第2部 12

「ヤマタクさん、あんたいったいなにものなんです」

「警官だよ、安月給でこきつかわれる、しがない木っ端(こっぱ)役人だ」

 この場が静まり返った。タクヤの前には二人が座っている、しかし、息遣いは三人分感じるような気がした。

「やつは今どこにいるんだ」

「屋根裏か、床下か」

「そうか」

 いいながら、タクヤは天井を見上げた。そこにいるような気がした。

 単純に、今時の若い者が床下など入らないだろう、と思っただけかもしれないが。

 一つ確かめることがあった。ずっとタイミングをはかっていた。

「ヤマタクさん、あんた、マーカーですね」

 なに?

「臭い。さっき飲みましたよね」

「まさかそっちから聞かれるとはな。ああ、飲んだよ。念のためにな」

 三人目を捕まえるときに飲もうかとも思ったが、その「臭い」が真下にばれることを警戒して飲まなかった。

 三人目を引き渡すとき、その直前、万が一逃げられることを恐れて飲んでおいた。

「最初に飲まなくて正解でしたね。『さぁ』もマーカーですよ」

「マジかよ」

 そこで飲んでたら逃げられていたかもしれない。

 恐らく、逃げられていただろう。

「ジュンペイもか」

 ジュンペイの顔のつまらなさに拍車がかかる。

「違います。こいつ、小さいときに盲腸、虫垂とっちまってるんで」

「それ、やっぱりほんとなのか、虫垂がないとマーカーに適合しないって」

「事実ですよ。事実、ジュンペイがそうなんで」

 事実、と真下が言えるのはジュンペイについてだけだが。

「それでも、その辺のエセマーカーよりも全然強いし、身体能力高いですけどね」

「ふん」

 あからさまに拗ねる、ジュンペイがかわいく思えた。

「虫垂はかつてはアペンディクス、痕跡器官なんていわれてあってもなくてもいいような器官だと思われてたけど、実際には中に多くの微生物をかくまっていて、免疫系に大きな影響を与える部位であることがわかってます。そういう意味ではやはりマーカーとしての能力に影響はあるでしょうね」

 真下の薀蓄を聞く、なるほど。ところで、

「『さぁ』? て名前なのか?」

 タクヤは天井を見上げる。

「俺たちはそう呼んでます」

「男、だよな。本名は?」

「ヤマタクさんがいったけど、あいつは、さぁは忍者なんです」

 真下、タクヤの質問には答えない。

「最初、俺が「さ」って呼んでました」

「さ?」

「猿飛佐助の『さ』、霧隠才蔵の『さ』、そんな忍者を目指せってこと」

「さらには忍(しのび)の『し』の上、忍を超えろって意味の『さ』です」

 タクヤが黙る番だった。心の中で関心している。

「ただ一文字『さ』じゃ、味気ないし、いいずれぇし。で、『さぁ』」

 説明するジュンペイがなんとなし自慢げだ。

「さぁのが、かわいいし。でしょ?」

 かわいいって。確かにかわいい呼び名だ。

 本名を、真下は結局教えてはくれなかった。

 タクヤはあえて二度は問わなかった。声を幾らか小さくして、さぁについて別の話をする。

「さぁは、ここには出てこないのか。顔みせろってことはないが、責任感じて腹切ってたりしねぇだろうな」

「それはないだろうけど。たぶん悔しがってはいるだろうな、よりにもよって警官に捕まったんだから」

「二度とあんたに捕まることはない、さぁはそういうヤツだから」

 少し長居をしてしまった。思いのほか時間が経っていた。

 明日というか、今日は日勤だ、出勤まであと何時間もないじゃないか。帰ろう。

「なんだなんだ、客を見送りに出てこねぇのかよ」

「とっとと帰れ。そもそも警官がくるところじゃねぇぜ、ここはよ」

「おまえら、次はぜったい捕まえてやるからな。さぁ、おまえもな!」

 一軒家を出る。

 静けさの中に清々しいものを感じるのは、悪くない時間を過ごしたからだろうか、それとも場所柄だろうか。

 敷地を出るところで、振り返って一礼、夜の町を歩き始めた。


 思いのほか落ち着いてしまった。

 さぁを捕まえたときはこういう展開になるとは思っていなかったが、どういう展開を予想、期待していたか……。

 思いのほか、話が盛り上がってしまった。

 真下からもっと、ある意味「ビジネスライク」な話を引き出そうと思っていた、のに。

 コンビニでビールかチュウハイでも買って帰ろう、飲んで気持ちよく、寝るとしようか……。


「客」が帰った後の真下宅では。

「あいつなんなんすか、ほんとにただの警官かよ」

 ジュンペイの怒った様な口調と表情、わざとらしい。

 こういう感情の表し方は珍しい、本人的にも戸惑いがあるのかもしれない。

「変わった警官だったな」

「さぁが捕まるって、有り得ねぇべ」

「それは」

 いくら意表を突かれたとはいえ、俄かに信じ難い。

 さぁは、身長は低い、タクヤといい勝負だ、パワーはないが、身のこなしは軽やかでしなやか。

 喧嘩の現場でも、背後からの攻撃を容易くかわす、そうみえる、視野が広いというか、感覚が鋭敏というか。

 そこらのチンピラでさぁの体に触れたものをみたことがなかった。

「あのおっさんのこと、ちゃんと調べてみる必要があるな」

「敵を知り、てやつですか」

「『彼を知り己を知れば百戦あやうからず』。が、あのおっさんを敵にはしたくない」

「なんか弱味をみつけりゃ邪魔しなくなるんじゃねぇすか、他のやつらみたいに」

「……」

 ああいう人間は、弱味など握るとかえって腹括っちまうかもしれない。事は慎重に運ばねばなるまい。

「ま、調べてみるさ。疲れたね、今日は、あのおっさんのおかげで」

「寝ましょう。さぁも、寝るぜ」

「くれぐれも寝首を掻きになどいくなよ」

 コトリ。天井から小さく、なにかを置く音がした。おいおい……。

 

 九月二九日日曜日の深夜二時過ぎ、柳町交番の電話が鳴る、今夜も。

「キャバクラにナイフ男、了解。斉藤、いくぞ!」

 窃盗団事件のモヤモヤも晴れない中、柳町は止まらない、眠らない。

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