第四次ハイパーさるかに合戦Z

 まことに小さな蟹が、柿をとろうとしている。


 小さなといえば、蟹と猿の戦ほど小さな戦はなかったであろう。


 仇討ち、であった。


 猿によって親を惨殺された蟹の子らが、同胞とともに猿を討った。


 無理だろう。


 と、いうのが蟹たちの住む田舎村での大方の予想であった。


 しかし成った。


 このことは村の者に驚きをもって伝えられ、仇討ちの物語として連綿と受け継がれることになった。


 伊豆、


 というのが多くの学者の意見である。


 猿蟹の合戦の舞台がどこであったか、という話である。


 インド、


 という者もいる。


 筆者わたしは伊豆とインドがその議論の中で並列して登場することに違和感はない。


 インドと伊豆はその成り立ちからして相似関係にあるが、それについて語るのはまたの機会にする。


 筆者はこの稿を書くための取材で伊豆半島へ行った。


 本州に突き刺さった異物としての伊豆はある種の異界であって、そこに放り出されるという感慨を味わうためにも実際に訪ねる必要があると思った。


 伊豆は流刑の地であった。


 かつて源頼朝はこの地に流され、雌伏の時を送った。


 頼朝の武家としては天才といえる政治感覚はこの地で培われたと言える。


 歴史上の突然変異である武家政権が誕生した背景には頼朝という伏龍の存在があった。


 だが、そのことはこの稿とは関係がない。


 新大阪駅から新幹線に乗り、伊豆の入口である三島駅に来た。


 来た道を戻る形で、沼津へ行った。


 友人の新聞記者から、沼津市に変わった洋食屋があると聞いていたからである。


 カツハヤシ、を出すという。


 カツカレーではない。カツハヤシである。


 その名からしてハヤシライスにトンカツを乗せたもの、というのは想像できる。


 しかし見たことはない。必ずこの目で確かめる必要があった。


 目的の店は、駅から歩いて数分のところ、背の低いビルとビルの間に、それはあった。


 入店して席に着くと、初老の女性が注文を取りに来た。迷わずカツハヤシを注文する。


 料理を待つ間、何気なく隣の席の客の会話に耳を傾けていた。


「猿ですよ」

 

 静岡東部に特有の、のんびりとした顔つきの青年が上司と思われる男に熱っぽく話していた。


 どうやら彼らがこの店に来る途中、青い柿が落ちているのを発見したという。

 

 柿の木など一切見当たらぬ街中で、である。


 それを青年は猿の仕業だという。


 猿が蟹にぶつけて殺そうとしたに違いない。幸い蟹の死骸はなかったので、無事逃げおうせたのだろう、と。


 青年が見つけた柿が、猿の投擲によって突如として沼津の街道に現れたのか、その真偽はどうでもいい。

 

 ただ、自然に、極めて素朴に、会話の中で猿と蟹とが話題にのぼってくる事自体、猿蟹の合戦の舞台が静岡東部であったことを如実に語っているといえる。

 

 猿蟹の戦いは静岡東部の人たちにとっては今も続く闘争なのである。

 

 筆者はカツハヤシを待ちながら、思わぬところで確証を得た。


 カツハヤシの話に戻らねばならない。


 15分ほど待ってやってきたカツハヤシの姿を見ても特段の驚きはなかった。


 むしろなんの驚きもなくすっと受け入れられたこと自体が驚きであった。


 カツハヤシ、なのである。


 それはどう見てもカツハヤシとしか形容できない品物であった。


 しかし、カツハヤシとはなんだ。


 カツは分かる。


 屠殺した豚の肉にパン粉をまぶして揚げたものである。


 では、ハヤシ、とは。


 ハッシュドビーフの訛ったものだ、という者がある。あるいは、林あるいは早矢仕という人名に由来するという者もある。


 しかしそれはハヤシライス、という一語を指すときに成り立つ意味づけであって、日常的にハヤシライスのことをハヤシ、と呼ぶか。


 否であろう。


 しかしカツハヤシではそれが起こっているのである。


 カツハヤシライスでもハヤシライスwithカツでもなく、カツハヤシの一語によって、カツとハヤシライスを融合させている。



 この魔術が、いち地方都市の平凡な洋食屋の厨房で行われていると知ったとき、誰もが昂揚するだろう。


 この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、このカツハヤシという食べ物の良さはわからない。


 筆者は、食いしん坊という人の体質で、皿をのみ見つめながら食う。

 

 減っていくハヤシライスの上に、一枚のカツが横たわっていたので、ソースを垂らして、食っていった。


 

 




 

 



 


 

 


 

 

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