第1部 3
時刻は夜中零時を回っていた。ベッドに横になり、目を瞑ると、止むこともなく「思い出」が蘇り流れるが、いつの間にか、それでもやはりリクは眠りに落ちていた。部屋は明るいまま。
枕元に小さなケースが置いてあった。
リクはサッカー部だった。サッカーを始めたのは中学に入ってから。友だちに誘われた。
初心者のリクは試合に出るなどこの一年なかったが、といって、試合に出ることが遠い目標である、ということもなかった。
リクには才能があった、わけではなく、この中学のサッカー部は「弱小」だった。
この中学に通っている生徒で、サッカーを本気でやろうというものは、中学の部活ではなく市のクラブチームに通った。
「サッカー部は『部活』ではなく『同好会』だ」と、周りはいっていた。
その通りだ。だから初心者のリクも気軽に入れた。
春休みの最終日、現に今日も練習は午前中の三時間で終わりだった。
これを「程よい疲れ」とでもいうのだろう。きっとビールがうまいに違いない。
リクは、また城山にいった。今日は母親が休みで家にいた。だから、というわけではなかったが。
確かめたいことがあった。
「選んだ」と仮面はいった。結局、まだカイと直接話はしていないが、カイは「選んだ」という、「生きること」を、生き続けることを。
昨日仮面と遭遇した本丸までいくにはいくつかルートがある。
カイが今立っているのは「椿名口」という名前のついた入り口だった。
竹やぶに挟まれた細い道を上がっていく。いくつかある「口」のうちで一番心細い道かもしれない。
小さなケースから手のひらに一粒落とし、一瞬の躊躇い、口に入れて飲み込み。
ムズ、ムズムズ、体の中、皮膚の内側、お腹の中がザワザワと震え始める、ような感じ。
――ほんとに、だいじょぶか……。
「わたしの運動能力をみたろう」
空を飛んできたようだった。
「一度に何粒も食べないことだ。一粒であれば害はないが、まとめて食べると、恐らく、あまりいいことにはならない」
回りくどい言い方をして。仮面の薄ら笑い、そして、橋の上で佇むカイの姿が浮かんだ。リクは、走った。
殴られる、蹴られる、投げられる。
イジメられているのは、「俺」か、「弟」か、イジメられているのか、イジメているのか。
遊んでいる?
そんなはずはない、苦しい、息苦しい、苦る死い、生き苦る死い……。
「あ」
夢だった。いや、夢ではなかった。目は開いたが体は動かない。「俺」は、死んだらしい。
何かがちらついていた。
「仮面」
そう、「仮面の男」だ。そんなものこそ夢じゃないか。
重たい体を起こす。布団、天井、ここは間違いない、あの世ではなく、自分の家だ。
もし「俺」が幽霊なら、「俺」はまた、まだ苦しまなければならないのか……。
布団を離れて勉強机の前に座る、引き出しを開ける、中をみる、父親にみせていないテストや父親にみせていないプリントなどが入っている、遺書も書いて入れておかないと。
そして手に取った、小さなケースと、メモを、重たそうに、丁寧に。
それは夢のかけらであり、消えてしまわないように、夢が覚めてしまわないように。
カイには四つ下の弟がいる……、いた……、いや、いる、いた……。
弟は母親についていった。
母はカイにも一緒にいこうといった。父も強いて残れとはいわなかった。
だが、カイは父と残った。母と弟の涙をみると、なぜか余計に一緒にいくとはいえなくなった。
残ることはすぐに決めた。「決まっていた」といってもいいかもしれない。
ただ決めた後はすっきりしなかった。様々浮かんだ過去の思い出、これから先のこと、その中にリクの姿もあった。
事件からその後の選択まで、それらこれらの出来事が、まさに体の中の、まさに異物として、カイを息苦しくさせた。胸を、首を、頭を締め付けた。
その苦しみを克服する強か(したたか)さを身に付ける時間は、カイにはなかった。それを待つほど悠長ではなかった。周囲が。
カイは、イジメられるようになった。
リクが守ってくれることを期待していたろうか。「裏切られた」と悲しんだろうか、「やっぱり」と悔しかったろうか……。
リクが離れていく感覚はあった。遠くにいってしまう……。
ふっと弟のことを思って流した涙の味は覚えていた。
「弟」がいじめられていると思った。「弟」が泣いていると思った。
なにもできない「兄」は、悔しくて、情けなくて。
自分の周りが暮れていく。
日に日に、日増しに、影が包み、影が濃くなり、黄昏、人の顔がみえなくなる。
なんにでも慣れはある。闇にも目が慣れる、痛みにも体が慣れる、イジメにも慣れる。
受け入れてしまえばいい。いっそ、闇の中へ。
影だ。「俺」は影。影の世界へ。「影の俺」と入れ替われ。
春休み、四月に入ったある日、ラインで映像が送られてきた。あいつらが、そこでいじめていた。いじめられているのは……。
「翼」
弟の翼だった。翼は、母親に引き取られて街中の小学校に通っているはずだった。ヤツラはそこまでいき、翼をいじめていた……。
闇が晴れた感覚があった。光がカイを飲み込んだ。
一瞬、しかし暗闇ははるか彼方の過去だった。
インフレーション。
超高速の〝なにか〟がカイの体内を駆け巡り、カイの体内に超高温の〝なにか〟を生んだ、〝異物〟を〝なにか〟に変えた。
「殺そう」
晴れ上がりだ。簡単なことだった。
今やっと気付いた、こんな簡単なことに。
「殺してしまえばいいんじゃないか」
カイは笑っていたはずだ。そこは橋の上だった。
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