第6話 Faded into the setting sun.

 満開の桜の木の下で入学式を迎える子供の写真を撮る、というのが従来のイメージだったそうだが、ここ最近の気象の変化により四月に桜が咲き誇る事は少なく、どちらかというと卒業式の日に咲いている印象がある。

 暦の上では既に春だが、吹いている風はまだまだ冷たい。頭上で揺れる桜の花も心なしか元気がなさそうだ。

 桜の木の下には死体が埋まっており、根元の死体の血や魂を吸って綺麗に咲くのだそうだ。あたたかい血があの艶やかな色を成しているのなら、かすかに息が白く染まる今日のような日は、血も凍てついて色も上手く出ないのだろうか。

「北条ー、上じゃなくて前見ろ前。ほら撮るぞ」

 担任の声で僕は視線を前に戻す。カメラのタイマーをセットした教師が三列に並ぶ生徒の一群の中に入り込む。

 先輩が僕の前からいなくなって、二年と少し。

 僕は高校を卒業した。


 先輩がいなくなって一、二か月の間の記憶はない。親によると日中は不出来な泥人形のように自室で蹲り、夜になるとゾンビのように静かに家を出、あてもなく彷徨っていたそうだ。

 もう数日そんな状態が続いていたら病院に担ぎ込むところだったと、卒業式の前日居間でなんとなくその頃の話をしていた母は若干目を潤ませながらそう言っていた。本当に、頭が上がらない。

 何か明確な正気を取り戻すきっかけがあったわけではない。

 ただ、なんとなく。

 先輩はこんな僕を望んではいないはずだと、勝手な期待が降り積もり、形を成すのにそれだけの時間がかかったのだろうと今は結論付けている。

 あれから、僕は夏休み終了と同時に定時制高校から全日制の私立高校に転入した。ちょうど隣町の学校が募集を出していたのは幸運だった。

 もちろん、あの夜の桜井の言葉だけが理由ではないが、それでも大きな要因である事は確かだ。あれから桜井とは一度も会っていないが、風の噂によると短距離で地方大会の良いところまで進んだらしい。

 この二年間は押しなべて平和だった。先輩や桜井による僕の評はやはり過分なものであり、僕は優しくも格好よくも凄くもなく、輝けるような人間でもない。

 けれど彼女たちの言葉は、そうあろうとする為の指針となった。

 当然のように凡庸で。

 呆れるくらい普通で。

 それでも出来得る限り、善良であろうとした。

 この高校生活を自己採点するなら甘く見て七十、いや六十五点くらいだろうか。及第点ぎりぎりなのは間違いない。

 それでもマイナスからのスタートである事を加味すれば奮闘は認めてもらえるだろう。

 手に届くものを、見えるものを、出来得る限り余さず全力で取り組んでいく。

 先の事は不確定で不安定だが、それでも、悪いようにはならないだろう。

 そのはずだ。

 だから僕は、もうこれで納得するべきなんだろう。

 ここまで恵まれておきながら、これ以上を求むなんて分不相応にも程があるのだろう。

 そう分かっているけれど。

 それでも僕は。

 まだ先輩を探し続けていた。


 もう着る事のない制服をハンガーにかけて自室のベッドに横たわる。普段の学校生活では味わない疲労と高揚感がまだ体の中で余韻のように響いている。

 時計を見るともうすぐ日付が変わる時間だった。卒業式後のクラスの打ち上げは盛況のうちに終わった。特にうちのクラスは地方の大学に進むのが多かったので、別れを惜しむ時間は長く必要だった。

 二年前、先輩と毎日部室に入り浸っていた時はこんな時間に帰ってくるのが普通だった事を考えると少し妙な気持ちになる。せめぎあっていた疲労と高揚の残響は次第に前者が競り勝ち始め、再度存在を主張してくる。

 風呂は明日にして、もう今日はこのまま寝てしまおうか。

 悪くないアイデアだ。このまま沈み込むように寝てしまえばきっと気持ちいいだろう。

 もう今日で高校を卒業したんだ。これを機に、もう諦めてしまおう。

 そんな考えが脳裏をよぎる。あぁ、それもいいかもしれない。今日を区切りとして、叶わぬ願いも捨て置いて──。

 ──けれど先輩は、叶わぬ願いに手を伸ばし続けていた。

 僕は弾かれたように重くなっていた瞼を開く。口には自嘲の笑み。もう高校生でもなくなったというのに、僕はどこまでも変わる事ができない。

 ベッドから立ち上がり、寝ている両親を起こさぬように静かに着替える。服を出そうかと思ったが、億劫なのでもう一度制服に袖を通す事にした。

 そのまま忍び足で玄関を出て、閑静な街路を歩く。

 二年前に桜井との再会を果たしたコンビニの前を過ぎ、一目散に僕は目的地へ向かう。

 この二年間毎日とり続けていた行動は、全身を包み込んでいた疲労を振り払う。むしろ、今日はいつもよりもペースが速い。

 そこに理由はない。なんとなくとしか形容できない。

 目的地が見えてくる。

 窓の中は暗く、人の気配はない。

 二年前、僕が通っていた学校。

 その閉ざされた正門の前に。

 

 先輩が立っていた。

 

 しろたえの肌とぬばたまの髪。黒のセーラー服と、胸元の赤いリボン。

 二年前の記憶と違わない姿で、先輩は笑顔を浮かべた。

「やぁ、昴くん。久しぶりだね」

 ほんの一、二週間の旅行から帰ってきたような軽い調子で、先輩は声をかけてくる。

 僕は、震える唇をゆっくりと開いていく。

「まったく、青少年がこんな夜中に出歩くとは感心しないな。出会ったのが私だからよかったものの、怖いお兄さんとかだったらどうするんだい?」

 謳うように言葉を重ねる先輩を月光が照らす。純白の肌が光を受けて淡く輝く。

 二年前、あの屋上での出会いの焼き直しのような瞬間。

 違うのは、変わったのは僕だ。

 「そういえば君、背が伸びたね。ううむ、男子三日会わざればなんとやらというが、二年経つと中々の変わりようだ。顔つきも良くなったね」

 わけもわからず震える事しか出来なかったあの時とは違う。

 僕は短く、けれど深い息を吐いて先輩をじっと見据える。

「お久しぶりです。先輩は相変わらず可愛いですね」

「おや」

 先輩は少し眉を上げ、薄く笑う。どうやらもう赤面はしてくれないらしい。

「どうも私がいなくなってから随分と口が達者になったようだね。それとも女の子みんなに言っているのかな」

「そんなわけないって先輩も分かってるでしょ」

「ふふ、すまない冗談だ。久方ぶりの再会にどうやら私も浮き足立っているらしい」

 会うのは二年ぶりだというのに、タイムスリップでもしたかのように僕達はあの時と変わらない調子で会話を続ける。

 くだらない話の連続だ。益体もない言葉の連鎖だ。

 だけれどそれが、その意志と言葉の繋がりが南十字座のように心を照らす。

「こんなところで話すのもなんだ。場所を移そうか」

 そう言って先輩は学校の外壁に沿って歩いていく。辿り着いたのは裏門だった。

「閉まり切る前に鍵を開けておいたのさ」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて先輩は門を押した。

「夜の学校なんてあの時は毎日来てましたけど、こういうシチュエーションになるとやっぱりドキドキしますね」

「ふふ、お化けでも出そうで怖いかい? 手を繋いでいてあげようか」

 大変魅力的な申し出だったが、もはや高校生でもなくなった身として何とかプライドを振り絞り、丁重に断った。なんだつまらない、と真剣に迷った末に結論を出した僕をからかうように尻目にして、先輩は明かりのない校舎の中をずんずんと進んでいく。目的地は科学部の部室だと思っていたのだが、先輩はそこも素通りしてさらに上へ上る階段に足をかける。

 まったく、これじゃ本当に焼き直しだ。

 そう悟った僕の前で先輩が鉄扉を開く。

 あの時と変わらない、ギィと軋むような音と共に視界が開けていく。

「さて、ご対面というワケだ」

 先輩の背中越しに、僕はそれを見る。心なしか先輩の声も跳ねるようだ。

 水晶のように澄んだ月明かりが照らす屋上。

 そこに、あのロケットがあった。

 打ち上げ台の上に設置された巨大な鉛筆のようなシルエットは部室にあった時よりも幾分か無骨になり、重量を感じさせる。専門的な事の分からない僕でも、これが十分に機能を果たす状態である事は見て取れた。

「先輩、これ」

「細々と暮らしながらだったからね、想定よりも多少時間はかかったが、ようやく完成したよ」

 呆然と呟く僕を先輩はちょいちょいとロケットの前へ手招きする。銀色の機体が月の光芒を反射して地上の星のように輝く。

 恐る恐る手を伸ばす、表面は夜気を吸って冷たい。けれど触れた手のひらは、その奥のこのロケットに込められた思いの熱を感じ取る。

「約束だったからね」

 ロケットから目が離せない僕の後ろで、先輩はサプライズが成功した子供のように至極愉快だといった調子で笑う。僕はまじまじとロケットを見つめながらも、先輩の言葉の意味をすぐに察した。

「……覚えていてくれたんですね」

「もう一つの方、完成するまで離れないというのは果たせなかったからね。無人とはいえせめてこちらだけは、と歯切れよく言い切りたいところなんだが、実際のところ何度か諦めかけはしたよ。それに完成させたとしても、君はもう私の事なんて覚えていないだろうとも思っていたしね」

「先輩、やっぱり冗談下手ですよ」

「君もやはり察しが悪い。本心だよこれは」

 振り返れば、先輩は呆れたように息を吐いた。

「当人からすれば気づかないかもしれないがね。普通思うわけないだろう、たった数ヶ月の付き合いでふらっと消えた女を二年間ずっと、夜が来るたびに探し続ける男がいるなんて」

「え」

「なんでそれを、と聞きたいのかい? この学校を離れたとはいえ、根城にしているのはこの街だ。そこをずっと駆けずり回っている男がいればいやでも目に入る」

 先輩は両手を肩の上に掲げる。僕はなんとなくばつが悪い気持ちで、すねたように問う。

「重い男は嫌いですか」

 先輩はその仕草を維持したまま首をすくめてみせた。

「さてね。まあその重い男を二年間陰から見続けたお陰で、どこかの重い女も約束を果たす為にはりきり続けられたわけだが」

 期せずして僕と先輩の目が合う。一瞬の静寂。どちらからともなく僕達は吹き出した。続く二人分の笑い声が共鳴する。

 ようやく笑いが収まった僕達は、乱れた息を整えて改めて向き直る。

「言うのが遅れたがね、卒業おめでとう。昴くん」

 スカートのポケットから先輩の手が取りだしたのは、拳銃のグリップのような装置。引き金にあたる部分には赤いボタンがある。

「私からの卒業祝いだ」

 そしてボタンが押された。

 最初は微かなガスが漏れるような音。次の瞬間空気が膨張し、破裂する。巻き起こる風が髪やスカートを激しく揺らす。押し寄せる烈風に一瞬目を閉じ、開いた時にはロケットの下部から爆炎が噴き出ていた。局所的に夜を光に変えるような閃光。煙と熱をまき散らしながら、機体はゆるやかに上昇を始める。

「さぁ」

 どちらがその言葉を呟いたのかは分からない。僕と先輩は今日この瞬間の為に生まれてきたかのように、我を忘れてその光景を目に焼き付ける。

「行けっっっ!」

 僕達の叫びに呼応するようにロケットが加速する。そうなれば一瞬だった。

 冬の澄んだ大気を貫く轟音を残し、ロケットは一瞬にしてさかさまの流星のように空を駆け上る。

 濃紺の夜空に広がる星に、地上を睥睨する満月に挑むように機体はなおも上昇を続ける。所詮はアマチュアが作った無人ロケットだ。イカロスさながらに上空で燃焼は終了し、跡形もなく砕け散るだろう。

 それでも、この尾を引く白煙のように、挑んだという結果は残る。挑もうとした人間の、いや吸血鬼の思いは残る。

 何万光年、何億光年と離れた星の光をもって宇宙の広さを知るように。

 残留し、伝播した思いはきっといつか、誰かの北極星になるのだ。

 僕はそれを教えてくれた先輩の方へと向き直る。

「やりましたね、凄いですよ先ぱ、い」

 視線の先に先輩はいない。

 屋上の床に横たわる先輩を見つけたのは、その一秒後だった。

「せっ」

 言葉を発するよりも先に体が動き出していた。

「先輩っ!」

 悲鳴のような声を上げながら僕は駆け寄る。抱きかかえてすぐに、その体が冷え切っている事に気づく。

 それは吸血鬼独特の夜を纏ったような冷たさではなく。

 あらゆる生物が平等に迎える、ある瞬間に至る温度。

 それはすなわち、死──。

 そんな考えを振り払うように僕は先輩を強く抱きしめる。消えろ消えろ消えろ、考えるな考えるな考えるなっ!

 どれだけそう念じても、まるで思考が二つに分かたれたようにこの状況を不思議なほどに冷静に受け止めている自分がいる。

 ──違和感は、あったんだ。

 ──学校に忍び込むとき、簡単に屋上まで飛び上がれる吸血鬼であるはずの先輩がわざわざ裏門の鍵を開けておくなんて方法を取っていたのは。

 ──もうそんな身体能力がないほどに、弱っているからなんじゃないか。

 だから、考えるなっ!

 けれどもう、一度頭に浮かんでしまったものは消す事は出来ない。かき消してしまいたい最悪の言葉は連鎖し、思考の表側に浮き上がってくる。

 青白い月明かりが照らす肌の白さは二年前と違う。

百合のような命の強さに溢れたものではなく、まるで。

 骨のような。

「先輩、まさか」

「ふふ、君はこういう事に限って察しがいいんだな。まったく、もう少し保つと思ったんだがね……」

 か細い声を聴いて、僕は思わず叫び出しそうになる。

 無言で訴える僕の眼を見て、観念したように先輩は告白した。

「そうだよ、私はあれから二年間、血を吸っていない」

「なんで、なんでそんな事したんですか!」

 先輩は少し困ったような顔をして押し黙る。覗き込んでようやく、それがもう表情もろくに浮かべられないほどに衰弱している今の先輩の恥じらう顔なんだと気づいた。

「変わってしまいたくなかった、と言えば笑うかい?」

 頬が少しずつ動き、時間をかけて笑みを浮かべる。

「え……?」

「あの夜、言ってくれただろう。私は私だから、好きなんだと」

 かすれた息の連続。先輩は照れ隠しのように笑っていた。

「君が好きだと言ってくれた私のままでいたかったんだ。君が思ってくれた私のままで一緒にロケットを見たかったんだ」

 ──吸血と共にその人間のパーソナリティも得ている。

 二年前、いなくなった晩に先輩が言っていた事を思い出す。

 先輩だから、と自らが告げた言葉も。

「そんな、そんな……」

 そんな、じゃあ、僕の言葉のせいで、先輩はっ。

「……おい、まさかとは思うが気に病もうなんてするんじゃないぞ。元より限界は近かったんだ。例え血を吸い続けていても数年の誤差で私は破綻していたよ。……それならせめて、最後は私らしく、とね」

 先輩はやっぱり、何でもお見通しだった。

 垂れ下がっていた白い手が、そっと僕の頬に触れる。その指先を僕はあふれ出した涙で濡らした。

「馬鹿、泣くなよ昴くん……。君が信じさせてくれたんだ。私は私なんだって。たったそれだけの事と思うかもしれないがね、少なくとも君のあの日の言葉は、朽ちかけの吸血鬼を二年間生きながらえさせるほどには熱かったんだよ?」

 やめてくれ。

 先輩、頼むから、そんな笑みを浮かべないでくれ。

 もうこれで終わっていいと、そんな満足したような笑みを浮かべないでくれ。

 だって、先輩はこれから先もっといろんな経験をするんだ。

 これから先、僕は先輩といろんな幸せを味わいたいんだ。

 いつか、先輩の乗ったロケットが空へ飛び立つ瞬間を僕は見届けたいんだ。

 僕は。

 先輩に、生きていて欲しいんだ。

「せ、先輩!」

 唐突に張り上げられた僕の声に先輩はぴくんと眉を震わせる。

「うん?」

「僕の、僕の血を吸ってください! そうすればきっとまだ、まだ間に合う!」

「嫌だね」

 僕の懇願は即座に切って捨てられた。

 僕はなんとなく、心のどこかで先輩はきっとそう言うと分かっていた。

 けれど、受け止めきれない心の大部分が悲鳴のような声を上げさせる。

「なん、なんでっ」

「だって、もっと熱を伝えてくれる方法を君は知っているじゃないか」

 頬を撫ぜる手が動いていく。僕の唇に指先を当てて、熱を良く感じようとするように先輩は目を閉じる。

「……それにもう、どうしようもないよ。どれだけ血を啜ろうが、浴びようが、私はもう私を安定させられない。だから」

 目を見開いたその顔は、人の枠を超えた身体能力を持つ人外のそれにも、臓腑を穿たれようと復活する怪物のそれにも、人の血を吸い、夜を統べる吸血鬼のそれにも見えない。

 どこにでもいる、ごく普通の恋する乙女のものだった。

「血なんて邪魔なものは介さずに……、最後にただ、君の熱を感じさせてくれ」

 僕は何とかして血を吸うように懇願しようとして。

縋りつくように嗚咽をあげて泣きだそうとして。

 そんな事よりももっと大事な事に僕の熱を使うために、先輩の頬に指を添えた。

「僕は先輩の事が、天音先輩の事が大好きです」

「私は君の事が、昴くんの事が大好きだ」

 そして唇を重ねた。

 震えていた唇も、今この時だけはただ熱を感じ、伝えるためだけに動く。

 だから分かってしまう。先輩の体を動かす熱が、もう今触れ合う唇の中にある分だけなんだという事が。

 けれど僕は、その事を思考から捨て、ただ、ただ先輩を想う。

 先輩の言っていた通りだ。ただ口づけしているだけなのに、先輩の考えている事が分かる。それは僕の考えている事と全く同じだった。

 きっと先輩も鏡写しのような僕の思いを受け取っているだろう。

 場所は学校の屋上で、かたや黒衣、かたや制服とロマンスには到底似合わない状況と格好であっても。

 夜と月と星の祝福を受ける僕達は、間違いなく今この瞬間この世界で最も幸福だった。

 どれだけの間そうしていただろう。気づけば僕達は離れていた。僕達はじっと見つめあう。そこに寂寥も悲哀もない。

 いつの間にか月はその姿を隠そうとしていた。遥かに望む反対側の地平線は灼けたような茜色に染まっている。黄金色に輝く雲、ほのかに伝導していく熱が一日の始まりを街に示す。

「はは、夜明けか」

 一億四千九百六十㎞という久遠の彼方から輝きを届ける光球が徐々に姿を見せていく。金色の光条が暴力的なまでに世界をなめ回し、その光は万物に例外なく等しく降り注ぐ。

 この屋上にも。

「吸血鬼が熱を求めるのは太陽に忌み嫌われたから、なんて言うものもいる。陽の光と熱を浴びられる人間と違い、私達は冷たい月光しか目にする事は出来ない。だから代わりに人から熱を奪う、とね」

 さえぎっていた雲が流れ、月明かりの海に浸されて白く染まった先輩の指先に日光が触れる。

 瞬間、その体はいくつかのの手順を飛び越えて灰に還った。風に吹かれ、流れていく自らの体を眺めながら先輩は言葉を紡ぐ。日光の浸食は止まらない。

「確かに、あたたかいな。けれど、昴くん」

 先輩の笑顔を、太陽が照らす。

「君のほうがずっと、ずっと──」

 そして先輩は夜明けとともに消えた。

 言いかけの言葉と、着ていた黒のセーラー服を遺して。

 灰に姿を変えて、この世界の果てへと旅立っていった。

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