が混ざっている。めずらしい髪色だったが、端正な顔立ちと合わせるとそれすらも美しく見えていた。


 しかし美しい見た目と反し、彼に思いやりや優しさというものはなかった。困っている人や泣いている人を見ても、彼の心が動かされることはない。勉学は優れているが、人の感情に関わる部分は不得意であった。



 グレイ少年は生まれつきそんな冷徹な性格だったわけではない。


 幼い頃は笑顔で父親に寄り添い、泣きながら母親に抱きしめてもらっていたこともある。喜怒哀楽のある、普通の子どもだったのだ。



 彼の性格が変わってしまった原因は、間違いなく父親が愛人を連れてきたことだろう。愛する父が愛人と赤ん坊を屋敷に連れて来たのは、彼がまだ6歳の時であった。


 突如自分の父に自分以外の……いや、自分以上に大切な家族ができてしまったこと。父であるジュード卿は、愛人が来てからグレイには近寄らなくなった。


 会話をすることも、顔を合わせることもない。


 そして、それにより優しく美しかった母が精神を壊し廃人になってしまったこと。グレイがどんなに泣いてもすがろうとも、高熱の病気になろうとも、母が部屋から出てくることはなかった。


 そんな生活に一変した彼は、信じていたもの全てに裏切られ自身の心を壊してしまったのである。


 笑顔をなくし、希望を捨て、彼は冷徹非道な男へと成長していく。



 12歳になったグレイは、父であるジュード卿が愛人と過ごしていようが、もう気にもとめていなかった。


 しばらくは頭から離れずにいた愛人の顔も、その赤ん坊の顔も今となっては思い出せない。数年もの間、父と顔を合わせていないことにも気づいていなかった。


 グレイの頭の中では、もう父のことなど消え去っている。



 同じ屋敷に住んでいる母イザベラとも、グレイはもう何年も顔を合わせていない。もちろんそのことも気にしてなどいなかった。


 昔は耳を塞いでしまうほど嫌悪していた母の突如の叫び声や狂った笑い声も、今では耳を塞がなくとも聞こえてくることはない。脳が完全に母を遮断しているのだ。


 グレイの頭の中は、母のことすらも消え去っていた。



 そうして家族バラバラに過ごすようになって数年……変化は突然訪れた。


 ジュード卿と愛人が外出先で事故に遭い、2人とも死んだのである。


 執事のガイルからそう報告を受けた時にも、グレイにはなんの感情も湧かなかった。口から出た言葉は「そうか」の一言。頭の中に浮かんだのも、それだけだった。



 グレイにとって、父とその愛人の死はほんの些細な出来事だったが、母イザベラにとっては大きな事件である。


 時には大喜びをして歓声を上げたり、時には屋敷に響き渡るほどに泣き叫んだり、時には怒り狂った叫び声を上げて大暴れしていた。


 そんな狂った母親は、ジュード卿が死んで1ヶ月後に突然正気を戻したかのようにグレイを呼び出した。母とまともに顔を合わせるのはいつぶりだったのだろうか。



「この家は私が支えます。死んだ主人の代わりに、私が新しい伯爵家当主として立派にお勤めを果たしましょう」



 イザベラが堂々とした態度で発言した。

 冷静を保っているようだが、その瞳に生気は感じられない。青白く真っ白な肌、痩せてガリガリの身体、痩けた顔、艶をなくしたボロボロの髪。


 まるで生きる屍が喋っているようだ、とグレイは思った。



 いくらこの国では女性も爵位を継げるとはいえ、通常であればこんな精神を壊している者に家を任せたりなどしない。


 だが昔からいる執事も数人のメイドも、誰も止めようとする者はいなかった。死んだような目で成り行きを見守っているだけだ。


 

 家族以外もみんな狂っているのだろうか。

 それもそうだろう。まともな人間ならば、とっくにこの屋敷をやめているはずなのだから。



 イザベラの報告に反対をしなかったのは、もちろんグレイも同じである。


 どうでも良かった。こんな家にも自分にも愛着がない。たとえ自分が野垂れ死にすることになっても構わないとさえグレイは思っていた。



 こうしてすぐ潰れると思われたヴィリアー伯爵家は、意外にも順調に経営を続けていく。財政困難になることもなく、むしろ以前よりも裕福になってさえいる。


 骸骨のように痩せ細り、20は老けて見えていたイザベラも、気づけば昔の美しさを取り戻してきていた。肉付きも良くなり、顔の血色も良くなっている。


 あの女にこんなにも経営能力があったのかと、グレイは驚いていた。とてもではないが信じられない。だからといって、不正などしていないか調べようとは思わなかった。



 イザベラが伯爵家を継いで1年経った頃、グレイは初めて自分の母親の行動を意識するようになっていた。決して家族としての愛情からではない。ただの小さな好奇心だった。



 イザベラは何故か毎日夫と愛人が暮らしていた別邸へ足を運んでいる。昼間はほぼ別邸に入り浸り、夜になると本邸へ帰ってくる。


 伯爵家の仕事を引き継いでいるのだから、別邸に移動されていたジュード卿の書斎で仕事をしているのかもしれない。ジュード卿も別邸に入り浸りで、家にいる間はほぼ本邸に来ることはなかった。


 イザベラも似たような理由だろう。

 そう思うのに、なぜかグレイはそんな理由ではないと感じていた。あの女がそんなに真面目に仕事をしているとは思えない。



 そもそも、自分の夫と愛人が暮らしていた家に行きたがるものなのか? 一体毎日あの別宅で何をしているんだ?



 グレイが好奇心からイザベラを疑い始めて数ヶ月後、イザベラは夜になると頻繁に夜会へ出かけるようになった。そのまま朝まで帰ってこないなんてことも日常茶飯事である。


 グレイはとうとう別邸への侵入を決意した。

 


 あそこには何かがある!



 その日の夜。イザベラが夜会に出かけたのを確認したグレイは、静かに屋敷を抜け出して庭を走り抜け、目当ての別邸へとやって来た。


 窓から見えていたジュード卿と愛人の暮らしていたこの別邸。グレイがこの場所に来るのは、実は初めてであった。


 ここの鍵は事前にイザベラの部屋から盗ってきている。金庫に隠すこともなく、乱雑にテーブルの上に置かれていた。


 昔のイザベラなら考えられないほどの怠惰だ。

 見た目が戻ってきていても、中身は昔には戻っていないのだと、改めて気づかされる。


 ガチャガチャッ


 グレイは鍵を開けて中へと入っていった。真っ暗な室内には月の光しか明るさがない。


 カーテンが開けたままになっているため、そのわずかな光でもなんとなく室内の様子を見ることができた。特に荒れた様子も、不自然なほど高級な調度品などもなく、普通の貴族の家といった感じだ。


 グレイは書斎を探して、それほど大きくない2階建ての建物の中をゆっくり歩き回る。どの部屋も綺麗に片付いていて、あまり人が使っている気配を感じられない。



 端から順番に部屋を確認していたグレイは、2階1番奥の部屋へ入るなりその異物に目を奪われた。部屋の真ん中にはグレイの身長と変わらない高さの檻が置いてある。

 


 部屋の中に大きな檻? 猛獣でも飼っているのだろうか……。



 そんなことを考えながら檻に近づいたグレイは、その中にいる人物を見て目を見開いた。


 薄暗い部屋の中でもわかるほどの美しいプラチナブロンドの長い髪。両目には真っ黒の眼帯がつけられ、片足は鎖で繋がれている幼い少女がそこに静かに座っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る