モノを壊す

機械製品でもいいし、既成概念的な抽象的なコトでもいい。モノを壊すという行動には一種の快感が得られるように思える。自身の話をしてしまえば概念が壊れる瞬間というのは非常に快感である。音を専門としているのだが、マイクを買ったことのある人はご存じかもしれないがスペックシートに周波数特性の書いてある紙が挟まっている事がある。よく卵が先か鶏が先か問題に発展していく問題なのだけれどスピーカーから音を取ってチューニングするのだからどちらかの特性が畳み込まれてしまうのは当然なんだがその概念を排してどちらかの実験を行うとまぁ紙とは違う結果が出るのである。自分は自身で出した特性を中心にまずはマイクの選定(スピーカーはフラットなものを拝借している)を行うのだけれど、この紙の概念を壊す、新しく自分用に書き換える作業がとにかく楽しい。そのデータをもとに今度はスピーカーの選定を行うのだから今度はスピーカーの特性の実験をすることになる。実験というのは”~だろう”を壊すためのモノだから立派な破壊活動といえる。そういえば家電量販店に行くとスピーカーの真ん中の出っ張りが押し込んであるものを見たことがある人はそう少なくないだろう。実はスコーカー側はちょっとくらい押してあってもたいして影響はないのだがツィーターを押し込むと確実に音は歪む。最近はメタルメッシュでガードされている製品がある。言いたいのはそこではなくてスピーカーを投げてみる。

思いっきり壊れるだろう。下手したらへこむ程度では済まないだろう。これを快感と言えないだろうか。昔はブラウン管テレビ同士をぶつけて粉々になるのを楽しんでいたが今の若者にブラウン管なんて言ってもわからないだろう。なんせテレビが四角かった時代の話だから液晶のあの薄さとは壊れ方が段違いである。そういえば液晶を割るのを楽しみにしている人も中にはいるかもしれない。液晶なんてハンマー一つで壊せるのだからそんな大した破壊活動にならないのである。

概念的になってしまうけれど、空気を吸って生きている人間すらも実は地球に破壊活動を続ける存在であるということを忘れてはならない。自分の体に悪いものほどおいしく感じるという生理現象があるらしいけれど言われてみれば味の濃いものはおいしいし、肉はおいしい。麺もおいしい。だからラーメンを私は愛してやまないのだけれど人間どこかしこで破壊活動を行っているのだから快感を日々追い求めているのではないかとおもう。

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