第15話 怒れるイザークと水檻

 午前の授業を終えて曰く付きの回廊を歩いていた俺は、あの絵画の前で足を止めてしまう。


「魔女の茶会か」


 絵画の題名につい足を止めてしまった俺は、無意識のうちに昨夜の上級生を思い出していた。名前が分かれば文句の一つも言いに行けるのだけれど、肝心の名前が分からなかった。


 黒髪な彼女につながる手掛かりがあるとすれば、杖剣の柄部分に施された特徴的な林檎の細工くらい。

 そんなことを考えながら巨大な絵画を鑑賞していると、「Mr.グラップラー」背中越しに名前を呼ばれた。

 振り返ると昨夜の上級生と同じ、黒髪が印象的なサシャール先生が立っていた。


「芸術に興味があるのですか?」

「特にそういうわけではないのだが」


 なんと答えたものかと苦笑する俺に、先生は悩みごとですかと投げ掛けてきた。

 俺は思いきって昨夜の女子生徒について聞いてみることにする。


「柄の先端部に林檎の細工が施された杖剣を持つ五年生ですか? そんな特徴的な杖剣を所有する生徒なんていましたかね?」


 教壇に立つ教師ならあるいはと思ったのだが、どうやらサシャール先生は心当たりがないようだ。あまり目立たない生徒なのだろうかと思案するも、あの得体の知れない存在感と凄味を思い出せば、それは考えにくい。


「そもそも林檎とは叡智の象徴。古くは魔法使いの象徴ともされていました」

「魔法使いの?」

「はい。まだここがアメント国ではなく、魔法王国アヴァロンと呼ばれていた時代には、林檎の国と呼ばれることもあったと歴史に詳しい魔法書グリモワールには記されていたはずです」

「アヴァロンか」


 今は無きアヴァロン亡国の名を聞くと、どうしても九姉妹の魔女が頭を過ぎってしまう。

 けれども、アヴァロン王国は百年以上前に滅び去った国。九姉妹の魔女も歴史上の人物である。


「そういえば図書室に泥棒が入ったとか?」


 それとなくそちらの探りも入れておく、もしかしたらまだ忍び込む余地が残っているかもしれないと、淡い期待を抱いていたりもする。


「それなら心配は要りませんよ。ヴィストラールが対策を施したようですし。それに、例の魔法書グリモワールはより安全な場所に移し替えられたらしいです」

「例の魔法書グリモワール?」

「あっ、いえ、こちらの話です。次の講義の準備があるのでもう行きますね」


 あきらかに何かを誤魔化したサシャール先生が、一瞬ピクッと眉根を動かした。

 それから耳を押さえる素振りを見せては「またですか!?」困惑した表情で足早に回廊を駆けていく。


 例の魔法書グリモワールとは、ヴィストラールの恥ずかしい過去を記録したというあれだろうか? そんなもの誰が見たがるのだろう。


 そう思いながら歩いていれば、慌ただしい教師数名とすれ違った。先程のサシャール先生といい、何かあったのだろうか?


 不思議に思いながら食堂に向かっていると、前方の連絡通路に人集りができていた。そこから聞き覚えのある上から目線な声音が響いてくる。


「この僕が口先だけだとッ! どうやら君たちは余程この杖剣の錆になってしまいたいようだね!」

「言ってろ間抜け! くだんねぇインチキ使った挙げ句、ゾンビ野郎にみっともなく伸されたくせによ!」

「どうせガリ勉野郎のことだ。実力もないくせに師範ガーブルにおべっか使って取り入っただけなんだろ!」

「もしくは金でも積んだか? さすが元卑しい商人の息子だけある。爵位を買って貴族気取りかよ。くだらねぇ。恥を知れ!」

「なっ!? 僕のことは構わない。だがっ! クルッシュベルグ家を愚弄するというのならば容赦はしない!」


 いつかのヘルメット頭君こと、イザーク・クルッシュベルグが強面な男子生徒数名に絡まれている。話の内容からして俺に敗れたことが原因のようだ。


「なっ、なにムキになってんだよてめぇ!?」 

「それはさすがにやべぇだろ!?」

「うるさいっ! 取り消せぇッ――!」


 家のことを侮辱されたイザークは腰の杖剣を勢いよく抜刀。眼前の男子生徒たちに突きつけていた。

 彼の据わった目と抜き放った杖剣の切っ先を見て、男子生徒たちの顔が一気にこわばる。


「そこまで言われて黙っているイザーク・クルッシュベルグではない! 僕の力がインチキかどうか、その眼で然と見極めろ!」

「おいおい、てめぇは冗談も通じねぇのかよ!」

「お前自分が何してるのか分かってんのか!?」

「黙れッ!!」


 完全にブチギレているイザークが杖剣を掲げて魔力を練りはじめる。


「これ、やばくない!?」

「さすがに校則違反だよね」

「誰かすぐに先生呼んできて――きゃぁ!?」


 ざわつく生徒たちを気にも留めず、イザークは魔力円環によって空間を歪めていく。

 大気がうねりを上げて生徒たちのスカートや外套ローブをハタハタと強風が煽れば、恐ろしさからその場を離れる生徒たち。


「炎の精霊サラマンダーよ、我が魔力を対価に力を貸し与えよ。

 すべてを灰に、穿つ炎の槍となれ――炎槍フレイムランス!」


 イザークの周囲を豪快に火花が飛び散ると、連絡通路の温度が急激に上昇する。

 俺の額からも汗が吹きでていた。


「こっちです、先生!」


 女子生徒が近くを通りかかった師範ガーブルの手を引いてこちらに走ってくる。

 しかし、このままでは間に合わない。イザークはすでに炎槍フレイムランスの詠唱を終えていたのだ。


 彼が構える杖剣の先には燃えさかる巨大な炎槍フレイムランスが形成されており、腰を抜かしてしまった男子生徒を燃え上がる穂先が捉えていた。


 このままでは大惨事になってしまう。


 なにより、あのとき俺が力加減を誤っていなければ、イザーク・クルッシュベルグの地位がここまで落ちることもなかった。もしもこの騒ぎを理由に彼が退学になってしまえば、多少なりとも俺は責任を感じてしまうだろう。


「仕方ない」


 俺は誰にも気付かれぬように指を鳴らし、魔力円環によってイザーク・クルッシュベルグの足下に水の精霊ウンディーネを喚び集める。


「な、なんだこの桁外れな魔力量は!?」


 すると、彼の足下には海のように蒼い輝きを放つ魔法陣が現れる。


「沸き起こる水よ標的を捕えし檻となれ――水檻ウォータジェイル


 俺は誰にも聞こえないほど小さな声で詠唱を唱えた。

 それによって魔法陣から噴き出した水が激昂した彼を包み込む。突然の出来事に水中で手足を放り出すイザーク。精神が乱れたことにより魔力円環も乱れ、彼が形成した炎槍フレイムランスは音もなく消え去った。


「はぁ……はぁ……あんなの出鱈目だ」


 俺はイザークが溺死する前に水檻ウォータジェイルを解除した。

 これで少しは冷静になっただろう。


「イザーク・クルッシュベルグ君! 大丈夫かね?」

「師範ガーブル……すみません」


 息も絶え絶えに四つん這いとなったずぶ濡れの彼の元に、師範ガーブルが駆けつけた。

 敬愛する教師の顔を見た途端、イザークは今にも泣き出してしまいそうな表情でうつむいた。自らの愚かさを恥じているのだろう。


「君のことだ、何か深い事情があったのだろう。とはいえ、騒ぎを起こした罰は受けてもらうことになる」

「はい。もちろんです」

「ジャクソンJr.! 君たちもだ!」


 イザークに絡んでいた男子生徒たちが立ち去ろうとするのを呼び止めた師範ガーブルは、彼らにも同様の罰を与えるつもりらしい。

 あのとき俺に敗れたイザーク・クルッシュベルグだが、師範ガーブルは今でも彼を高く評価している。


 実際、彼は強い。

 だだ相手が悪かっただけの話。

 なんせ彼が一騎討ちを挑んだ相手は、史上最強のラスボスなのだから。


 先程イザークが唱えた炎槍フレイムランスも、二年生の域を超えている。それだけで彼がいかに努力家で優秀な生徒なのかということは一目瞭然。


 あとのことは師範ガーブルに任せて立ち去ろうと、俺はそっとその場を横切った。


「Mr.グラップラー!」


 呼ばれて振り返ると、歯並びの良い白い歯を見せた師範ガーブルが、俺にだけに見えるように腰の辺りで親指を立てていた。


 ――さすが私の弟子だ!


 そんな風に言われた気がして、俺は苦笑した。

 その隣で師範ガーブルに視線を置いていたイザーク・クルッシュベルグが、師範の立てた親指の先にいる俺をみとめると何かに気がついたようにハッと目を見開いた。そのまま折り目正しくこちらに向かって頭を下げていた。

 なんとも律儀なやつだ。


 どうやら先程の水魔法が俺による仕業だと、二人にはバレてしまったのだろう。

 そういうところは本当、他の連中より余程貴族らしいと思った。

 イザーク・クルッシュベルグは意外と良いやつなのかもしれない。


 踵を返した俺は柄にもなく小さく微笑んで、食堂へと向かった。

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