第1部 6

 農業大学の校門を出たとき、辺りは既に影の中だった。

 学校のすぐ西側には山というか峠がある。この場所は、日の陰るのが早い。

 空はまだまだまだ明るかった。が、やはり寒かった。烏の鳴き声が二人の頭の上を通り過ぎ、どこかへ飛んでいった。

 二人の中学生が、農業大学から南へ下っていく。

 中学のウィンドブレーカーにジャージのリク、ジャンパーにジーンズのカイ、少し歩いて右に折れた。

 前をいくカイ、リクが後ろから付いていく、二人は並んで歩いたりなどしない。

 リクがカイの足を(意図せず)蹴飛ばしてしまうほど近づいたりもしない、ここまで、二人は無言。

 お互い相手の声が聞こえてこないのは、声が届かないほど離れて歩いているからではない。声が掻き消されるほど風が強いわけでもない。

 二人の家は近所だ。小学校のときは子供会も同じ地区で同じお神輿を担いだりした、かるた大会の練習も一緒だった。

 集まりがあれば、一緒に歩いて集会所にいき、一緒に歩いて帰ってきた。

 あのときは、笑って話をしてただろうか、どんな話をしてただろうか……。

 懐かしい、楽しい思いを思い出すことは、リクにとっては罪深い。

 罪悪感を少しでも薄めたくて。

「ねぇ、マークだっけ、薬飲んでみた?」

 リクは意を決して声を前に飛ばしてみた。無言無反応という結果は、無残というより当然か。

 一度決した「意」は、その一度で折れた。


「我々は『マーク』と呼んでいる」

『Microbiorm Refecting Cupsul(MRC)』マーク。微生物活性薬。

「とある人物の腸内マイクロバイオームが元になっている。その人物の腸内マイクロバイオームと同じものを同じ割り合いで集めてカプセルにして飲めばいい、という単純なものではない」

 発想は単純だがやらなければならないことは単純ではなかった、が、結局は単純なことだったのだが。

 そんなことをいうと仮面は二人のほうから顔を、仮面を逸らして微かに笑った、ようだった。

 酸性度の高い胃酸の海を通り抜け、腸内まで無事にマイクロバイオームを送り届けるためのカプセル、辿り着いた先で微生物たちが同じように根付くには、そして元気に働いてくれるためには……。

「リク、きみは飲んでみたか」

「はい。さっき」

「どうだった?」

「なんか、体中がむずむずしたっていうか」

「走ってみたかね」

「はい。少し速く走れた気がします」

 ふむ、と小さくいって仮面が少し俯く。仮面の正面がリクと向き合う。

「有り体にいおう、それは、気のせい、というものだ」

「え?」

「きみたちに渡したものがプラセボ(偽薬)だということではない、本物のマークだ。しかし、その効果は非常に小さいといっていい」

 あえて小さくしているのだが。仮面が呟くように付け足した。

 マークは、健康食品の延長のようなものだという。

 ホルモンの分泌を促し筋肉を増強したり赤血球を増やして筋肉への酸素供給量を増やしたりするドーピングとは違う。

「中学生が飲んでも体に悪影響を及ぼすことはない、といっていいだろう」

 効果のでる時間もごくごく短い。一般的にはせいぜい数秒がいいところだ。

「なんの意味もない。とでもいいたそうだな」

 はめられた、とリクは思っている。仮面などをして、「僕たち」をばかにしている。

「わたしはきみたちに『変わりたいだろう』といった。きみたちは変わらなければならない、マークをマークたらしめるために、あるいは……」

 二人の顔をみて、仮面の口がまた、笑っていた。

 

「マークを飲んだときの倍数を例えば1.05とする。きみたちの今の身体能力を10とする。きみたちがマークによって身体能力を1あげるためにはどうするか。マークを二粒飲めばいいのか。違う。1あげるには、きみたちの身体能力を20にしなければならない。マークとは、そういうものなのだよ。変わるとは、な」

 実際、マークの倍数はそれより小さいのだがな、身体能力を10などと簡単にいうこともできないのだが。

「目的を達するためには覚悟が必要だ。覚悟を持つ、その時点できみたちは既に変わり始めている」

 

 リクはリュックから、仮面から渡されたプリントをみた。

「体を鍛えるための運動と食事。食事とは即ち、マイクロバイオームの餌だ。どんなものを食べたらいいか、プリントにしておいた。親御さんは大変かもしれんな。今日日野菜は高い」

 運動に関しては「とにかく走る」ということだ。

「1.05倍というのは高すぎる数字だが、実際にマークの効果を単純な倍数で表すことは難しい。しかし、鍛え方、鍛える場所、場所とは体の場所だが、鍛えるべき場所を鍛えることによってマークの力をより効果的に発揮することができる」

 連絡をくれれば「わたしが運動を指導してもいい」ということだった。

 カイがプリントをみているリクを気にする、カイもプリントをみる、カイが足を緩める、カイが話しかけてくる……、という期待は虚しかった。

 明日から中学二年が始まる。どんなクラスになるだろう。

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