第20話 相反する可能性


「うわっ……」


 思わず呆れと驚きが混ざったような声が出た。

 目の前にはきらびやかな邸宅が現れていた。薔薇の細工が施された門にはエクリ語の文字でディフェランスと書かれている。まさかここまで分かりやすいとは思わなかった。

 イーファもまた驚いた様子で邸宅の中の温かい灯火を見つめていた。


「で、では、入りますか……?」

「そうするか」


 ルアを無能だと思わせるには、彼女の近くでことを起こさねばならない。秘宝の守り人としては、秘宝から離れることが難しいはずだからだ。無断で家に侵入するのは少し気が引けたが、これも彼女のためだ。

 そう思って、鉄の門に手を掛けたが擦れるような音が鳴るだけでびくともしない。


「動かないぞ、この門……」

「普通の門に見えますが……?」


 イーファも小さな手で押してみる。非力な彼女が押しても多少の手応えはあるはずだが、それすらもない。門は不自然なほどに不動を保っていた。

 イーファは無駄だと分かったのか、力むのをやめて息をついた。


「これは、おそらく魔術式のロックですね」

「どうにか出来ないのか?」

「えっと、時間さえあれば解錠は出来ます」

「どれくらい掛かる」


 イーファは頬に手を当てながら、うーんと唸りだす。


「さ、三時間くらい……ですかね」

「はあ」


 門の前で三時間も居座っていたら、不審者としてお縄に付くことになりそうだ。他に入れるところが無いかと、周りを見回していたところ、門の奥の方から人影が現れた。

 片手にランタンを持ち、腰には長剣を佩いている。警備兵のようだ。


「おい、そこで何をやっている!」

「マズいぞ、イーファ、ズラがるぞ」

「は、はいっ――って、わわっ!?」


 慌てて逃げ出そうとしたイーファの足がもつれて、彼女は両手を上げながら正面に倒れる。彼女が両手をついて、起き上がったときには警備兵は門の前にまで来ていた。


「痛ったぁい……」

「大丈夫か、早く立て!」

「待て、逃げるんじゃない!」


 警備兵は逃げようとする俺達を追いかけようと、門に手を翳す。その瞬間かちゃりと何かが解錠されたような音が聞こえた。逃げなければ、警備に捕まる。だが、イーファを置き去りにすることはできない。

 葛藤しているうちにも警備兵はこちらに迫ってくる。

 荒事は苦手だが、一か八かやってみるしかない!


「おらっ――!!」


 未だ剣を抜いてない警備兵の懐に飛び込んで、押し倒す。頭を打った警備兵はそのまま気を失ってしまった。思ったよりあっけない警備だと思った。

 イーファが背後から心配そうに覗き込んでくる。


「キリルさん……もしかして……」

「大丈夫だ、殺してない。頭を打ってノビてるだけだ」

「はあっ……」


 安心したように吐息を漏らすイーファ。警備兵のほうには何も非がない以上、命まで頂戴するつもりはもちろん最初から無かった。だが、それ以外のものは侵入に役立ちそうだ。

 俺は警備兵の装備を手早く外して、衣服も脱がせていく。


「あ、あのぅ、キリルさん……?」

「なんだ」


 イーファの声色は何か奇妙なものを近しい人の中に見たというような引きを感じさせた。


「えっと、そういう趣味だったりしますか」

「男色なんて珍しいもんじゃないだろ」


 エクリの貴族たちのうちには男色趣味が流行っていた時期があったという。今では、どっこいどっこいらしいが男好きは珍しいものではない。

 地面の砂が擦れる音が聞こえた。背後でイーファがもじもじしているのだろう。


「あうっ……こんなときに、破廉恥です……」

「冗談だ」

「えっ」

「変装したほうが侵入者だってバレにくいだろ」


 イーファが驚きに固まっているうちに衣服を瞬時に着替え、装備である長剣を佩く。戦いには長けていない文士には少し重量のあるものだったが、気にするほどではない。着終わってから、警備兵の体を見えづらい暗がりの方に移動する。

 息をついたところで、奥の方からもうひとりの警備兵が現れた。こちらはさっきの若い警備兵とは違い何処か中年のオッサンのような顔をしていた。どうやら、俺のことを巡回していたさっきの警備兵――つまり、仲間だと思っているらしい。


「おい、門が開いてるじゃないか。何やってるんだ?」


 近づいてきた警備兵は俺の横にいるイーファの姿を見て、目を細めた。


「誰だ、そいつ?」

「門の前でしゃがんでたから、不審だと思ってな」

「えっ」


 一気に不安そうな表情になるイーファを視線だけで威圧する。彼女は気圧されて、黙ってうつむいてしまった。

 新しく現れた警備兵はイーファを舐め回すような視線でじっくりと見て、にんまりと嫌悪感を催す悪い笑みを浮かべた。


「そうか、じゃあ奥の部屋で取り調べ・・・・するか」

「得体が知れないから二人で行こう」

「良いから、お前は門を締めておけ。取り調べは俺に任せて、お前は当直をやってろ」


 中年警備兵は俺の背後の門を指差した。イーファが捨てられた子犬のような目でこちらを見つめている。

 大丈夫だ、あんな変態にお前を引き渡しはしない。


「それが困ったことに門が施錠されないんだよ」

「何? それは奇妙だな」

「魔導式のロックに異常でも起きたのかもしれない。ちょっと調べてくれよ」


 口からでまかせだ。だが、中年警備兵はまんまとこの嘘を信じ込んで門に近づいていった。無防備に背後を晒したそいつの首元を抜いた剣の柄で殴る。

 意識を失った中年警備兵はその場にどさっと倒れ込んだ。


「猿真似でもやってみるもんだな」


 首元に一発、気絶して倒れるというのは小説や演劇における暗殺の描写で良く見る。実際に効くとは思わなかった。

 倒れた警備兵から視線を離せないまま、イーファは瘧に罹ったように振るえていた。


「大丈夫か、イーファ」

「は、はい、私は大丈夫です……」

「しかし、面倒なことになってきたな」

「最初はルアさんを無能に見せかけるだけだったのに……」

「これじゃ暗殺者アサシンの強襲だ」


 ため息を付きつつ、今更帰ることなど考えていなかった。

 邸宅の方を仰ぎ見る。この調子だと他にも警備兵が居ることだろう。倒れた警備兵を一々暗がりに隠しても、いずれ不自然な状況はバレるに違いない。であれば、早急にルアの居場所を見つけ出すほかない。


「行くぞ、イーファ」

「だ、大丈夫なんですか……わたしたち……」

「荒事は苦手だが、俺がどうにかする。お前は魔法でサポートしてくれ、良いな?」


 イーファの表情は不安で満ちていたが、無言で彼女は頷いてくれた。

 かくして、邸宅の中に入り込むことが出来た。シックな内装、ふんわりと落ち着いた照明は火によるものではなく魔法でこしらえられたものらしい。ここに居ると自然と気分が緩んでしまう。しかし、いつ何が起こるか分かったものではない今、リラックスしてる場合ではなかった。

 慎重に通路を探索していくと一室から話し声が聞こえてきた。背後に続くイーファにハンドサインで止まれと指示して、耳をそばだてる。


「警備が二人やられただと? 侵入者が居るということか」

「はっ、可及的速やかに発見し、捕らえます」


 どうやら家長と警備の長が話しているようだ。


「もちろんだ、早くやれ。まったく、ルアを家に戻したというのに、やはり翻訳魔法には関わらせるべきではなかった」

「翻訳魔法の復活など、無理なことですからね……あっ」

「お前は無駄話をしてないで、警備を増強してこい」

「は、はっ、今すぐに!」


 警備の長らしき人物が部屋から出てくる。俺達は慌てて、通路の影になっている死角にしゃがんで隠れた。警備の長は俺達の存在には気づかずにそのまま通り過ぎていった。

 俺はイーファの方に振り向いて、囁いた。


「聞いたか?」

「え、あ、はい……」

「これは怪しい匂いがしてきたぜ」


 顎をさすりながら考える。翻訳魔法の消滅にディフェランス家が関わっていたとすれば、俺達は敵陣に何も考えずに突っ込んでいることになる。バカも同然だった。


「と、とにかく、まずはルアさんを見つけましょう」

「そうだな」


 通路に人が居ないことを確認して、俺は立ち上がる。再び探索が始まった。

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