第16話 リオニス……今なんと?

「リオニス!」


 食堂で一人寂しく昼食を摂っていると、茸のキッシュを喉に詰まらせてしまうほどの大音声に咳き込んでしまう。


「ゴホッゴホッ」


 女の子の日で情緒不安定なクレアが悠然とこちらに向かってくる。

 広い食堂内において、俺たちはまたたく間に注目の的となってしまった。

 奇異の目にさらされる俺はあちゃーっと頭を抱え、机に突っ伏してしまいそうになる。


「うわぁ!?」


 ドンッ! とテーブルに手をついて顔を近付けてくるクレアに対し、俺はびっくりして後ろにひっくり返りそうになる。


「今ちょっといいか!」

「見てわかる通り食事中なのだが?」

「またキッシュか。ってそれどころではない! すぐに私と一緒に来てほしい!」

「今日はベーコンではなく新鮮な茸のキッシュなのだぞ! で、来てほしいって一体どこに行くのだ?」

「そうだな。できれば二人きりになれる場所がいい!」

「ふ、二人きり!?」


 出し抜けにそのようなことを大声でいうものだから、俺だけでなく食堂に居合わせた生徒諸君が一斉に目をカッと開く。

 賑々しかった食堂は時間が止まったように静まり返った。静寂が耳に痛いほど、誰もが息を潜めて俺たちの会話に耳をすましている。


「そうだ! 私は別にいいのだが、リオニスはここだと、その、色々と困るだろうと思ってな」

「なっ、ななななんで俺がこここ困るんだよッ!」

「大勢に見られながらというのはさすがに恥ずかしいだろうと思ってな。私なりの配慮だ」

「大勢に見られながらだと!? お、お前は何を言っておるのだァッ!」

「だからこうして私なりに配慮をしていると言っているではないか!」


 真っ昼間の食堂で突然そのようなことを言い出すクレアに、俺は心底驚いていた。

 そういえば、女性は排卵日が近くなると性欲が強くなるという話を聞いたことがある。


 ダークエルフとハーフなクレアにとって、親しい異性の友人は俺だけなのだろう。


 だからといってそれはいくら何でも倫理的にどうなんだと、真面目に説教をしてやりたい。


 なにより、俺にはゲームの矯正力による作用なのか、性欲というものがまるでなく、常に賢者タイムなのだ。しかもインポの呪いにかかっている。


 いや、例えそうでなかったとしてもだ、友人のクレアとそのようないかがわしい関係になるわけにはいかん。


 彼女にももっと自分を大事にしてもらいたい。誰でも良いから性欲を満たしたいなど言語道断、エロゲの主人公ではないのだぞ。


「とにかくすぐに試したい! こっちに来てくれ!」

「お、おまッ!? バカ、よせ!」


 半ば強制的にクレアによって食堂の外に連れ出される俺を、生徒諸君は「おおっ!!」と食事も忘れて食い入るように見入っていた。



 連れてこられたのはいつかの草むら。

 たしかに此処は人気が少ないのだが、野外でという野性的な発想に言葉を失ってしまう。


「リオニス! 早速だがこれを飲んでくれ!」

「―――!?」


 渡された小瓶の中の液体は毒薬のような色味をしており、とても口に含もうと思えるような代物ではない。


 こいつ!? 俺がインポだということに気付いておるのか!

 だからこのような精力剤を、何という執念。しかも何か浮いている。

 なんだろうこれ?


「げっ!? なんだよこのタツノコみたいな気持ち悪いやつは!」


 まさかマムシドリンク的な効果を得るために、わざわざこんな気色悪いものを漬けているというわけではあるまいな。

 益々飲みたくない。


「"トキノシラホシ"と呼ばれるレアモンスターだ! 昨夜禁書庫で眠ってしまう前に目にした書物には、呪いにはトキノシラホシが有効だと書かれていたのだ!」

「……呪い? ああ、呪いか!」

「ん、どうしたのだ?」

「いや、うん。その、そうだよな」


 クエスチョンマークを浮かべるクレアが小首をかしげる。俺は誤魔化すように手にした小瓶を陽の光に透かしては見入るフリをする。


 とてもクレアがエッチなことを望んでいると思って冷や冷やしていたなど、言えるわけがない。


「これを飲めば俺の顔の呪いが解けるのか!」

「それはわからん」

「は?」

「私が禁書庫で読んだ書籍には、呪いを緩和させる成分を含むモンスターがトキノシラホシだと書いてあっただけなのだ。そこからヒントを得て作ったのが、この特製ドリンクというわけだ!」

「なるほど」


 今朝の用事というのはこの魔法薬を作ることだったのか。

 にしても、とんでもなく体に悪そうな色だな。


「どうした、飲まないのか? 遠慮はいらない。リオニスのために作ったのだ」


 そう言われても、これを飲むとなるとそれなりに勇気がいる。

 試しに蓋を開けて臭いを嗅いでみると、


 ――くっっっさ!


 何なんだこの牛乳を拭いた雑巾を真夏の炎天下に三日間放置したような臭いは! 鼻がもげてしまうかと思った。


 涙目になりながらも鼻は付いているよな? 取れていないよなと鼻筋に触れてたしかめる俺に、クレアは臭いは確かめないほうがいいぞと遅すぎるアドバイスをくれる。


「そういうことはもう少し早く頼む」

「相変わらずリオニスは細かいやつだな。それよりほら、早く飲んでしまうといい!」

「あっ、ちょっ――やめてぇッ!? うゔぇッ――!?!?」


 俺から激臭小瓶をひったくったクレアは、一気に飲んでしまえば問題ないと、俺の口に小瓶を無理矢理突っ込んできた。

 喉の奥にドロドロが流れ込んでくる。同時に意識が吹き飛びそうになる。


 しかし、次の瞬間には――


「痛ッ―――!?」


 顔の左半分に激痛が走る。次第に痛みは激しさを増し、焼けただれるような熱と痛みに意識が刈り取られそうになる。


「リオニス!?」


 その場で転げ回る俺は、少しでも熱を冷まそうと湖に頭から顔を突っ込んだ。


 一体何なのだ、この痛みは!


「ぶはぁッ!?」

「リオニスしっかりしろ! リオ……ニス!?」


 力任せに引き上げられた俺は、誤って水を飲んでしまい噎せてしまう。そんな俺の顔を見つめるクレアが、一瞬息を止める。

 そして、スッと息を吸っては目を瞠る。


「リオニス……その顔!?」

「へ?」


 言われて火傷跡に手を伸ばす。

 が――


「あれ、どうなっているのだ!?」


 いつもはパイナップルの表面を撫でるようなざらついた肌が、なぜか信じられないくらいにスベスベだった。

 こんなことは絶対にあり得ない!

 そう思いながらも水鏡に映った自分の顔を覗き込んだ俺は、そこで眉目秀麗な少年と目が合う。


「これが……おれ?」


 そこに醜きリオニス・グラップラーの面影はなかった。

 呆然と理想を絵に描いたような自分自身の姿に見惚れる俺に、成功したのだなと喜びを爆発させるクレア。


 俺は彼女に感謝の言葉を述べようと振り返り――


「黙れ、ブス!」

「へ……?」


 まったく以て心にもない言葉が口から飛び出した。


「リオニス、今なんと?」


 俺はすぐに今のは誤解だと、謝罪しようとしたのだが。


そんな酷い言葉を言うつもりはなかった馴れ馴れしく俺様に近付くでないわ! すまないクレアこのビッチめがッ!」

「………」


 なぜ思ってもないことが次々と口から飛び出すのだ!?

 ポカーンと立ち尽くすクレアと目が合い、俺は違うのだと全力で首を横に振る。


言葉が勝手に変換されるのだ公爵家の俺様と下劣な森の一族の血を引く賢しい貴様が俺はこのようなこと断じて思っていないまさか同等だとは思っておるまい? ごがいぃぃぃっ身の程をじぃぃぃっ――」


 俺は黙れと自分の口を引き裂くように力一杯引っ張り、すぐに両手で口を塞いだ。


 これは何かの間違いなのだと、俺は涙目のまま必死に顔だけでクレアに訴えた。

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