足許の女
嵩人は自分の許を去った彩乃が玄関の方に消えていくのを見ていた。
なにしに行ったんだろう?
彩乃がいつ頃からか、玄関側のお手洗いを使わなくなっていたのに気づいていた。
あそこのトイレが最新式なので、みな喜んで使っているのに。
そう思いながら、なんとなく後を付けてみる。
すると、彩乃がトイレの中に居る誰かに向かってキレていた。
霊?
いや、此処に霊は居ないはずだが――。
ますます気になり、嵩人は隠れて様子を見ていた。
「ばかばかしい。私も私だわ。
そろそろ嵩人が来るかもとか待ってないで、しんちゃんたちと旅行に行けばよかった」
「嵩人さんが独身のうちに此処へ寄られるのは、これが最後かもしれませんよ」
という男の声が聞こえる。
彩乃は少し言葉に詰まったが、すぐに関係ない、と言った。
まあ、関係ないと言えばないんだが。
遺言が公開されたあと、縁談を進めてしまったのは、荘吉と喧嘩した弾みというのもあるが。
もうひとつ、彩乃に関して昔から囁かれている噂があり、それが心に引っかかっていたから、というのもあった。
「しかし、嵩人さんが結婚ですか」
何故か自分を知っているらしいその男が溜息をつきながら言う。
「貴方たちはどんどん大人になって、そのうち死んでしまうのでしょうね」
「あの……もっと陽気な話はできないんですか?」
「私、霊ですから」
「いや、陽気な霊も居ると思うんですけど」
と二人は話している。
この家は昼間の方がしんと静まり返って人気がない。
そんな中で、彩乃が霊とは言え、男と会っていると知り、つい、息をひそめて見つめてしまう。
くすくすと笑っている彩乃の姿に無性に腹が立った。
最近、彩乃は自分の前で、あんな風に笑ったことはない。
早瀬彩乃はジイさんの隠し子なんじゃないか。
最初に誰が言い出したのかわからないが、大学を出た彩乃が就職せずに荘吉の面倒を見るようになると、もうそれが事実のような扱いになっていた。
荘吉も彩乃にだけは此処を出て行けと言わなかったし。
その噂が真実なら、彩乃と自分は、叔母と甥の関係になる。
戸籍上はそうでないのだからいいようなものだが――。
男に愚痴ってすっきりしたのか、彩乃は二階の部屋に戻ろうとした。
慌てて隠れる。
近くの部屋の襖の陰に身を潜めた嵩人は、廊下を通る彩乃の姿を見送りながら、自分ちでなにやってんだ、俺は、と思っていた。
もっとも、此処が自分の家なのも、あと少しのことかもしれないが。
海外で暮らしているので、あまり会わない両親はこの屋敷には特に思い入れはないらしく、他人に譲り渡されると聞いても、何の感慨もないようだった。
荘吉の遺言に、叔父たちはやる気のようだったが。
この化け物屋敷に最後まで住み続けられるのは、彩乃くらいのものだろうと思っている。
ただ、家族も職もなく、大学を出てからは、荘吉と霊の世話だけをしてきた彩乃には特に収入というものはなく。
此処の固定資産税を払い続けることはできないだろうと思われた。
そう。
誰か余程稼ぎのある旦那でも見つけないことには――。
元居た洋間に戻ろうとした嵩人は、競馬新聞を小脇に抱えた男が、廊下の向こうから歩いてくるのに気がついた。
シャツのボタンをはずし、いつもちょっとダラッとしているのが、昔から変わらない、彼、
融はこちらに気づき、おう、という顔をする。
「嵩人、帰ってたのか」
「お久しぶりです、融さん」
融と少し話したあと、洋間に戻る。
ソファに腰を下ろしかけてやめ、少し避けて座り直した。
雨戸だけではなく、足許にも、たまに死んでる女が居るからだ。
今も居るその女を見下ろしながら、
「……なんで此処なんだろうな」
と嵩人は呟く。
眉をひそめ、テレビをつけた。
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