第21話 本当は


 メイドや執事、家の人間、警備に見つかりそうになりながらもギリギリのところで回避しながら、ルア探しは続いていた。


 もっとも役に立ったのはイーファの姿を消す魔法で、持続時間が短いものの発動している間は他の人間から姿を隠すことが出来た。何度か見つかりかけたところをこの魔法で切り抜けたのだ。

 疲れで緊張の糸が途切れそうになっていたところ、二階の奥の方の部屋で彼女を発見することが出来た。

 彼女は座って机に脱力した様子で両手を投げ出していた。机には幾つか小難しそうな題のついた本が並んでいる。綺麗に加工されたガラス窓から、日が落ちた町に顔を向けてたそがれていた。


「ルア」


 先に声を掛けたのは俺だった。ルアはこちらに振り向く。

 居るはずもない俺らに驚いて、声も出ないようだった。しかし、ややあって彼女の顔は強ばる。


「警備を気絶させたのは、キリルさんたちだったんですね」

「まあ、不可抗力でな」

「わたし達はルアさんにもう一度考え直して欲しいと思ってきたんです」

「ルイとの約束をふいにすれば、あいつは何をしでかすか分からないぞ」


 ルアは俯いて、ただ黙っているだけだった。

 ルイとの約束を引き合いに出すのは卑怯にも思えた。確かにルアのために説得しに来たという面はあるが、俺にとってもフラフラただ単に生きているだけよりもルア達と共に翻訳魔法を復活させるための長い旅をしていたほうが生きている意味を感じられた。

 だからこそ、ルアには自分たちのもとに帰ってきて欲しい。


「ルア、決断するのはお前だ」

「私は――」


 ルアが俺の言葉に答えようとした瞬間、鉄の棒が何本も床から生えてきた。鉄の棒は複雑に絡み合って、俺とイーファを鳥籠のように囲ってしまった。

 こんなことは魔法以外ではありえないことだ。背後に振り返る。そこには眼帯を付けた男が一人立っていた。


「お父様……」

「本当は穏便に済ませるはずだったが、こうなるとはな」


 ルアの顔はみるみるうちに青ざめていった。

 鉄の棒に触れても、鳥籠はびくともしない。男を睨みつけて、俺はドスの利いた声を低く響かせた。


「お前、ルアを翻訳魔法から遠ざけてどうするつもりだ」

「君たちには関係ないことだ」

「関係ないわけあるか! 今まで一緒に旅をしていた仲間なんだぞ」

「そうか」


 お父様と呼ばれた眼帯男は俺の言葉に些かの興味もない様子で、部屋から出ていく。

 後に残ったのはバツの悪い雰囲気だけだった。

 ルアは青ざめた顔で俯き、イーファはこの先どうなるのか不安を懐きながらもなんと声を掛けたら良いのか分からず、俺は疲れで頭が鈍っていた。

 鉄の棒でできた壁に寄っかかる形で座り込む。角度的にしたからルアの顔を覗き込む形になる。

 彼女は俺の視線を避けるように顔を背けた。


「……ごめんなさい」


 ルアがやっとのことで絞り出したような声で、そう呟く。

 いつも元気な彼女がこんなふうになっているのを見ると居たたまれない気持ちになってくる。今は彼女を責める気持ちにはなれなかった。


「まあ、お前の気持ちも分かるから良いけどよ」


 この際だから、ルアには聞いておいて欲しいことが一つあった。

 息を整え、顔を見せてくれないルアをまっすぐ見据えて、先を続ける。


「実は俺、昔は通訳者だったんだ」


 ルアとイーファが同時に驚いた様子で顔を上げた。やっと顔を見せてくれた。


「で、でも、キリルさん、前は本商人だって」

「嘘だ。俺は元翻訳者で、翻訳魔法が出回って職を失った」

「なんで……」


 ルアは困惑した様子で、視線を巡らせた。


「翻訳魔法が無くなれば、キリルさんの仕事だって戻ってくるかもしれなかったんですよ」

「ああ、そうだな」

「じゃあ、なんで……なんで、私の旅に協力してくれたんですか……?」

「なんでだろうな」


 俺は最初にルアに出会ったときのことを思い出す。彼女はブレイズ語が話せないにも関わらず、エクリからブレイズへと旅をしていた。言葉に無頓着な方今の人らしいやり方だった。

 だが、言葉が通じないからといって自分たちと彼らを断絶する人々とはルアは違っていた。通じないながらに挑戦しようとする彼女のパッションに俺はいつの間にか見惚れていたのかもしれない。

 だからこそ――


「お前が危なっかしくて見てられなかったから、かもな」

「な、なんですかそれ……」

「そもそもな、ダサいじゃねえか」

「ダサい?」


 ルアはきょとんとして首を傾げる。


「翻訳者や通訳者が人の叡智なら、同じ人に作られた翻訳魔法だって人の叡智だ。自分の能力を上回られて、仕事を取られて、文句を言うなんて職人としてダサい」

「キリルさん……」

「それにお前みたいな奴なら、翻訳魔法と通訳者・翻訳者を両立できる何かを考えられるだろうと思ったから」


 確証はなかった。彼女のパッションに当てられただけで、ルア自身もそんなことは考えていなかったかも知れない。だが、無意識にそう感じていたことは事実だった。

 ルアの横顔は少しずつ色を取り戻していた。つうっと彼女の頬を涙が伝っていった。彼女はイスから立ち上がって、鉄柵を力強く掴んだ。


「……そこまで期待されてるんだったら、やってみせますよ!」


 涙を流しながら、ルアは叫んで宣言する。


「翻訳魔法だって、翻訳者だって、通訳者だって、なんだって私の手でどうにかしてみせます!」

「ルアさん……!」


 イーファが胸の前で手を組んで、華やかな表情を見せる。

 もう彼女に迷いは無かった。


 どうにかしてこの鉄の檻を壊す方法は無いか、俺達三人は試行錯誤を繰り返していた。

 掴んで揺すっても、タックルしても鳥籠は相変わらず歪む様子もない。イーファが熱を与える魔法や衝撃を加える魔法を試してみたが、これも効果なし。ルアはその間、再びイスに座り、何かを考え込んでいた。


「ルア、なんか良いアイデアでも出たか?」


 侵入したときの疲れも相まって、俺は満身創痍という感じだった。イーファもこの状況で出来ることを全部試して、疲れ切ってしまっていた。魔法を使う際に消費するMPの減少は、すなわち精神力に直結している。魔法を使えば使うほど精神的に疲れてしまうのだ。

 ヘタっている俺達の前で考え続けていたルアは何か思いついたようで「よし」と呟いてイスから立ち上がった。

 親子だから何か分かるだろうと俺達は期待していたが、始まったのは鉄柵への全力タックルだった。


「うおりゃぁ!」


 ガシャン! 鉄の棒はルアの三回目のタックルで歪んだ。

 一体どういうことだろう。内側から力を加えたときはびくともしなかったというのに。


「ああ、そういえばそうでしたね……」

「なんだ?」


 分かった様子のイーファに掛けた疑問はルア自身がその身で答えてくれていた。


「内側からだと力を加えても壊しづらい構造なんですよ、この檻っ!」


 数回のタックルで、檻には人一人が通れるくらいの歪みが出来た。全力タックルを繰り返したルアは俺達が檻を脱出できたのを確認すると長く息をはいた。そして、膝に手をついて肩で息をする。


「大丈夫か、ルア?」

「だいじょう……ぶです……」

「あ、ありがとうございます」


 イーファはおずおずとお礼を言って、ぺこりと腰を折った。

 そんなとき、部屋の中へと入ってくる複数の人影が見えた。その先頭には先程の眼帯男、後ろに警備兵を連れている。


「さすがはルアだ。私の牢獄魔法を破壊するなんて、力が有り余っているようだ」

「さて、聞かせてもらおうか。ルアをここに閉じ込めておく本当の理由を」


 眼帯男はため息をついて、続けた。


「あれほどの魔術的知の集合体である翻訳魔法の消滅の裏に何があったのか、君たちは知らないだろう」

「誰もしらないからこそ、旅の中でそれを知ろうと――」

「ああ、そうだろう。だが、私はこれを大きな陰謀だと考えている」


 眼帯男はルアの言葉に被せるようにいう。彼女の表情がまた固くなった。

 俺は翻訳魔法が作られた経緯を思い出していた。各国の魔術の重鎮が集まって作られた翻訳魔法は、当時の魔法技術の最高傑作だと言われた。そんな翻訳魔法を誰にでも使えるように整備した高位魔術師達は大衆から大いに評価され、英雄視された。

 その翻訳魔法がいきなり使えなくなり、高位魔導師達も原因を解明できていないという現状に陰謀を感じるのも無理はなかった。

 眼帯男は腕を組んで、ルアに視線を向ける。その眼差しは優しい親のものであった。


「ルア、私が大いなる陰謀に没頭する愛娘を気にしないとでも思っているのかね」

「しかし、お父様、それは――」

「心配なのだよ、君のことが。ルイが居なくなってこれ以上無い良い時機だった」

「私の話を聞いてください!」


 ルアは机を叩いて、立ち上がった。そして、眼帯男に迫る。

 俺とイーファはそんな彼女の背中を静かに、しかし応援の眼差しで見つめた。


「私は元々家出人です。それでも心配してくれる親に生意気なことをいう資格はない。でも、私を追って大量虐殺をしようとしたルイお兄様と約束をしました。お互いに為すべきことを成してから、家族として相まみえましょうと。それにもう一人じゃないんです。キリルさんとイーファさんという素敵な仲間がいる。一人は元翻訳者で、もう一人は宮廷魔術師です。素人じゃない。仲間と一緒に旅をしてきたんです。その中で目的以上に大事な絆を育んできたんです」


 眼帯男は口を半開きにしながら、ルアの言葉を聞いていた。言葉の意味は理解出来ていても、受け入れるのが難しいときの顔だった。


「だから、行かせてください。翻訳魔法を復活させて、必ずここに戻ってきてみせます。私はあなたの娘ですから!」


 ルアの声はいつもの元気なものに戻っていた。

 眼帯男はその声に唸りながら、しばらく考えていた。ルアは答えが出るのをゆっくりと待った。

 彼は大きなため息をついて、それから言った。


「ルアらしい答えだ」

「ま、私ですから」

「良いだろう。家出したときも私にはルアを止められなかった。君の溌剌さには完敗だ」


 ルアはこちらを振り返って、ニッコリと笑顔を見せる。イーファはこくこく頷いてそれに答えた。


「再出発の準備をしよう。馬車と荷物を用意させるよ」


 そういって、眼帯男は部屋を去っていく。ルアは脱力して、その場にへたり込んだ。


「おつかれさん」


 俺は彼女の肩をたたいて、廊下に出る。新鮮な空気が吸いたかった。

 背後でイーファとルアがキャッキャと何やら騒いでいた。再び旅を続けられる。最初は面倒だと思っていたことが、今では完全に捨てきれない物となっていた。

 人は変わるものだ。廊下の端でぼやける魔法灯を見ながら、俺はそう思った。

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