第2部 19
建物の外に出たところで。
「またきてくれ。アポなしは勘弁だが、事前に連絡をくれればなるべく都合はつける。なんせきみは」
タクヤの睨み、中島は微笑で受け流す。顔が耳元に近づき、小さな声で、
「約束を忘れるなよ」
「チッ」
中島を振り払うように足早に歩き出した。振り返らず、中島にみられているような気がして。
車まできたところで「ふぅぅ」と息を吐いた。
今日の仕事が終わった、そんな安堵が心と体を襲った。
当番明けの太陽は眩しすぎる。
目を強く瞑り、瞬き、首周りの筋肉をほぐすようにグルグルと動かした。車に乗り込んだ、シートベルトをしながら、また息を吐いた。
学校から下る車の中で、ふっと思い出した、この町には五月にもきていた、あの講演のときに。
五ヶ月も七ヶ月も大した差はなさそうだが、ただ、一年どころか半年も経っていないということを思うと、もっとも北T崎警察署はT崎市からM町に入って割りとすぐのところにあるが、くるときに感じたノスタルジーも、なんだか間抜けなような気がして思わず、自らに対する嘲笑を止められなかった。
「そうか、あの孫もマーカーか。ま、当然といえば当然か。となると、チューナーは、誰かな」
人が好すぎる、なんでもかんでも喋ってしまう、人を簡単に信用しすぎなのだ、
「あの祖父も、孫も」
研究室内の自室で、加藤の淹れたコーヒーを片手に、パソコンを横目でみつつ、中島は微笑む。
烏川の河原でみつかった男の遺体が、県内を荒らしまわっている窃盗団(影盗団)とつながった。
しかし、そこから先は……。
影盗団は現在地下に潜ったとされていた。殺された男はトカゲの尻尾切りだと。
つかまれかけた尻尾を切って隠れた、暫く動きはないだろう、そんな風にいうものが多かった。
ネットを精力的に調べてもいるが、本体につながる情報は実質ゼロだという。
実際事件自体も起こらず、新しい情報もない、動きようがない。もちろん、捜査に当たっている人間はいるが。
山田タクヤ巡査長ということでいえば、影盗団とつながりなどとっくに切れていた、というより、管轄区内、せいぜい市内ででも影盗団が事件を起こさなければヤツラに関わることはできないのだ。
「いってきます!」
署内にタクヤの声が響くことは度々。交番勤めのお巡りさんも忙しい。
「殺された消防士、いろいろやらかしてたみたいですね」
一〇月一八日。
当番明け、一眠りして夜一〇時を少し過ぎた頃。
公園に、集まっている。落ち葉が夜風にカサカサと転がった。随分涼しくなったもんだ、ジュンペイも長袖を着ている。
「ネットなどの情報管理については、あまり徹底できていない印象です。目が行き届かないのか、関心が薄いのか、若しくは管理する人間がいないのか」
PCの画面をみながら真下が話す。
マキがパソコンを「ちょちょい」といじると、死んだ消防士に関する情報はけっこう出てくる。
だいたい一年ほど前までのものだが、「つぶやき」などは最近のものもある。
日付と時間をみると、犯行後、タクヤにマスクを剥ぎ取られた後のものと、亡くなる前に書き込んだと思われるものなど。
「本人はこの後自分が『殺される』と思っていた感じじゃなさそうだな」
ボスが自分を叱責したことについて、自分のミスは認めつつも批判している。決して一枚岩というわけではない。
――あるいはこいつ新参か。
「この辺りも切られた原因か」
消防士、かなりお盛んだったらしい。
消防士を辞めるきっかけは女性絡みのようだ。不倫、複数女性との付き合いなど、女性関係で裁判沙汰になっていた。
消防士を自主的に退職したのは二年ほど前。
身体能力はかなり高く、将来を嘱望されていたという一面もあったようだ。
「よせ集め」
タクヤが思わず呟いていた。一枚岩ではない、しかしそれは逆にいえば、
――邪魔になればいつでも切り捨てることができる。
ということか。
ひょっとすると、影盗団の犯行の後に起きた死亡事故など、今回の消防士のほかにも切られた人間がいたかもしれない。
――調べ直す必要があるか。
その辺りのことは上がとっくに取りかかっているだろう。
「へっくしょい!」
前にいる二人、真下とマキが振り返ってタクヤを睨んだ、一言「すまん」。
消防士のことだけが今日の目的ではなかった。
真下から「面白そうな映像がアップされている」と、二日ほど前に向こうから連絡があった。
それは、マーカー関連事件の映像だった。動画のキャプションには「マーカー」の文字がはっきり入っていた。タクヤが映っているものもある。
「あ、おじさん、出てる。カメラみてねぇし」
ジュンペイ、
「『おじさん』はやめろ」
カメラがあったのなんか知らんし、知っててもカメラ目線なんかしないし。
まあ、確かに、テレビの「密着警察24時」的な感じで楽しいではある。
しかし、次の瞬間、タクヤは驚く、大変、驚く。
「これが一番新しい映像です」
「あれ、これまたおじさんじゃん、めっちゃ走ってるけど、離されてるし」
ギャハハ、とジュンペイのバカ笑いが夜の公園に響いたが、タクヤはそれどころではない、「『おじさん』やめろ」と突っ込む余裕がないほどの驚愕、周章狼狽。
そう、向こうに走っていくのはタクヤだ、おじさんだ、確かに離されている。
その映像は、タクヤが先日マーカーを追いかけていたときのものだった。あり得ない。
「おじさん、気付かなかったのかよ」
「気付かなかった、いや、そんなはずはない」
おじさん、足遅いんじゃん。ジュンペイの茶々に取り合うゆとりはない。
「どういうことですか」
くしゃみを飛ばしたときとは違う、二人の引っ張るような視線をタクヤは受けて、
「マークを飲んだんだ、俺は。前を走る男もマークを飲んだはずだ、なのにこのカメラもほとんど離されずに付いてきている」
あり得ない。
「ドローンとか使ってるんじゃ」という真下の意見、可能性はあるし、そう考えた方が落ち着きがいい。
タクヤが追跡を諦め、振り返るところで映像は終わっている、直前、カメラは路地に隠れたようだった、そう窺わせる動き方だった。
ドローンだとしたら路地に隠れるときにこういう動きはしないのではないか、タクヤは専門家ではないが、この動きは人が持つカメラの動きのようにみえる、思えた。
あり得るとすれば、これは、
「こいつ……」
そこでタクヤは「はっ!」とした。
追跡を諦めて道を帰っていきながら、臭っていた、臭いを辿(たど)っていたじゃないか。
逃走マーカーの残り香だと思っていた、特に気にも留めなかった。
違ったんではないか。
あるいは自分の残り香だったかもしれない。
マーカーをマーカーが追いかけて、その道をまた戻れば、臭いを逆に辿ることになる、そこに疑問を持たなかった。
違うだろう。それほど長いこと(それほど長い時間ではないが)臭いが残るのか、いや。
「後ろにいたんだ、もう一人、マーカーが」
タクヤの腕が粟立っていた。
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