酒が人をダメにするのではない。酒は人がもともとダメだということを暴く
おかしなことに,人の暗証番号を勝手に入手して,お金を引き出すことがいけないことなのだと説明するのに一日かかった。
激昂して,酒を持ってこいと言って効かない大貴のために,おれたちは病院から数分歩けば辿り着く公園で,酒盛りをした。わざわざ外出許可証の届け出をしてから出るもの手間だったかが,当の本人が満足げにしているのだから,まあいいのだろう。
酒が入ると,泣いたり聞き分けが悪くなったりするやつには何人も出会ってきた。
酒が人をだめするのではない。人がもともとろくでもないやつだと言うことを暴き出すのだ! と大貴は豪語するが,何事にも例外があるというのが世の常だ。
酒は人をだめにするし,普通に会話をする分にはいいやつだと思っていても,SNSで自己発信をしたが最後,やたらと証人欲求の強いやつや,低俗な言葉で人を非難するやつ,極端に偏った思考で他人とぶつかり合うやつなど,進みすぎた文明によって脳内をさらけ出して損をするやつばかりだ。
そういう意味では,大貴は不思議な男だ。
このご時世でもSNSは一切やらない。
普段接していると頭のおかしなジョーカーを気取ったような男だが,酒が入ると途端におとなしくなり,理路整然と物事を論理的に語る。聞き分けもよくなる。
今の大貴はまさに,飼い主に忠実な子犬,ミルクを飲んだばかりの赤ちゃんのようだった。
「確かに,おれのやろうとしたことは倫理的にあかんかった」
「ああ,まさか本気だとは思わなかったしな」
大貴はシーマンに謎の予知能力を発揮させようと水槽を揺さぶり,例の看護師が怒鳴り込むまで喚き散らしたのだ。
「ただな,暗証番号はなしにしても,何事もなくあの親父が金を出してくれるとは思えへん。返すといく宣誓書を書いたとしてもやで」
「それはあるかもしれない。電話越しの声のトーンも,何か変な感じがした」
「どんなことを言うてきそうじゃと思う?」
「せやなあ・・・・・・」
顎髭をつまみながら,空を見上げた。
おれもたばこを吹かして,同じように空を仰ぐ。
とんびが同じところいつまでもぐるぐると周り,羊雲が群れを成してここではないどこかへと歩を進めている。おだやかで心洗われるこの景色を,大貴はどんな気持ちでながめているのだろう眺めているのだろう。
「まあ,祐輔くんがどつかれるんは間違いないな。そっちをゆすって,自分のポッポに入るお金を要求するやろな。取れるだけ取ったら,その中の一部を貸してくれるとは思うねんけど,もちろん色を付けて返すことを約束させられるやろうな」
「ひでえ親だな」
「子どもだなんて思ってへんやろ。都合のええカモがネギしょってきたとしか思ってへん」
うー,と唸るシーマンの口からは,いつにも増して細かい泡が噴き出される。
綺麗に解決とはいかないことは分かっているが,シーマンは何かに頭を悩ませているようだ。
病院の待合室にやってきた男は,想像していたよりもずっと小ぎれいで,さわやかな格好をしていた。
細身のスタイルがうかがえるグレーのスーツパンツは足の長さを演出し,七分袖のシャツは夏の暑さを感じさせない青いチェック柄を見事に着こなしている。
とても問題のあるような人には見えなかった。
「おう,痛々しいな」
電話越しに聞いた,だみ声が響いた。その見た目とはあまりにも不釣り合いな声に,圧倒されそうな威圧感を覚える。委縮しかけたことを悟られないように,いつもよりゆっくりと,浅く頭を下げた。
「大貴のお父様ですか? お忙しいところすみません」
「いやいや,こいつが迷惑をかけたみたいで。普段から仲良しなの? 苦労かけるね」
いえいえ,と答えながら,驚いていることを悟られないように必死で目を細める。
なんだこの人は。大貴の話を聞いてから,先入観に支配されていたのかもしれない。とても子どもに煙草を押し付けるような,金の工面が出来ないような大人には見えない。
大貴との出会いや,学校での生活をいくらか話をしたが,何も問題がないように思えた。ただ,大貴は一言も発することもなく,不愛想な氷像を浮かべたまま我関せずと言った様子だった。にも関わらず,気まずい時間が訪れるわけでもなく穏やかに話が出来たのは,大貴の父親が話を繋いでくれたことも大きかった。
話が落ち着くと,大貴の父親は辺りを見渡し,小声で尋ねた。
「バイクに乗っていた青年は,これからかな?」
腕時計に目を落とすと,トイレに行ってくると言って足早に廊下を曲がっていった。
約束の時間の三十分前。
祐輔くんの今までの様子から,決められた時間よりもずいぶん早くやってきて律義に待ち続ける誠実さが感じ取られた。
それを見越して早めに待っていたのだが,大貴の父親が先に来たのだから目を見張った。祐輔くんももうすぐ来そうな時間ではあるのだが・・・・・・。
スマホを取り出し,時間を確認しようとすると同時に,着信を知らせるバイブ音が鳴った。
ディスプレイに表示された名前は,祐輔くんだった。
「もしもし・・・・・・祐輔くん?」
電話の向こうが何かおかしい。
間違いなく受話器の向こうに人がいるのだが,なにやら不穏な雰囲気だけが感じられる。
祐輔くん,ともう一度問いかけると,やっと声がした。
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