第十一章 三郷達の作戦
まずは城之内が無事かを確認する為、どうしてもお見舞いしたいと考え、八神に無理を言い防護服を手に入れた。そう梅野から船長やセキュリティ部門には、電話で報告して貰った。
「指示通り三郷様に行動の意図を確認した際、彼らの部屋の中へに招かれ、説明を受けました。そこで私に医務室へ連れて行くよう、余りにも熱心に頼まれ断り切れなかったので、ご相談の為に連絡させていただきました。何とか許可して頂けないでしょうか」
すると梅野による迫真の演技が効いたのか、無下に断れなくなった船長の許可が下りたのだ。ただし二人が勝手な行動をしないよう、梅野がしっかり見張れとの条件が付いた。
しかしこれは最初から望んでいた事だった。彼は船長に
「私がしっかり監視しますので、何とか許して貰えませんか」
と何度も懇願していたからだ。
そうして防護服を着た真理亜は、直輝と梅野の三人で医務室へ向かうことができた。その途中で、どうやら検査を終えた何人かの乗客を誘導する乗務員達と会った。
その上夕食の時間だからか、配膳も始まったようだ。食事の用意を持った人達と、何人かすれ違った。
しかし梅野がいるおかげで、堂々と歩くことが出来た。三人はそうした人達と黙礼を交わしつつ、六階の廊下に備え付けられた隔離装置を通り抜ける際に、爆弾が仕掛けられていないかを念入りにチエックした。けれどもこの階には、どこにも発見できなかった。
「六階のように下っ端ばかりが固まっている部屋までは、ウイルスを拡散する必要が無いと考えたのでしょうか」
直輝の見方を真理亜は否定した。
「端から端まで全部見た訳じゃないでしょ。もしかすると、各階で一か所だけでも爆破すれば、隔離装置の効果を亡くす威力がある爆薬を設置しているのかもしれない。それなら各階、一つずつで済むでしょう」
「それは恐ろしいですね」
そう言いながら本当に肩を震わせた彼に向かって、真理亜は付け加えた。
「船全体が一気に沈む爆薬を設置されるよりはましよ。その可能性もまだあるんだから」
「脅かさないでくださいよ」
六階のエレベーターに着き、ボタンを押すと扉が開いた。十三階は十四階とは違い、医務室があり乗客が利用することもある為、六階のルームキーが使える。
もちろんその他の部屋へ入室するには、梅野の助けが無ければできない。彼なら全部屋に入退出できる、特別なカードキーを所持しているからだ。
三人で乗り込み、十三階のボタンを押す。廊下も含め、エレベーター内にも防犯カメラはついている。よって三人の動向は全て、セキュリティ部門に監視されているのだろう。しかもそこに犯人の仲間がいるとなれば、怪しまれる行動はできない。
ただここに至るまで十分な打ち合わせをしてきた。まずは医務室へ入り、城之内のご機嫌伺いをする予定だ。その際彼が病室にタブレットを持ち込んでいるか、再確認しなければならない。
もしあれば看護師等の目をかいくぐり、どういう意図で持ち込んだのかを聞き出す。そこで素直に脅されていると口にすればいいが、惚ける可能性もある。
その場合、あくまで真理亜達は味方で、資産を守り彼を助けたいと考えている事を理解させなければならない。これらを短時間で済まさなければならないのだ
梅野が真理亜達についての報告をした際、船長から現在の船内の状況や本社と犯人達のやり取りについての途中経過を耳にしていた。
話によると、まず乗客乗員のPCR検査は約五割終わっていて、これまで皆陰性らしい。よってそれぞれ順番に、各部屋へ戻るよう誘導されているという。だから六階の廊下でも、何人かと会ったのだ。
また身代金交渉については当初、乗客乗員一人当たり一〇〇万ドル、八八〇人いる為八億八千万ドルを要求されたらしい。日本円で約九二〇億円以上に相当する。さすがに高額過ぎて、本社も用意出来ないと回答したようだ。
過去には映画にもなった実際のシージャックで、六人の船員に対し一五〇〇万ドル要求され、そこから三三〇万ドルまで値切って交渉成立した例がある。それでも一人頭五十五万ドル、日本円で約五千八百万円程度だ。
しかしここには、相当な富裕層が多く乗船している。そう考えると平均して一人一億円余りならば、決して高くはない。一人一人から
だが船の運営会社は、そんな大金が用意できる訳もなく、また乗客から集める事など自分達からは口が裂けても言えないだろう。もちろん犯人側もその点を考慮しながら、互いの妥協点を見出そうとしているらしい。
梅野の話を聞き、ますます犯人側の真の狙いは資産家達から個々に奪い取る事だと、真理亜は強く確信した。どう考えてもその方が、多額の金を手に入れられるからだ。
とはいっても資産家達との交渉も、そうやすやすとはいかないだろう。時間はかかるはずだ。しかし犯人側はそれ程慌てる必要がない。長引けば長引くほど、船内にいる乗客の精神状態は追い込まれる。そうなった方が、話し合いを優位に進められると考えるはずだ。
そこが狙い目だと、真理亜は考えていた。犯人達を一網打尽にする作線の第一歩として、三人は医務室の前にある隔離装置の前に立った。その向こうに扉があるのだろう。まずは梅野が先頭に立ち、ドアを開けた。
既に彼から、真理亜達と共に訪問する旨は伝えている。よってすんなり入室が許された。同じく防護服を着た看護師の後に続き、三人は城之内がいる隔離部屋へと向かった。
そこに辿り着くまで、隔離装置と元々備え付けられている陰圧室を、一つずつ通り抜けなければならなった。それだけしっかりとした、感染拡大を防ぐ対策が取られているのだと理解できた。
ようやく城之内が横たわる病室へと入る。彼は念の為にと掛けられたビニールシートの中で、鼻にチューブを差し込み酸素吸入していた。聞いていた通り、顔色は悪く無さそうだ。状態も安定しているように見える。まずは真理亜が枕元に立ち、声を掛けた。
「城之内様、三郷真理亜です。お体の調子はいかがですか?」
彼も真理亜達が来ると耳にしていたらしい。
「わざわざそんな恰好をして、こんなところまで来なくてもよかったのに。だがそれだけ心配してくれたということだね。有難う。体の調子は問題ないよ。一時的に熱が出て苦しい時もあったが、今は落ち着いている」
「そうですか。お元気で安堵いたしました。ちなみに八神様も体調に問題はありませんでした。私達も検査しましたが、陰性でしたのでご安心ください」
「そうか。濃厚接触者だったな。迷惑をかけてすまない。あともう少しで横浜に着くって時に、厄介な事が起こったものだ」
ここで念の為に尋ねた。
「城之内様は、今この船がどういう状況なのか、ご存じなのですか」
彼は深く頷いた。
「もちろんだ。目の前でヘリの尾翼を爆破され、その後ここへ連れて来られたが、船長の船内放送も聞いたよ。それに私がコロナに感染したのは、犯人達の仕業らしいじゃないか」
ここまで会話している間に彼のベッド周辺を見渡したが、問題のタブレットは見当たらない。近くに看護師がいる為、その点を触れる訳にもいかなかった。そこで話題を変えた。
「そうらしいですね。どうやってウイルスを感染させたのかは、お聞きになられましたか」
「恐らくだが、食事の中に入れられたのだろうと説明を受けた。だから私だけが感染し、八神や君達は陰性だったのだろう。しかもドローンを操作していたのは、私に料理を提供していた料理人だったらしいな。さらに仲間割れかは知らんが、殺されていたとも聞いたぞ。しかし狙われたのがどうして私だったのかは、良く判らん。この船のVIPの中で、高齢の人間に的を絞ったのだろうと言っていたが、他にもいるのにとんだ災難だよ」
「本当です。個別に脅迫でもされたのなら別ですが、犯人達はこの船の乗客乗員全体を人質にして、身代金を要求しているのですからね」
すると一瞬彼の表情が曇った。真理亜はすかさず尋ねた。
「どうしました。少し表情が硬くなったようにお見受けしましたが、どこか痛みますか」
彼は誤魔化すように首を軽く振った。
「いや、なんでもない。大丈夫だ。面倒な事をしてくれたものだと思っただけだよ。この状況では、いつ解放されるか解ったもんじゃない。船の食料はまだ余裕があるらしいけれど、こっちは次の仕事がある。いつまでもベッドに横たわっている訳にもいかない」
「そうはいいますが、他の方はいざ知らず、城之内様がコロナに感染させられた事には変わりません。日本に着いても、しばらくは病院に入って頂かないと。お仕事が忙しいのは判ります。もし私で代わりに出来る事なら、何でもします。けれどこの船の中では、現在ネットが使えませんし、電話も通じないので出来る事は限定されますが」
真理亜がネットの話題に触れた瞬間、再び彼の眉間に皺が寄った。ここで犯人達は、城之内から個別に金を引き出そうと企んでいるのは間違いないと感じた。しかも既に彼と接触し、いくらか要求されていると思われる。予想以上の速さだ。
そこで梅野に目配せをする。彼は軽く頷き、近くで様子を見ていた看護師に話しかけた。
「PCR検査は、順調に進んでいますか」
「はい。現在全体の六割以上は済んでいます」
「先程船長と話をした際は五割程度だと聞いたが、いいペースだね」
「乗客の方々のご協力もあり、想定していた以上の速さだと思います」
「パニックには陥っていない、ということだね」
「はい。若干そういう方もいたと聞いてますが、大方の皆様は落ち着いているそうです」
「陽性反応が出た人はまだいないと報告を受けているけれど、その後も変わりないのかな」
「はい。おかげで隔離病棟のベッドが埋まる事もないので、助かっています。もし大勢の患者さんが運び込まれたら、ここにいる人員だけでは対応できなくなるでしょう」
「そうだね。ところで検査を済ませた乗客乗員リストがあれば、見せて貰えるかな。どの階のどの辺りまで済んだのかを把握したい。船長の指示で、各階を巡回する予定なんだ」
「分かりました。少々お待ちください」
彼が雑談をすることで看護師を遠ざけた隙に、真理亜は城之内の耳元で囁いた。
「私達はあなたを助けに来ました。犯人達に気付かれないよう声を出さず、私の質問に頷くか首を振って答えてください」
目を丸くした彼だが、意味を理解したらしく軽く頷いた。
「まず城之内様のタブレットは、この病室に持ち込まれていますか」
彼は頷いた。やはりそうだ。続けて質問する。
「では犯人の仲間と、接触しましたか」
若干の躊躇が見られたが、再びイエスの回答が帰ってきた。
「金銭の要求がありましたね」
これも肯定した。
「その金は、タブレットを使いネットで送金するよう、指示を受けましたか」
彼は頷く。やはり既に計画は始まっているようだ。もっと時間をかけて交渉すれば、乗員の恐怖も増す。そうすれば、身代金の額や要求できる資産家も増える。
それなのに何故ここまで急ぐのか疑問を持ったが、この調子だと他のVIP達ともコンタクトを取っている確率は高い。もしかすると真理亜達が想像していた以上に早く、実行されるかもしれない。
そう危惧した真理亜は、さらに質問を重ねた。
「それは仮想通貨で、指定した口座に振り込めとの指示ですか」
また頷く。ここまでは完全にこちらの予想通りだった。しかしここからが問題だ。イエス、ノーだけでは聞けない内容が含まれるからだ。それでも尋ねた。
「いつ振り込めと言われましたか。今日中ならイエス、明日以降ならノーで回答ください」
彼の反応はイエスだった。横で聞いていた直輝も驚いていた。想定よりずっと早い。犯人達はリスクを少しでも回避する為、早めに切り上げるつもりらしい。
余り長く沖に停泊すれば、マスコミが嗅ぎつけヘリを飛ばす可能性を恐れた為だろうか。それとも突発的な問題が起こり、急がざるを得ない事情が出来たのかもしれない。
真理亜はさらに質問を絞り込んだ。
「振り込みはこの病室内で行うのですね」
やはり頷いた。あとはいつなのかが重要になる。
「それはいつですか。指定時間があるなら、声を出さず口だけで何時と言ってください」
彼は一瞬躊躇したが、小さく口を動かした。驚いたことに、読み取れた時間まで後五時間もない。それだけ早急に片を付けるつもりだとは思わなかった。その為思わず尋ねた。
「振り込むつもりですか?」
再び間が空いた後、やはり頷いた。短期間にそう決断させる程、身の危険を感じているのかもしれない。
「いくらですか?」
彼は再び唇だけを動かし、“さんおく”と答えた後、“ひとり”と付け加えた。その数字を知って、真理亜は唸った。絶妙な金額だ。彼くらいの資産家ならその程度であればすぐに都合がつき、命との交換なら安いと思わせる値だ。
また一人三億ということは、同室にいる八神の分を合わせて六億払え、という意味だろう。この船の十階以上にいるVIPは、約五十人程だ。その一人一人に三億ずつ、いや彼は日本人だから円で言ったが、恐らくドル建てで三百万ドル要求されているのだろう。
つまり全員が支払えば、それだけで一億五千万ドル、約百六十億円が手に入る。運営会社に要求した八億八千万ドルの二割弱だが、それでも身代金としては破格だ。そこに加えて本社が支払える限度まで交渉額を下げれば、直ぐに開放する予定なのかもしれない。
計画が成功したら船内にいる犯人の仲間達は、爆弾やウイルスの保管庫など証拠になるものを海に捨てるに違いない。後は何食わぬ顔をしていればいいからだ。証拠さえ無ければ逮捕は困難になる。そう踏んでいるに違いなかった。
余裕は無いが、振り込みの実行時間を聞き出せた点は大きい。その時間を狙って、ネットの使用を阻止できれば計画は大きく崩れる。だがそうなると、失敗した犯人側がやけを起こす可能性もある。
よってそうなる前に外部に救援を求めるか、少なくとも爆弾とウイルスだけは奪う、または無効化しておかなければならない。できれば潜んでいる犯人の特定まで至れば完璧だが、そこまでの余裕はなさそうだ。
梅野達と事前に打ち合わせた段取りでは、せいぜいネットの使用阻止だけで終わってしまう。それではまずい。計画を早める必要がある。その為にもここでの
離れた場所まで移動した梅野にも聞こえるよう、真理亜は声を掛けた。
「城之内様、私達はこれで失礼します。余り長くいてお体に障るといけませんから。何も心配なさらず、ごゆっくりお休みください。後の事はお任せください。もし何かあれば、呼び出して下さい。すぐに駆け付けますから」
その言葉を合図に梅野も看護師との会話を終え、医務室の医師達に挨拶をしてから部屋を出た。この後向かうのは、同じ階の船の先端部にある操舵室の中の船長室だ。その途中で梅野には、城之内から得た情報を
「あと五時間弱しかないのは、困りましたね。どうしますか、真理亜さん」
「まずはその予定時間に、イリジウム装置を動かないよう阻止してください。これは梅野さんにしかできません。医務室でタブレットを使っての振り込みを、城之内さんは肯定しました。ということはやはり、この階で通じるイリジウムを使う事は間違いありません」
「しかしそれだけでは、片手落ちになります」
「ですからそれまでに、出来る限りの事をしましょう」
梅野を先頭に、操舵室へと入る。そこには圧巻の景色が広がっていた。前面や横に広がる海を、少なくとも三百度は見渡せる大きな窓があった。その前には舵やレーダー、数え切れない程のボタン等がある複雑な機器が揃い、ずらりと航海士達が立っていた。
十一階の船の先端にも、見晴らしの素晴らしいラウンジがある。だがそこと似て非なる空間が、ここにはあった。呆気に取られていると、前を歩いていた梅野がこちらを振り返り、ある場所へ視線を動かした。その先には、周辺とは違った装置が設置されている。
再び真理亜と目線を併せて頷いたところを見ると、あれが問題のイリジウムだと気付く。周囲には多くの航海士がいる。ほとんどはそれぞれの担当の機器を見たり、前方の海を監視したりしていた。
しかしこの中であの装置をこっそりと動かしたなら、誰かが必ず見つけるはずだ。現に真理亜達がこの部屋に入った後は、何もなかったかのような雰囲気に戻ったけれど、その瞬間だけかなりの数の目がこちらを向いていた。
そうした実態と現物を目にして場の空気を理解した上で、真理亜は梅野に続き奥にある船長室へと入った。そこに後から二人の男性がついて来た。
「失礼します。こちらが先程お伝えした、城之内様のお連れの三郷真理亜様と直輝様です」
梅野に紹介された為、二人は頭を下げた。先に顔を上げて口を開いたのは真理亜だ。船長には英語で無くても通じると知っていた為、直輝にも判るよう日本語で話した。
「何度かご挨拶をしたと思いますが、改めて私が三郷真理亜です。こちらが甥の直輝です。今回は勝手な行動を致しまして、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
すると一歩前に出た船長が、首を振って言った。
「いいえ。最初は驚きましたが、城之内様をご心配されるお気持ちは判りますよ。それに外へ出歩く為、防護服を着用しようとしたのは周囲に気を使って頂いている証拠です。だから面倒な手順を踏んで手に入れ、十四階と六階を一往復半もされたのでしょう」
「ご理解頂き、誠に恐縮です」
ただ軽い笑みを浮かべていた彼の表情は、急に厳しくなった。
「しかし船内放送でお伝えしたように、現在状況はかなり緊迫しています。そんな中、誤解を生む行動は慎んで下さい。犯人達を変に刺激しては、他のお客様の命に関わります」
ここは素直に謝っておくべきと考え、真理亜は再び頭を下げた。
「軽率な行為でした。申し訳ありません」
直輝も同じく頭を下げる。それを見て彼はにこやかに言った。
「ご理解頂ければ結構です。城之内様のお見舞いに行かれたのですよね。どうでしたか」
「はい。医務室の方々のおかげで、安定しているようです。痛みや熱も収まり、お顔の色も悪くありませんでした」
「それは良かった。現在全乗員乗客の検査をしていますが、他に感染者は出ていないと報告を受けています。感染拡大はしていないようなので、三郷様達もご安心ください」
「そのようですね。恐らく船内に潜伏している犯人達の誰かが、城之内様だけにウイルス感染させたとの見方は合っていると思います。ただヘリが爆弾を積んだドローンを使って破壊されたのですから、ウイルスや爆弾をさらに所持している可能性は高いでしょう」
真理亜の踏み込んだ発言に戸惑った船長は、無意識なのか辺りを見渡す素振りを見せた。恐らく犯人達に聞かれてはいないかと、危惧しているのだろう。その為意図的に尋ねた。
「ところでそちらにいるお二人は、どういう役職の方なのですか」
途中で同席した船員の中にも、犯人達の仲間がいる確率は高い。特にこの操舵室には、唯一外部の本社と連絡を取り合う船長がいて、イリジウム装置もある。また通常使用しているインマルサットの通信装置もここにあるのだろう。
よって犯人側の立場ならば、ここは常に監視が必要な場所だ。つまり一人ないし二人以上は、配置していてもおかしくない。
後は十三階だと医務室に一人以上、VIP達を集めるだろう例の場所に、数人は必要となる。さらに五階には予備のコントロール室がある為、そこにも監視はいるだろう。
イリジウムによる通信も可能な場所というだけではない。十三階の操舵室全体にトラブルがあった際に使用するのだから、恐らくそこにもイリジウムやインマルサット等の通信装置のスペアがあるはずだ。
そう考えると最低でも七~八人は、犯人の仲間が身を隠していると思われる。爆弾を使用する人間を別途用意していれば、十人以上いても不思議ではない。
といってもこれだけの規模とはいえ、超高級クルーズ船の乗組員の採用となれば、かなり審査も厳密にしているはずだ。そこを潜り抜けるには、五百三十名の中でも一~三%が限度だろう。そうなると、多くても十五、六名と言ったところか。
犯人の狙いが徐々に見えてきた分、彼らがいるだろう場所もかなり特定できた。とはいっても、ここから誰が犯人の一味か全員を特定するのは困難だ。それでも彼らの計画を完全に阻止するには、できる限りやり遂げなければならない。
その一環として、まずは近くにいる二人に焦点を当ててみた。船長はやや困惑しながらも、真理亜の問いに答えた。
「一人はセキュリティ部門に所属する隊員、ニールです。船内には犯人の仲間が潜んでいるだろうとは思いますが、本社の指示で探し回る事も出来ません。なのでセキュリティ部門には、防犯カメラの注視を指示するのが精一杯な有様です。ただし不審な行動を発見した際、その様子を逐一こちらに伝える中継の役目を、彼が行ってくれています。私は基本的に本社の指示があれば、直ちに行動できる態勢でいなければなりません。梅野が私の役目を補い、VIP客のいる階を中心に巡回していた事と同じです」
「そうですか。私達の行動を発見されて、船長に伝えたのもあなたですか。お手数をお掛けして申し訳ございませんでした」
民間の軍事会社から雇用されているだけあって、鍛え上げられた体格をしている。先程から能面のように表情一つ変えない彼に頭を下げると、相手は軽く頷いただけだった。ざっと見渡した所、特殊警棒は所持しているが、それ以上の重装備はしていないかに見える。
続けて船長に質問した。
「もう一人の方は?」
「彼は私や梅野の代わりに、操舵室を取りまとめている一等航海士チーフのヨハンです」
「ヨハンと申します。宜しくお願いします」
彼は日本語で、自分からにこやかに挨拶をしてくれた。先程真理亜がニールに向かって英語を使っていたのを聞き、自分には必要ないと伝えたかったのだろう。
「日本語がお上手ですね。失礼ですがどちらの方ですか」
「有難うございます。私はフロリダ出身です。アメリカの学校で日本語と中国語、スペイン語の勉強をしていました」
親しげな彼の口調には、とても好感を覚えた。だが彼らがいると、この先話は進まない。そこで彼らに軽く頭を下げてから、船長に告げた。
「申し訳ありませんが、折り入ってご相談があります。なのでお二人に席を外して頂くことはできますか」
船長は表情を曇らせ、二人の顔を見た。ヨハンは理解できたらしく、笑みを浮かべて軽く頷いてくれた。だがニールは日本語が判らなかったのか、それともこの場から離れることを嫌がったのか、首を捻っていた。
しかし真理亜達は、城之内が招待したVIPに準じる乗客だ。内容も聞かず要望を断る事は出来ないと判断したのだろう。船長は英語で二人に退席を促した。
すると多少抵抗される事も覚悟していたが、二人は素直に従い部屋から出たので船長と真理亜達三人だけが残った。しかし油断は禁物だ。ここに盗聴器等が仕掛けられていれば、犯人達には筒抜けになる。そうしたリスクも考慮しつつ、話を続けなければならない。
なかなか話題を切り出さないので業を煮やしたのか、船長が先に口火を切った。
「二人に席を外させてまでご相談したい事とは、一体何でしょうか」
「その前にお伺いしたい点がございます。船内に犯人が忍び込んでいる事は間違いない。そう船長もお考えのはずです。ではこの船の脳である操舵室にもいる、とお考えですか」
彼は躊躇しながらも、軽く頷いた。声を出さなかったのは、同じく盗聴を気にしていたのだろう。それなら話は早い。真理亜は隠し持っていたタブレットを取り出し、事前に打っていた文章に追加入力をしてから、彼に渡しつつ言った。
「皆さんを信じていらっしゃるのですね。確かに五百名を超える乗組員全員を疑っては、船長など勤まらないのかもしれません。失礼しました。話を戻しましょう。ご相談というのは、今後の城之内様についてです。私が彼の資産管理を任されている事はご存知ですか」
彼は耳で真理亜の質問を聞くと同時に、目で書かれていた文章を追っていた。そこには犯人達の裏の目的と、それを阻止する為に梅野さんと共にこれから行動しようとしている事の一部が書かれている。
またその計画を実行するには、隠れている犯人達を突き止めたい旨も記載していた。さらにこれまでの経緯と医務室やここに訪れた結果を受け、既に怪しいと睨んでいる数人の名を列挙し、その人達に深く関与しているが為に準じて疑わしい者も挙げていた。
これは梅野が持っていた乗員乗客名簿と、その人物達について記載されている情報などを閲覧した上で、前もって書き込んでおいたものだ。
船長には真理亜達の今後の行動を支援してくれるよう依頼し、また書かれている人名を見て同じく疑わしいと思うか、他にいれば教えてくれるよう依頼した文章も添えている。
これは船長が犯人と通じていないと信じての、一種の賭けだった。もし相手が敵ならば、計画はここで終了する可能性もあった。だがこれまで梅野と話をして船長室で交わした内容を聞き、また実際に本人と会った際の感触と反応を見て大丈夫だと判断したのだ。
彼はざっとそれに目を通した後、顔を挙げてゆっくりと言った。
「もちろん存じております。それがどうかしましたか」
そう口を動かすと同時に、タブレットを指さして深く頷いた。書かれている内容に同意してくれたらしい。加えて彼は何かを入力した後、真理亜に手渡した。そこには
「OK。他は不確かだが、」
と数人の名が追加されていた。それを横から覗くように見ていた梅野が、タブレットを奪い取って追加事項を記入した上で、戻してくれた。船長が書き記した人名の部署と、現在いるだろう階や場所を記してくれたのだ。
それを見て納得する。真理亜達が予想した人物達と接点がありそうな乗員で、かつ犯人側が計画を実行するのに必要な個所にいても、疑われにくい役目の者ばかりだったからだ。
これでかなりの数まで、犯人達を絞り込むことが出来た。しかしそれでも完全ではない。一人でも漏れていたら、そいつに万が一にでも爆弾またはウイルスを拡散されてしまえばお終いだ。よってまだまだ油断は禁物だった。
真理亜はタブレットを操作して別の画面を呼び出し、そこに書かれたものを再び船長に見えるよう渡しながら答えた。
「実は城之内様から、ある取引について横浜港へ着く頃には済ませておくよう指示を受けていました。ですが現在、この船全体が外部と遮断された状態です。ネットにも繋げないので、どうしようもありません。何とかならないでしょうか」
彼は首を傾げて言った。
「それは本当ですか。そんなに大きな取引なのですか」
実際は嘘だ。しかし真理亜は悟られないように頷き懇願した。
「はい。ですから無理を承知でお願いに参りました。ほんの少しの時間だけで良いのです。ネットに繋げて取引することは出来ないでしょうか」
彼は首を横に振ってから、軽く頭を下げた。
「お気の毒ですが、ご希望には添えません。もし外部との通信を解除したと犯人側に知れたら、何が起こるか判りません。それこそ爆弾を使い、誰かの命が危険に晒されるでしょう。申し訳ございませんが、例え城之内様のご依頼といえども、許可する事は出来ません」
当然断られることは判っていた。そう思っていた所に彼が言葉を重ねた。
「それに城之内様から、そのような要望があるとは聞いておりません。本当に必要な件であれば、三郷様に協力するよう依頼があるはずですから」
そう聞いて、真理亜は違和感を持った為に尋ねた。
「船長は城之内様と連絡を取っているのですか?」
一瞬動揺したかに見えたが、彼は平然と答えた。
「はい。お体の調子はいかがかと思い、医務室の内線を通じてお話しさせて頂きました。その際、何かご要望があればいつでもこちらに直接連絡を頂くよう、お伝えしております。ですから、今の所何もないということは特にお急ぎの要件は無いと判断しておりました」
ここで梅野も疑問を持ったのだろう。口を開いた。
「私は船長の代わりに十四階から十階までのお客様を訪ね、ご様子を伺うよう指示を受けていましたが、城之内様については何も聞いていませんでした。最初から船長が直接連絡を取るおつもりだったのですか」
「それはそうだろう。いくら君が防護服を着用しているとはいえ、感染者である患者の元へ行かせる訳にはいかないと思ったからだ。あの方については内線だけで声を掛けて置けば、後は医務室の医師達に任せればいいと判断した。現在置かれている状況を考えれば、直接訪ねて行かないからといって、気分を害されることはないだろうしご理解頂けると思ったからだ。実際内線で話をした際にも、あの方は納得されていたよ」
「そうだったのですか。そういうお話なら、私にもご報告頂きたかったですね。三郷様達をお連れして医務室を訪ねた際に、改めて何かご要望がおありか伺いしましたのに」
彼はその皮肉めいた言葉に反論した。
「それはすまなかった。だが本来なら感染者への見舞いなど、了承できるはずもない事を許可したんだ。私から聞いていなくても、お会いすれば何かございますかと尋ねる事は当然では無いかな。それに君は城之内様と全く話さなかったのかね」
攻守が逆転し、梅野は頭を下げざるを得なくなった。
「申し訳ございません。三郷様達のお見舞いを優先したものですから、私は出しゃばらないよう遠慮してしまいました。おっしゃる通り、船長代理として一言告げるべきでした」
これ以上船長から協力を得ることが困難だと判断した真理亜達は、部屋を出る事にした。ここから先どうするかが勝負だ。気を取り直して三人は次の目的地へと向かった。
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