第41話 好感度の振り幅はどちらにせよ些細なことで変化する

 あなたは覚えているだろうか?


 ハインリヒトとルージュココがサインした婚約破棄のあの書類の存在を。


 もちろんあの書類は本物だ。出す所に出せば有効な正式な書類なのだが……。



 案の定、ハインリヒトはその書類を出す所に出してはいなかった。



 つまり……ハインリヒトとルージュココはいまだ婚約者のままなのである。これはハインリヒトの策略なのか、はたまた浮かれて忘れているだけなのか……それとも「もう両想いなんだから、どうとでもなる!書類はいつでも出せるしね♪」と理解不能な持論で自己解決しているのか。


 しかし、あの時ハインリヒトは確かに「さぁ、これでの婚約は破棄された」と言った。この発言を受けてルージュココはすっかり自分たちの婚約は破棄されるものだと信じていたのだ。ハインリヒトと駆け落ちすること自体には雰囲気に流された感はあるが、婚約破棄というこちらの願いを叶えてくれたハインリヒトの誠意に応えようと思い、ダイエットにいそしんでいたのである。……決してハインリヒトを愛しているからとかそうゆうのではない。それだけは断言できる。そこにあるのは愛情ではなく信頼だ。だが、最近は一緒にブートキャンプもしなくなったハインリヒトの浮かれた言動のせいでその信頼すらも揺らぎつつあるのだった……。









「……婚約が、まだ破棄されていない……?え、だってハインリヒト殿下は確かに書類にサインを……」


「あの時の書類は本物だが、まだ提出はされていないようだな。最初は王子と公爵令嬢の婚約破棄となれば王室にとってもスキャンダルだから秘匿されてるだけかと思っていたんだが、それにしたってあまりに結婚式の準備がスムーズに進んでいるので不審に思って確認してみたら案の定……まだ二人は婚約者のままということだ。というか、結婚目前のラブラブカップルと認識されているな。ついでに報告すると、男爵家で軟禁されていたはずのヒロインが脱獄したようだ。なんでも書き置きが残っていたらしく“悪役令嬢に囚われている愛する人を助けに行ってきます”と書いてあったらしい……たぶんハインリヒト王子の事じゃないか?」


 ハインリヒト殿下の言動にモヤモヤが爆発した私は、つい先生に愚痴こぼしてしまっていた。先生はハインリヒト殿下のいない所でいつも私を励ましていてくれていたのだ。


 ある時はカロリー制限に苦しむ私に「試しに作ってみた」と手作りの低カロリーお菓子を差し入れしてくれたり、またある時は「いつも同じ運動では飽きるだろうから、楽しく動ける方法を考えてきたんだ」と新たな運動方法を提案して一緒に実践してくれたりしていたである。


 ……まぁ、そのお菓子は消し炭のごとく焦げていたりコンクリートのように硬かったりとかボロボロだったりとかでとてもじゃないが食べれるものではなかったし、ダンスを取り入れた運動方法を実践したら先生の方が下手ですっころんだりしていたのだが。でも、その気持ちが嬉しかった。というか毎日私の運動に付き合ってくれていて全然学園に行ってないようなのだがいいのだろうか?


 それにしてもあのハインリヒト殿下とは大違いだ。先生は私の体重がなかなか減らなくても馬鹿にしないし、私の目の前でチョコやステーキを食べたりしない。一緒にこんにゃくを噛って「苦労は必ず実るさ」と励ましてくれる。近頃は「毎日同じブートキャンプにちょっと飽きちゃった」と勝手に気分転換に行ってしまっている殿下とは大違いだ。もう一度言うが、あの殿下とは大違いだ。


 そして、つい先生に殿下への不満を口にしてしまったわけである。


 すると先生は「少し調べてくる」と言って、すぐさま報告してくれたのであった。



 やってくれたわね、あの馬鹿王子……!



 婚約破棄はされていない。ならば、なぜ私はこんな思いをしてまでダイエットしているのか?しかも私を裏切ったハインリヒト殿下からはあの仕打ちだ。これは嫌がらせというレベルじゃない。私を精神的に追い詰めてなにがしたいのよ!


 さらにヒロインがやってくるかもしれないなんて……!!やっぱり、私は悪役令嬢として殺されてしまうの?!


 悔しいやら悲しいやらお腹がすいたやらで、ポロリと涙がこぼれる。ハインリヒト殿下なんかに手の上で転がされてこんな惨めな気持ちになるなんて、情けなくなってしまった。




「ーーーーやっぱり、あんな王子には渡せないな」


「……えっ」




 すると先生は何かを呟いたかと思うと私の涙を指で優しく拭ってきて、にっこりと笑みを向けてきた。


「せ、先生……?」


 そして先生の目の前で思わず泣いてしまった事に気付いて恥ずかしくなっている私にこう言ったのだ。


「いや、ちょっとお仕置きしてやらないといけないかなって思っただけさ」


 その時の先生が初めて見せた少し黒い笑みに、不覚にもドキッとしてしまったのだった。











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