第四章 吉良達の対応

 本部へと向かう車中で、吉良は言った。

「もし被害者の共通点が同じクラスターによるコロナ感染者だとしたら、松ヶ根さんは連続殺人の実行犯の動機を何だと思いますか」

「復讐だろう。同じクラスターの被害者か、またはその関係者によるものの可能性は高い」

「どういうことですか?」

「まだ仮定でしかないが、犯人はDというクラスターの発生によりコロナに感染してしまい死亡したか、未だに後遺障害が残っている者の関係者、または本人ではないかと思う」

「つまり自分または関係者がコロナに罹ったのは、そのクラスターを発生させ拡散した人物の責任と考えての犯行だと」

「そうだ。確かリストにはクラスター毎にアルファベットが記され、数字は感染確認された順番に割り振られていたはず。そうなると犯人は、自分か関係者に感染させた人物を次々と遡り殺したと考えられる。それなら数字が徐々に小さくなっていた点の理由がつく」

「なるほど。数字が小さいほど、早く感染が判明した人物ですからね。つまり犯人はDというクラスターの感染元に近づいていた。直近で殺されたのが、D938でしたね。まだその先にクラスターの感染元となる人物がいれば、今後狙われる可能性が高い。至急該当する人物を保護しなければ、更なる被害者を産むことになります」

「ああ。同時に最初の一人目の被害者が誰に感染させたかを辿れば、犯人に繋がるはずだ。必ずその先には、感染した事で大変な目に遭った人がいるに違いない」

「コロナに感染して死亡した人の場合は、親族であっても死に目に会えず直接火葬場で焼かれ、骨壺の状態で遺族に渡されるのでしたよね」

「そうだ。葬式もできず、入院中も面会謝絶だったと聞いている」

「それは辛いですね。その遺族がクラスターの元になった人物達を、逆恨みした可能性はあるかもしれません。でもそれにしては時間が経っていませんか。クラスターDなら、感染拡大初期でしょう。二年近く経っています。今頃になって復讐をし始めたのなら、何かそうさせる大きなきっかけがなければ、五人も人を殺そうとは思わないはずです」

「俺もそう思う。別のパターンは後遺障害を負ったケースだ。これは人によるが、かなり深刻な症状に見舞われ、生活に支障をきたしている方も少なくないと聞く。しかも二年前に感染していたのなら、かなり長い間苦しんできたはずだ」

「もしかすると最近になってその人の容体が悪化したか、または亡くなったのかもしれませんね。それをきっかけに復讐をし始めたとしたら、動機としては成り立ちます」

「どちらにせよ本部にリストを入手させ、それを確認してからだ。中身がどれだけ詳細に書かれているかにもよるが、流れに沿って該当する人物特定をしていけば判る」

「三郷さんと松ヶ根さんの推理が当たっているといいんですが」

「他に手掛かりが無いんだ。そう願うよ」

 二人が捜査本部のある大会議室に到着してしばらくすると、県庁を通じて上層部にリストが届いた。結果から言えば、推測は当たっていた。被害者全てがかつてのコロナ感染者であり、現場に残された数字とリスト内で割り当てられたものが見事に一致したのだ。

 Dのクラスターは、某スポーツジムと飲食店を中心に発生した集団だった。その中で最初に感染が判明した患者の数字はD930で、最近殺されたD938の被害者とは同じ店に出入りしていた事が判明した。

 またリスト内ではこれまでの被害者同士の関係性が記入されており、それぞれが濃厚接触者であることも判った。そこで上層部から捜査員達に指示が飛んだ。

「この繋がりが間違いないか、地取りのAからC班は改めて裏取りをしろ。D、E班はD930とD938との間にいる人物を至急保護。その他の班は、最初の被害者であるD957の後に続くD960の居場所の特定を急げ」

 吉良達は今回の捜査において、重要な情報をもたらした貢献を加味されたのだろう。最も犯人に近いと思われる、D960の安西あんざい幹夫みきおという当時六十五歳と記された男の捜査に当たるよう、指示を受けた。

 安西はS県北部にある老舗旅館を経営していた。だが所在確認したところ、彼は一年前に肺血栓で亡くなっていた。二年前に罹った、コロナによる後遺症が原因だったという。しかも彼が経営兼料理人として働いていた旅館は、その後に経営破綻していた。

 現在建物は取り壊されず残っているものの、全国展開している旅行業者の手に渡っていた。そこで聞き込みをして安西の妻の居場所を探した所、彼女も当時の心労が祟ったのか心臓を患い、入退院を繰り返した結果今年亡くなっていたのだ。

 事前に取り寄せていた戸籍により、彼らには現在三十五歳になる一人息子がいると判明。名前は安西陽太郎ようたろうと言い、吉良達は彼の所在を追った。

 彼は父親の跡を継ぐ予定だったらしい。その為に料理人として複数の国を転々としながら、修行していたようだ。しかし父親がコロナに感染した時期、イタリアにいた彼はロックダウンに会い足止めをくらい、帰国出来なかったという。

 ようやく一年経とうとする前に帰国できたが、感染後に陰性となって退院したものの、後遺障害が残り板場に立てなくなっていた父親が死亡。加えてコロナ禍により、客足が鈍くなった事も影響したのだろう。旅館は手放さざるを得ない状況に陥っていたようだ。

 また後を継いでいた母親も体調を崩し、入院していたらしい。その後の彼の足取りを追ったところ、東京のイタリア料理店に料理人として働いていたが、既にその店を辞めていた。現在はクルーズ船の料理人として、海外にいるらしいと判明した。

「東京の店を辞めたのはいつだ」

 本部に戻った吉良達は、報告を求められた。

「D938が殺害された翌日です」

「その後、クルーズ船に乗って海外逃亡したということか」

「その可能性はあります」

「今はどの船に乗っているか、確認は取れたのか」

「現在問い合わせをしておりますので、もう少しすれば判ると思います」

「そうか。安西が犯人である可能性は高い。だが海外に逃亡したとなると面倒だな」

 他の捜査班の調べでは、D938はクラスターの発生元と思われるD930の濃厚接触者だが既に死亡しているという。死因はコロナと関係なく、退院後起こした交通事故によるものだった。

 その当時、まだ安西はイタリアから帰国していない。よって事故とは関係が無いと思われる。またD938を殺した後に店を辞めて海外へ出た事や、地取り班による裏付け捜査の結果、クラスターの中で繋がる復讐は終えたらしい、と本部では考えているようだ。

 しかし気になる情報も耳にした。安西がイタリア料理店を辞めたのは突然でなく、予定通りだったというのだ。しかも店主によると、一カ月前から決まっていたという。

 つまり彼が一連の犯人だった場合、最初の殺人が行われた時点で店を辞め、日本から逃げる計画をしていた事になる。松ヶ根と話し合った内容を吉良の口から上司に告げた所、軽くいなされた。

「逃亡の用意をしてから、犯行を開始したのだろう。殺す順番や日時や場所等も、事前に周到な下調べをしてから取り掛かったに違いない。当初から一ヶ月で自分の父親を死なせ、旅館や母親までも奪った奴らを始末する気だった。逆恨みにも程がある」

 だが吉良達の考えは違った。もしかすると復讐は終わっておらず、さらに殺したい相手が、クルーズ船の中にいるのではないかと疑っていたのだ。よって早期に安西が乗船している船を特定しなければならないと考えていた。

 もし既に出港していたなら乗員乗客名簿を入手し、彼に繋がる者がいないか確認する必要があった。さらに彼はどうやってリストを手に入れたのかも、調べなければならない。

 ある県では誤って感染者リストをHP上で掲載し、問題になった事がある。そこには住所や氏名だけでなく、感染に至った経路や患者の特徴等、かなりプライベートに関わる事柄まで記載されていた。

 最終的には県が賠償金を払うことで、ほぼ示談が出来たようだ。しかしS県でリスト情報が流出したとの話は聞いていない。それならどうやって彼は入手したのか。

 リストがあればD938等のナンバリングはもちろん、感染者の氏名や住所、勤務先等、細かな情報が手に入る。それを元に狙った人物を待ち伏せし、殺すことは可能だろう。

 しかし素人がそう簡単に、ハッキングできるものではない。また殺しの手口は単純だが、余りにも鮮やかで足どりを掴ませなかった周到な逃げ方から、複数の人間が手を貸しているのではないかと、松ヶ根は当初から疑っていた。

 だが本部はそうした細かな事は、本人を捕まえれば分かると相手にしなかった。そこで止む無く吉良達は、他の捜査員と同じくしかるべき時期に備え、待機を命じられていたのだ。 

 すると安西の居所が判明したとの知らせが届いた。彼の出国記録を辿り、向かった先が上海だった所までは追跡できている。もしそこから先、船に乗ってさらに別の国へ移動したなら、偽造パスポートでなければ出入国記録が残る為、足取りを追うことが出来た。

 そこでICPOに協力を仰ぎながら、かつ各クルーズ船の運営会社に安西を雇った記録があるか、問い合わせをしていたのだ。

 もちろん偽名などで採用されていれば、探すことは不可能だろう。だが現在運航しているクルーズの旅は、コロナの影響により相当客数も落ち込み、感染拡大対策を十分に取っている超高級船以外はほとんどないらしい。

 そうなるとセレブ達を乗せる為に、乗組員の身元確認等は厳重に行われていると聞いていた。よってかつてはチエックが甘く、怪しげな人間達が乗り込んでいるケースもあったと言うが、現在は偽造パスポートを持っている者が採用されることは、ほぼ無いそうだ。

 つまり安西が本当に料理人としてクルーズ船の調理部門等で採用されていれば、本名で登録されているはず、と睨んでいた。その読みが当たったらしい。問い合わせしてから一週間ほどかかったが、ようやく彼の足取りを掴むことが出来たのだ。

「安西陽太郎は、イギリスと中国の会社が合同出資している会社が運営する、ゴールド・マーツー号の調理部門で雇用されていると判った。その船は現在上海等を経由し、三日前にマニラを出港している。運の良い事にその船は明日の夕方、横浜へ到着する予定だ」

 ここで会議室が湧いた。海外に逃げた容疑者が、この日本に向かっているのだ。こんな絶好の機会を逃す手は無い。もちろん安西は下船しないで、そのまま船の中に滞在したままでいることも考えられる。

 日本へ着岸さえすれば、船に乗り込むことは可能だ。国際的な海洋法だと、航海中は領海内であっても沿岸国に危害を及ばさない限り、登録されている国の法律が適用される。しかし港に停泊中、または湾内では適用範囲外であり、日本の法律が使えるのだ。

 だがあくまで警察権は船長が所持している為、入船許可は得なければならない。それでも余程の事が無い限り、拒否はされないだろう。その為本部は至急、神奈川県警と海上保安庁に協力を仰ぎ、安西が乗る船が入港するのを今か今かと待ち構えていた。

 けれどそこで問題が起こる。肝心の船が、いつまで経っても入港しなかったのだ。

 奇妙な予兆は、その前から感じていた。横浜に運営会社の出先支社があった為、吉良達は事前に神奈川県警刑事課の田井沢たいざわ警部補による先導で同行し訪問した際の事だ。応接室に通され皆が席に着いた後、彼が切り出した。

「電話で伝えていると思いますが、明日到着予定の船について確認させてください。また乗員乗客名簿の提出もお願いします」

 事件捜査の主導権は吉良達S県警と警視庁にあるが、ここは神奈川県警管轄内の会社だ。その為仁義を切って連携を仰いだ手前、まずは田井沢に任せた方が良いとの判断だった。この時点で応対してくれた先方の担当者は、協力的だった。

「はい。お問い合わせ頂いたゴールド・マーツー号は、予定通り明日の十六時に入港すると連絡を受けております。これがご希望されていた乗客三五〇名分、こちらが五三〇名の乗組員の名簿で併せて八八〇名になります。ただ申し訳ございませんが、個人情報ですからここでの閲覧だけに留めて頂けますか。お渡しする事はできかねますので」

 彼の言う通り、現時点で安西に逮捕状が出ている訳ではない。よって裁判所から令状も取れないので、止むを得なかった。しかしこちらには、一度見たものは忘れない記憶力を持つ松ヶ根がいる。その為素直に先方の要望を受け入れたのだ。

「構いません。ところでこちらが照会した人物は、やはりいたのですね」

「はい。乗組員リストの調理部門の欄を見て頂ければ判りますが、そちらで探されている安西陽太郎の名が載っております。これによると、十一階のレストランのシェフとして配属されていますから、かなりの腕を持った方なのでしょう」

「それはどういう意味ですか」

 田井沢の問いに、彼はにこやかに答えた。

「このクルーズ船は、ウイルス対策を万全に期したハイグレードのものです。今回は本格営業する前のお披露目を兼ねたプランですので、乗客全員が当社から招待させて頂いたVIPばかりです。しかもゆったりとしたサービスを堪能していただく為、搭乗可能な客数を半分以下に抑えております」

「なるほど。しかし乗組員は五四〇名乗船できるところを、五三〇名と目一杯揃えている。それだけ十分なもてなしが出来るということですか」

「その通りです。また十四階、十二階、十階のお客様は、招待させて頂いたVIPの中でも特別な方々にお泊り頂いてます。その為十一階にある二つのレストランは、特に重要となります。何故なら二週間余りもの間、その方々の舌を唸らせなければなりませんから」

「具体的には、どのような事をするのですか?」

「ディナーだけでなく朝食やランチに加えルームサービスも、その階のレストランのシェフ達が作った料理が運ばれます。この船には他に三つのレストランとバーやカフェ等、食事を提供できる場がございますが、その中で特別腕が立つ者を厳選していると言っても過言ではございません」

 確かに安西の経歴を見ると、ヨーロッパを中心に星付きの店を転々と渡り歩き、イタリアの店では料理長を任されている。そう考えると、腕前は間違いないようだ。

 そんな男だからこそ、得意の刃物を使って刺殺する方法を取ったのかもしれない。被害者は複数個所刺されているが、解剖結果では最初の一撃で見事に心臓を突いており、それが致命傷だと聞いていた。

 といっても、履歴書上では全く瑕疵かしなどない。高校を卒業して十五年余り海外で料理修行に明け暮れていたのだ。非行歴や犯罪歴もなく、輝かしい経歴だけが印象に残った。それに彼が連続殺人犯だとすれば、それは採用後の行為と思われる。

 松ヶ根がもう一つの乗客リストをぱらぱらとめくり目を通している間に、乗組員名簿を見ていた田井沢が尋ねた。

「安西の名前の横にある備考欄に、同乗の乗組員達による推薦ありと書かれていますが、誰によるものか判りますか」

「おそらく質問されるかと思いまして、こちらで調べてみました。同じ調理部門で採用が決まっていた、複数のシェフによる推薦もあったようです。ここに小さくレ点を打っておきました。恐らく海外を転々としている間に知り合ったのでしょう。ただ最初に紹介したのは彼らではなく、医務室の看護師によるものでした」

 意外な職種の名前が出てきた為、彼は思わず聞き返した。

「看護師、ですか」

「はい。その人物にもレ点を打っておきましたが、私も不思議に思い本社の採用担当者に問い合わせてみた所、彼女はイタリアの店で客として彼と知り合ったようです。店の常連だった彼女が紹介したと聞きました。ただそれはあくまできっかけに過ぎず、実際の経歴や他のシェフ達による評判を確認して、採用を決めたと言っていました」

「私達が安西について問い合わせした事を、船へは伝えていませんよね」

「それはありません。最初のお問い合わせの際、あくまである事件の参考人に過ぎない為、本人はもちろん船への連絡等はしないようにとうけたまわっております」

 こうしたやり取りを終え、吉良達は本部に戻り翌日を迎えた。だがその日のお昼過ぎ、船の到着を待っている間に奇妙な動きがあったのだ。そこで再び支社におもむいて話を聞くと、船の乗客の一人に急病人が出たのでドクターヘリを呼んだという。

 しかしその病名が新型コロナウイルス感染症と聞いて、吉良達は胸騒ぎがした。

「松ヶ根さん。ここにきてコロナの名前が出てきたのは、偶然ですかね」

「判らん。だがそれにしては、余りにも重なり過ぎている。病人の名前を現時点では教えられないと言われたが、その人物が誰かにもよるだろう」

「以前言っていた、安西の復讐が終わっていないという説ですか」

「そうだ。乗客の中に狙っている人物がいたなら、その患者が相手である可能性は高い」

「でも今回は刺されたのではなく、ウイルス感染ですよ。わざと狙ったのなら、コロナウイルスを所持していたことになります。料理人でしかない素人の彼が、そう簡単に扱えるものではないと思いますが」

「協力者がいたとすればどうだ。安西を紹介したきっかけをつくったのは、看護師と言っていただろう。医療関係者ならそうした管理もできる。それにあいつは料理人だ。食事にウイルスを仕込む事は、決して難しくない」

「ということは、患者は彼が主に相手としている相当なVIPでしょう。ドクターヘリまで呼んだことから考えても、その確率が高いと思われます」

「もし感染者が、リスト内にあった城之内貴久だとすれば、まず間違いないだろう」

 昨日の時点で名簿の内容を全て覚えていた彼が、その名前を挙げていた事を思い出す。コロナ禍において政府が緊急支援として数々の給付金支給を決めた際、城之内はその手続きを代行する民間会社の顧問だった事を調べ上げていた。

 当時給付金支給の段取りが悪く、しかも複雑な手続きが必要でなかなか進まなかった上、事務手数料として相当高額な中抜きをしていた事が問題になっていた。安西の旅館も申請に苦労し、結局間に合わずに売却せざるを得なくなったと聞いている。

 ただその後マスコミ等が騒いだことに加え、総理を含めた政府の面々が変わった為、一時期のような力は失ったはずだ。それでも蓄えた膨大な資産を武器に、再び権力を取り戻し復活しようと、裏で暗躍し続け機会を狙っているとの噂も耳にしていた。

「もし奴が復讐の続きとしてあの船に乗ったのなら、次に狙われるのはあいつだろう」

 松ヶ根はそう予測していたのだ。しかもリストの中から、意外な人物の名も発見していた。それは三郷真理亜だ。

「これまた奇遇ですね。以前電話した時、海外にいると言っていましたが、まさかあの船にいたとは。しかし何故彼女が乗船していたのでしょうか。高収入でそれなりに資産もある人だとは知っていますが、あの船に招待されている富裕層とは格が違いますよね」

 吉良の疑問に松ヶ根は答えた。

「俺の記憶では、備考欄に一四〇五号室の同伴者とあった。その部屋は五組しかいないVIPが滞在する最上階で、城之内の部屋番号だ。恐らく彼女は、奴の資産管理を任されているのかもしれない」

「城之内が彼女の顧客? でも城之内は東京在住ですよね。テリトリーが違いませんか」

「それは判らんが、二人に繋がりがある事は間違いない。以前の事件でも、被害者は彼女の顧客だった。事件に巻きこまれやすい人なのかもしれないな」

「本当ですね。しかも私達とまた巡り合うなんて、よくよくついてない証拠です」

「念の為、彼女の事務所に城之内が顧客かどうか問い合わせてみろ。あの船に乗っていたとなれば、長期の出張扱いまたは休暇を取っているはずだ。依頼内容までは教えてくれないが、顧客なのか今どこにいるかぐらいは確認できるだろう。もしかして俺達の知らない内に勤務地が変わっていたのかもしれないから、そこも確かめてみろ」

「分かりました」

 電話で確認すると、彼女の勤務地は以前と変わらずS県内の事務所だった。だが城之内の担当である事は間違いないと判った。現在彼の仕事の同行を兼ね、有給も取っているらしい。いわゆるワーケーションの一環だという。また彼が顧客になった経緯も簡単に説明を受けた。その事実を松ヶ根に伝えた所、彼は笑った。

「ワーケーションとは、また大変な仕事を請け負ったな。要は金持ちの船旅に、付き合わされているだけじゃないか。飛行機で行けば、一週間で済む仕事だろう。挙句の果てに、ようやく長い旅が終わりかけた頃、コロナ騒ぎに巻き込まれたとは災難だったな」

 しかしその後、笑い事では済まなくなったのだ。何故か飛び立ったヘリが戻って来ず、船も千葉の房総半島から約二十キロ先で停泊したままだという。そこから運営会社の支社の担当者が、挙動不審な対応をし始めた。

 一体どういうことかと確認する為、田井沢と共に訪ねると、全く異なった態度を取られたのだ。あれだけ愛想が良かった担当者の顔は引きり、脂汗を掻いている始末だった。

「何故船は、沖で停泊したままなのですか」

 田井沢の問いに、担当者は暑くもない部屋でハンカチを額に当てながら答えた。

「何らかのトラブルにより、ヘリが発着できなくなったようです。ですから感染した患者は、船内の医務室で治療中だと聞いています。それに伴い、船内でコロナウイルスが感染拡大していないか、全乗員乗客に対しPCR検査を行っております。と同時にかつて起こったダイヤモンド・プリンセス号での教訓を生かし、各階やブロック毎に隔離設備を装置しております。検査が全て完了し、船内の感染状況を完全に把握した上でないと、横浜港への着岸は困難だと判断したようです」

 筋が通っているようにも聞こえるが、そう説明している彼の様子から、決してそれが真実だけを語っているとは思えなかった。

「感染者は他にいるのですか」

「濃厚接触者を優先的に検査していると聞きましたが、今の所確認されておりません」

「つまり陰性だったという事ですか」

「そう聞いています」

 畳みかける田井沢の質問に松ヶ根が割って入り、鎌をかけた。

「ヘリで搬送される予定だったのは、城之内貴久さんですね」

 担当者は何故それを知っているのか、と驚愕の表情をした。だが個人情報の為、現時点ではお伝え出来ませんと白を切られた。そこで松ヶ根は確信したのだろう。スマホを取り出し、電話をかけはじめた。相手は三郷に違いない。

 だがどうやら通じなかったようだ。その為、担当者に再び質問を投げかけた。

「船内の乗客と連絡できなくなっていますが、何かあったのですか。クルーズ船では衛星通信を使って、あらゆる場所でも携帯やインターネットが通じるはずでしょう」

 痛い所を突いたようだ。彼は判りやすく動揺していたが何とか答えた。

「ヘリがトラブルを起こした件と直接関係あるかは不明ですが、どうやら現在衛星による通信は、使えなくなっているようです。ただ船長等と連絡を取りあう為に必要な、無線装置は通じておりますのでご心配いりません。感染状況等も、そこから逐一報告を受けております。現時点では乗員乗客とも、大きな混乱はないと聞いております」

「それなら、船長とお話させて頂くことは出来ますか」

 これには激しい拒絶にあった。

「それはできません。第一どういう理由で船長と直接話をするのですか。今回私共が協力したのは、そちらが捜査する事件について、乗組員の中に話を聞きたい人物がいたからでしょう。しかも事件の内容は教えて頂けない上に、彼が罪を犯した証拠もないそうですね。それなら当初の予定通り、船が港に着いてからにして頂けますか」

「港に着いたら、我々が乗船しても構わないのですね」

「あくまで乗客の方々が、全て降りられた後の話です。確か安西でしたね。船内には犯罪等が起こった際に動く、セキュリティ部門があり留置所もございます。彼らによって一旦船内で拘束するか、あなた方を船内に入れるかは、船長の判断を仰がなくてはいけません」

「その件について、直接話しをさせていただきたいのです」

 彼は再び強く首を横に振った。

「今は無理です。お待ちください。乗員乗客の安全が第一ですので、ご了承ください」

 頑なな態度を見せ始めた彼は、これで話は終わりと言わんばかりの態度で、吉良達を追い出すように席を立った。止む無く三人は、彼らの支社が入っているビルから出た。

 田井沢と別れ、本部と連絡を行う中継車に戻った吉良達は、経緯を上層部に伝えた。

「しょうがないな。だが一体いつになったら、検査は終わりそうなんだ。こちらで調べた所、あの船は最新のPCR検査機を導入しているらしい。一日あれば、全乗員乗客の検査の結果を出せると謳っている。それもあの船の上限一杯の、一二九〇名を乗せた場合だ。つまりそれより少ない七割弱しかいないなら、十六、七時間で終わるはずじゃないのか」

「それは私達も事前に聞いています。ですが先方は、完全に安全確認できるまで油断できないので、少なくとも二、三日はかかると言っています。もしかするとそれ以上になる可能性もあるとまで、予防線を引かれましたから」

「だが先方の言うように、現時点では安西は単なる容疑者だ。捜査協力をお願いするにも限度がある。神奈川県警には申し訳ないが、しばらく待機させて貰うしかないだろう」

 上層部の判断は絶対だ。肌で感じた現場の異変を伝えても無駄だろう。松ヶ根はそう判断したらしく、それ以上は何も言わなかった。

 報告を終えた二人は、港が管理する駐車場に置いた車に乗り込む。そこで彼は言った。

「明らかに尋常でない事態が起こっている。ドクターヘリが故障して離発着できなくなっただけでも、大問題なはずだ。あれは一台数億円するというからな。しかし運営会社は船を沖に停泊させたまま、しばらく港に戻らないと言っている。コロナの感染拡大を恐れているだけではないと思うが、お前はどうだ」

「やはり何かがおかしいです。三郷さんを含めた乗客と連絡がつかない、と言うのも不思議です。あのダイヤモンド・プリンセス号の問題が起こった時でも、外部とは通信が出来ていました。だから個別に連絡して、足らなくなった薬を持ってきてくれるよう身内に依頼したり、船の様子を実況したりする方々も大勢いましたよね」

「船長とは連絡を取れているようだが、他の通信手段が取れないのは意図的な気がする」

「わざと通信機器を切っているというんですか」

「担当者の慌てぶりからすれば、そうとしか思えない。俺が中の人間と連絡が取れないと言っただけで、何をするんだと言わんばかりの顔をした。何か隠しているに違いない」

「それが何か、が問題ですね」

「嫌な予感がする。船で事件と言えば殺人か失踪だ。しかしその程度で我々警察が動く事を恐れる態度を取るのはおかしい。誘拐ならば有り得るが、船で起こるとは想像しにくい」

「あとは誰かが人質に取られているかですが、それだとシージャックですよね」

 さすがに吉良はそこまでの想定など出来なかった。ここが海賊達の出現で有名なソマリア海の近くなら、十分考えられるだろう。しかしここは日本であり、東京湾の近くだ。 

 一九七〇年に瀬戸内で、猟銃を持った一人が二日間に渡り四十六人の乗員乗客を人質にした、シージャック事件の記録はある。その時は犯人が射殺され、事件は解決した。

 それ以降、日本では目立った事件など起こっていない。しかもあれは別件で警察から追跡されていた男が、結果的に船に乗り込み乗員乗客を人質としただけだ。

 つまり海外での成功例は多数あるものの、日本のような国だとまず起こりにくい犯罪である事を意味していた。ソマリアでは乗客を人質に取り、身代金を要求した後に逃げ込む場所があるけれど、日本近海にそんな安全地帯など無い。だが彼は首を横に振った。

「いや、その可能性も否定できない。あの船で感染者が出たと、保健所を通じて日本の厚労省に報告しているが、マスコミへ情報を流すことは少し待つよう依頼していると聞いた。しかも感染拡大を抑える事と、船内における乗客達の不安を煽らないよう、海上保安庁の船やその他ヘリが船に近づく事も避けるように、と通告している」

「だからといって銃等を持ち込んだ海賊達が船に乗り込んで制圧し、人質を取るには無理があるでしょう。難破船を装い、救助して貰おうとする場合があると聞きますが、東京湾近海では多数の船が往来しています。ピンポイントで大型のクルーズ船を狙うには、確率が低すぎます。万が一シージャックされたと仮定すれば警察には知らせず、または知らせられない事情があって犯人側と身代金交渉をするでしょう。そうだとすれば、昨日とはまるで違った態度を支社の担当者が取った説明もつきます。しかし身代金を見事手に入れたとしても、犯人が船から逃亡することは困難でしょう」

 無事取引が成立すれば何事もなかったように船を港に着け、乗客を解放するつもりだったする。だが乗客の安全を確認してから警察に届け出をすれば、犯人側は困るだろう。外部からの侵入が無理だとすれば、犯人は内部にいる者に限られるからだ。

 つまり乗客または乗組員の中にいる事になる。いくらひそんでいたとしても、全員の名簿は運営会社が持っていた。名前や住所だけでなくパスポートナンバー等も控えられている。逃亡はまず不可能だ。偽造パスポートを持っていても、その前に身柄を拘束すればいい。

 もちろん後から追えば、証拠がなければ難くなる。明らかに船内で犯人側と通じる行動をしていた、または顔ばれしていれば証明できるだろう。しかしそうしたものが全て処分されたり、それこそ海に投げ捨てられたりすれば終わりだ。

 それでもある程度怪しいと思われる人物はマークできる。下船した際に姿を消している者がいれば、最有力候補だろう。それにシージャックが成功したとすれば、身代金も相当な額になる。ならばそう簡単に運営会社が見逃すとは思えない。警察も必死に追うことになるはずだ。吉良の主張に松ヶ根は頷いて言った。

「お前の言う通りだ。犯人達も警察にマークされ続ける覚悟が無いと、こんな計画に乗れないだろう。成功報酬だって、いつ手に入れられるか判らない。大金が入ったとなれば、それこそ警察に疑われるだろうからな」

「はい。自制心がある者ならこっそり受け取り、ほとぼりが冷めるまで使わないでおくこともできるでしょう。でも犯人達が何人いるかによるでしょうけど、全員そうできるとは限りません。犯罪に手を染めるくらいだから、それなりに事情があるはずです。大金を手にしてついはしゃいで浪費し、それで捕まった奴らは世界中にいますから」

「だが、あの船で何かが起こっている事だけは確かだ」

「そうですね。担当者の説明に、嘘が混じっている事は間違いないでしょう。警察には言えない、何らかのハプニングが発生していると考えるのは、妥当だと思います。しかもあの船には、連続殺人事件との関係が疑われる安西が乗船していますからね」

「だからどういう理由があろうと、船が着岸するまで俺達は待つしかない」

 二人は肉眼では見えない沖の船を想像しながら、暗くなり始めた水平線を見つめていた。

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