第12話 怖さを乗り越えて


 広場には多くの人が集まっていた。様々な屋台が立ち並び、祭りの雰囲気を楽しむ人々でごった返している。


「それにしても、遅いですねえ」


 ユカタを着たオレンジ髪の少女――ルアがふと呟いた。その手元には屋台で買ったスカッシュが握られている。

 イーファとの約束の時間はとっくの通り過ぎてしまっていた。花火が打ち上がる時間はあと数分と迫っている。彼女は約束の時間に現れず、今に至る。


「宮廷関連の人ですし、誰か偉い人に呼ばれてるのかもしれませんねぇ」

「……そうだったらいいが」


 何か悪い予感がする。ルアの言葉が楽観的すぎるように感じるのがその証拠だった。

 意味深な言葉で答えた俺をルアはきょとんとした顔で見つめる。色々な可能性が頭の中をよぎるなか、背後で破裂音が鳴り響いた。振り返ると、火の玉が真っ黒な空を駆け上がって、高いところで爆ぜる。瞬間、烏羽玉色の空に幾つもの金糸が滝のように夜を彩った。

 歓声が上がる。そんな状況を目の前にして、俺は決心した。


「ルア、お前はここで花火を見てろ」

「何処に行くんですか?」

「用を足してくる」


 そういって、俺はルアに背を向けて走り出した。

 もちろん用を足しに行くわけではない。人混みを駆け抜けながら、考える。一体彼女は今何処に居るのだろう。

 そんなとき人混みに混じって花火を見ているエーリッヒの姿が見えた。ラフな格好で空を彩る光の舞を見上げている。そんな彼の肩を掴んで、自分の存在を気づかせた。


「うわっ、キリル……だったっけか。どうしたんだ、そんなに急いだ様子で?」

「イーファは、今日はどうしてた」


 宮廷で知らない人は居ないとのたまった人間だ。イーファの行動もある程度分かるだろうと思った。

 エーリッヒは驚きながら、頭の中を探るような表情になる。


「家を出て、仕事場にまで出てきたんだろうってのは知ってたよ。今日も倉庫に顔を出してたからな」

「倉庫に……? 花火玉作りの仕事は終わってただろ?」

「そうだったらしいな。そういえば、エーテルトキシンなんか持ち出してたけど何だったんだろうな?」

「何だそれは?」


 エーリッヒは目尻を上げて意外そうな顔をする。俺が余裕無さげに凄むと急いで言葉を出そうと「あーえー」と舌を回し始めた。


「ま、まあ、そうだな。花火玉なんかに使うもんじゃないな、そんなことしたら皆死んじまう」

「死ぬ?」

「ああ、だってエーテルトキシンは毒だから――」


 聞き終える前に俺は走り出していた。背後からエーリッヒが「おい!」と呼びかけてくるが、足を止めている暇は無かった。


――クソッ!


 内心毒づく。一体何をやっているんだ。一緒に花火を、完成品を見ようと言ったというのに。こんなに心配させて。

 イーファの仕事場まではそれほど掛からなかった。なだれ込むようにして、工房の中に入る。


 そこには青髪ポニーテールの少女――イーファが居た。工房の窓からは花火が弾ける様子が少し見える。彼女はその窓に背を向けるようにして部屋の隅でうずくまっていた。

 騒々しい足音で気がついたのか、そろりとこちらに顔を向けた。その瞳は涙に満ちていて、頬にこぼれた涙の筋が残っていた。そして、膝の上で両手で掴んでいるのは怪しげな小瓶だった。


「……キリルさん」


 しゃがれた声で彼女は俺の名前を呼ぶ。きっと泣きじゃくったのだろう。

 俺はそれに答えずに彼女の両手から小瓶を奪い取った。力の弱い彼女から物を奪うのは容易だった。そのまま掴んだ小瓶を工房の窓から外へと投げ捨てる。

 カシャン、とガラスの割れる音がした。


「あ……」

「何のつもりだよ、これは」


 相手を衝動的にさせないように自分を抑えていたが、どうしても漏れ出る感情がドスとなって声色に移ってしまっていた。

 イーファは静かに泣き出した。


「やっぱりダメなんです……わたし……」

「何がダメだってんだよ」

「また……失敗してしまうのが……怖いんですっ……!」


 嗚咽混じりの声が自分を貫いたかのような気がした。

 イーファは鼻をすすり、一拍置いてから続ける。


「翻訳魔法のときと同じなんです。皆、わたしに期待して、お願いしてくれます。でも、宮廷魔導師の肩書を信頼されてお願いされた仕事を果たせなかったときの辛さは誰も分かってくれません」

「イーファ、お前」

「誰にも理解出来ないものを一人で背負い込んでいくしか無いんです。それくらいだったら、いっそ――」

「馬鹿野郎!」


 俺は言葉を紡ぐイーファの小さな手を取った。白くて、小さくて、肌は絹のような繊細な触感だった。

 イーファは涙目のまま、そんな俺を見上げる。


「行くぞ」

「何処へですか?」

「良いから、立て」


 半ば無理やりにイーファを引き起こす。よろける彼女の手を引いて、俺は走り始める。とにかく走る。


「キ、キリルさん、一体何処へ……?」

「もうすぐ着く」


 とにかく走って、着いたのは例の広場だった。イーファは連れてこられたことにやっと気づいて逃げようとするが、俺は彼女の背後からがっしりと両肩を掴んで動けなくする。


「キリルさん……! 離して……!」

「よく見ろ!」


 はっとしてイーファは目を見開いた。

 高く飛び上がる火の玉、夜空のキャンバスに描かれるシダレヤナギ、それを見て大喜びする子供たち、肩を寄せ合って美しい光のショーを見上げる恋人たち、大きな音に驚きつつじゃれ合う家族連れ。

 そういった情景から失敗の文字は導き出せなかった。


「凄い……」


 イーファは温かい息とともに言葉をもらした。流れる涙は恐れから感動へと変わっていた。


「自分が出来ることをすればいいさ。宮廷魔導師だからとか、そういうの関係なくな。そうしたら、そのうち人々だってお前のことを分かってくれる。そのうちお前自身、お前のことが認められるようになるさ」

「キリルさん……」

「それで良いだろ?」


 既に肩を掴む両手に力は入っていなかった。それが表すのは彼女自身がこの「成功」を受け入れたことを表していた。

 イーファは振り返ってこちらを見る。涙はまだ止まらない様子だ。でも、その顔は晴れ晴れとしていて、清々しかった。

 彼女はこれまでに見せてこなかったほどの綺麗な笑顔を俺に見せてきた。


「ありがとうございます、キリルさん」


 彼女の背後でまた一つ花火が上がった。

 それと共にイーファに誰かが横から抱きついてくる。ルアだ。何故かよよよと泣いている。


「イーファさぁん~~~探したんですよぉ、広場中探したのに見つからなくてぇ、よよよ……」

「す、すみません、だからほら、泣かないで」

「よよよよよ……」


 イーファは急いで服のポケットからハンカチを取り出してルアの涙を拭く。彼女こそハンカチが必要なんじゃないかとも思ったが、そんなことを言うのは無粋だった。

 なぜなら、彼女の涙はルアも気づかないほどに乾いていて、もう前を向けるようになっていたから。


 俺は腰に手を当てて、空を仰ぎ見る。

 また金糸が空を零れ落ちていった。


* * *


「ついてくる?」


 俺は腕を組みながら、目の前の青髪ポニーテールの少女――イーファの言葉を聞き、耳を疑った。

 祭りの次の日、仮眠所に現れたイーファは「旅についていきたい」と言い出したのだった。


「はい、宮廷評議会の方に長い休みをお願いしました。キリルさんとルアさんには大切なことを気づかせてもらえたので、足手まといになるかもしれませんが……」

「良いじゃないですか、翻訳魔法に関わった専門家がついてくるなんて」

「はい、あのときは失敗しましたが、魔術師としてこの異常の原因が何なのかには興味がありますし、どうか旅について行かせてもらえませんか」


 イーファは上目遣いでこちらを見てくる。

 俺は翻訳者だということと、多少の面倒臭さで内心微妙な感情になっていたが、彼女をここで突き放しても夢見が悪くなるだけだった。

 ルアとイーファは期待に満ちた顔で俺の返答を待っている。俺はため息をついて、それから答えた。


「分かった、お前もついてこい」

「はいっ、ありがとうございます!」


 彼女の満面の笑みが微笑ましい。ルアも飛び上がって喜んでいた。

 かくして、我らがパーティーにまた一人魔術師が増えることになったのであった。

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