第2部 28
昼食の後、交番の外に出る、青空に向かって大きく伸びをし、俯いて欠伸を噛み殺す。
一一月半ば、決して寒くはないが、時折乾いた風が道路を下る、街路樹が音もなく揺れていた。
気がつけば浅間山が雪をすっぽりと被り、西の空に白く浮かんでいた。
日付が変わる前に帰ってきてすぐ横になったのだが、簡単には寝付けなかった。
様々な思いが頭の中を経巡り、目を閉じた暗闇が回り始めた、いつの間にか寝ていたが、起きたときに眠った気はほとんどしなかった。
「しっかり寝た」と自分にいい聞かせて寮を出てきた。
しんどい一日、紛れもなくしんどい二四時間になりそうだ……。
まだ昼が過ぎたところだった。
とてもじゃないが仮眠をとらずに明日の朝は迎えられない。平穏無事な夜であることを願う。目の前をサラリーマンが横切る。
「こんにちは」
自分のように眠そうな顔はしていない、ビシッとしている。
「臭うぞ、臭う」
「!」
目が覚めた。その言葉の意味を、タクヤは瞬時に理解した。
一旦目の前を通り過ぎたサラリーマン(風)がくるりと振り返った。
「暢気な警察官がいたもんだ。こんなことで、日本の治安はだいじょぶなのか」
「……」
「こないだあんな事件があったばかり、犯人は捕まっていない。欠伸なんかしてる暇、ないんじゃない、ですか」
身長はタクヤより遥かに大きい、一八〇はあるかもしれない。眼鏡の奥の目が、鋭い。寒い。
氷柱を思わせるような目だ。
紛うことなく、タクヤを見下していた。無視するように目を合わせなかったのだが。
「あの夜の映像、やっぱりあなたに似てるみたいだ」
「よくある顔だからな、あんたみたいな男前と違って」
「身長も同じくらいかな」
そういいつつ鼻を二度鳴らした。
「昼はカツカレーだ、わりぃか。これがほんとのカレー(加齢)臭ってな」
男は顔を少し横にそらして小さく何度か頷く、なにに納得したのかわからないが、芳しい様子ではない、匂いだけに。
「映像に映ってたほかの二人も、この近くにいるんですよね」
「さっきからなにをいってるんですか? 交番のお巡りさんでも、あの映像に出てる人たちの家なんかわかりませんよ、わかるわけがない」
顔をずらす、頷く。眼鏡を直し、
「あんまりふざけてると、その制服脱ぐことになりますよ」
「制服着てるうちは警察官だ、公務執行妨害で逮捕してやろうか」
こんにちは。交番の前を通るおばさん、おじいさん、子どもの手を引くお母さんに、笑顔で声をかけながら。
「俺がなにものか、わかってるんですか」
「自己紹介したければどうぞ。その服装(ナリ)だ、名刺持ってるんだろ」
「聞いてた印象と違うな」
フッと、鼻で笑った、氷柱が少し緩んだ、すぐに引き締め直して、
「近いうちに、またきますんで」
さっさと柳通りを北のほうに歩いていってしまった。
「サラリーマンに絡まれたんすか」
斉藤が出てきてタクヤをからかう。
「公安だよ」
「は?」
「ふぅ」
やれやれ。首を左右に曲げ、肩を回す、疲れた、眠気がまた戻ってきたようだ。
なぜだか「公安」だと思った。それこそ「匂い」とでもいおうか。これまで公安など会ったことなどないのだが。
「制服を脱ぐことになる」
このセリフが、警察官であるタクヤの進退に影響を与えることができる人間であることを窺わせる。
警察関係者、タクヤより上の階級か、人事を左右するパワーを持っているもの。
イコール「公安」とはならないが。
あの恰好が、噂に聞く「公安」そのものだと直観させていた。
自分が公安に目をつけられるとは思ってもみなかった。いや、そういう面倒なことは避けてきたつもりだが……。
とはいえない、最近の行動だった。あのアリバイ工作、役に立つことになるかもしれない。
それは、安心ではない、むしろ緊張が増していく。真下たちと連絡をつける手段をもう一つ用意しておく必要がありそうだった、やはり。
そうも真下がいっていたのだ。慎重に慎重を重ねる必要がありそうだ。
面倒なことだ。
が、やはり、腹を括らねばならないときが近いのかもしれない。
次の非番の日の夜、比較的市街地に近いところにある公園を自転車で巡った。しらみつぶしという感じに。
やっとみつけた、マキ。
マキ一人のところを襲ったが、話は聞いてくれた。
聞き取るのに多少苦労したが、どうやら「寒いからもう帰るところだった、時季的にもうあまり外には出なくなる」ということだった。
次の当番の日、深夜、交番に酔っ払いが飛び込んできた。
「暑いねぇ、今日は、お巡りさん、元気してたぁ」
二人組み、すぐには気付かなかったが、真下と、さぁだった、変装していた、サラリーマン風のさぁと、なんと真下は「女装」だった、いい女じゃないか……。
「はいはいはい、今はもう一一月だからね、暑くないでしょ」
とかなんとかいいながら寄っていったタクヤにさっと手渡したのは、
――サイフ?
ちらっと中をみると、どうやら携帯電話、いわゆるガラケーのようだった。
――楽しんでるな、こいつら。
呆れるというより、羨ましい。
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