第2部 2
半年ほど遡(さかのぼ)る。
三月二四日土曜の夜一〇時を回った頃、柳町交番の電話が鳴る。「了解」とだけいって山田タクヤは電話を切る。
「中央銀座で喧嘩、いくぞ、斉藤」
現場は交番から北東に歩いて五分。駅近くにお客を取られているとはいえ、土曜の夜となればやはり賑やかである。
しかもこの辺り、居酒屋やレストランなどカジュアルな店が多い駅近くと比べると、クラブや風俗店など、幾分品下る、いやガラの悪い、いや楽しいが高くつく、店が多い。
湿った小声で客を引く男がいて、片言で客を誘うドレスの女がいて、路肩には黒塗りフルスモークの高級車が迷惑も顧みず居据わっている。
賑わいは「活気」というより「情念」とでもいおうか。
日中でもデカダンな空気が抜けないのを厭うて数年前にアーケードの屋根をとっぱらった。
お天道様の光が当たるというのは、やはり人にとっていいことだろう。
あとは、天の岩戸よろしく閉まりっぱなしのシャッターが開くようになれば、ほんとの「活気」が戻ってくるというものだ、「中央銀座」の名に恥じない活気が。
土曜の夜である。現場はあるクラブの前。
やっとのことで人垣を抜けると、ロングドレスの女性とスーツの男が向き合っている。男は若そうだ。
二人の近く、地面にもう一人男が横たわっていた。
顔はみえないが、頭髪から推察するにホスト風。綺麗なホステスと向き合っている男は手にナイフを持っているようだった。刺した、のだろう。
「斉藤、救急車」
刺激しないように小さな声で。
さらに、努めて落ち着いた声で、タクヤはナイフの男に声をかけた。
「そこまでにしておけ。クソ野郎を刺して気が晴れただろう。その辺にして、ナイフをしまいなさい」
両の掌を開いてみせながら男に近づく、ゆっくり。「チッ」という舌打ちが聞こえた。刺したほうも可愛げがない。
「このクソ女も刺さないと気が済まない。すぐに済むから、ちょっとあっちにいっててよ」
「そうか、わかった」
二人に背中を向けた、そこは既に「間合い」だ、動きを止めることなく体を沈ませながら再び振り返り距離を一気に詰めた。
手刀で腕を打ちナイフを落とさせるとそのまま体当たりで突き飛ばした、人垣に向かって。
「斉藤、止血! おねえさんは早く店の中に! みせもんじゃない、早く帰りなさい!」
人垣から離れ、よろよろと立つ男にタクヤが近づく。
「おいたが過ぎたな、事情は署でゆっくりきく。殺人未遂の現行犯だ」
「殺すつもりなんかないよ、こんなクソ野郎、殺す価値もない」
「クソ野郎はおまえもだろ! ナイフで刺しといて『殺すつもりない』が通用すると思ってんじゃねぇ! ナイフが既に殺意なんだよ! いいから署までこい!」
「チッ」と舌打ち、そしてポケットに手を入れるとそこから何かを口に入れた。
「捕まえられるもんなら捕まえてみろ、クソじじい!」
瞬間的に、嫌な予感はした、嫌な映像が浮かんだ、思い出が。
その後の出来事、男がみせた現象は、ある意味予想通りといえた。
動き出しの一歩はタクヤのほうが早かった、近づいたという感覚はすぐに虚しいものとなった。
男の逃げ足が尋常ではない、尋常ではない速さで男は遠ざかっていった。タクヤはそれでも、男の後を追って走った。
刺された男は幸いにも一命を取り留めた。
そして、なんと、逃げたほうの男もその後すぐに捕まった。
男は北に逃げた。その先にあるコンビニの駐車場で意識を失ってぶっ倒れていた。
一番に駆けつけたのはやはりタクヤ。
救急車を呼びながらナイフ男のズボンのポケットをあらためる、小さなケース、振るとカラカラと音がした、あと二、三粒入ってそう、押収した。
それから、奇妙な事件が続く。
窃盗、傷害、恐喝、強盗傷害、婦女暴行、など。
事件自体は「奇妙」でもないが、犯人はやはり奇妙だった。
大抵、逃げ足がめちゃくちゃ速い。ときに二メートル以上あろうかという塀を軽々と越え、ときに壁を登った。
姿をくらまし、そして、大抵捕まった。ふらふらで、或いは意識飛んでぶっ倒れた状態で。
これらの犯人に共通するのは「錠剤」。
ナイフ男と同じようにケースの中に余分を持っているものもいたし、持っていなくても「飲んだ」と供述した。
三月二四日が二五日になって二時間ほどが経つ。タクヤは先程押収したケースを眺めていた。
一年半程前になるか。去年の夏、城山でのあの出来事を、タクヤは思い出さずにいない。
そして、
――やっぱり出てきたか……。
小さな嘆息とともに、タクヤは自分のポケットに入っている小さなケースを握っていた。
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