第10話 宮廷倉庫と犬耳魔導師


 仕事場を出てから、日の位置を確認する。まだ、太陽は高い位置にある。まだ、お昼の時間からそれほど経っていないようだった。時計など無くてもこのように太陽の位置が分かればある程度時間は分かるものだ。

 そんな俺のよこでルアは腕を組んで難しそうな顔をしていた。


「それにしても、イーファさんって凄い魔導師なのに性格があれで残念ですよね~」

「まあ、世の中にはいろいろな人間が居るからな」


 適当に返す。俺は青色の屋根を探すのに集中していた。


「あったぞ、青色の屋根だ」


 イーファの言うとおり、その建物はすぐ隣に立っていた。倉庫然としないような神殿のような綺麗な建物だった。透き通ったような白はどうやら大理石らしい。その上に帽子を被るように青色の屋根が乗っかっている。

 入口らしき通りに近づくと、視線を感じた。俺達が入るのを塞ぐように中から魔導師らしき青年が出てきた。犬耳が生えており、彼の背後では尻尾が振れている。どうやら獣人の類らしい。

 彼はイーファと似たような制服を着ていた。おそらく宮廷魔導師の服装は決まっているのだろう。


 彼は俺達に怪しそうな表情を向けた。


『ここは宮廷魔導師以外、立入禁止だぞ』

『その宮廷魔導師のイーファ・レヴィナにお使いを頼まれて来たんだけどな』

『本当か? 怪しいが……』


 獣人の魔導師はそこまで言ったところで、鼻を利かせ始める。獣人たちは本能的な衝動癖がある一方、普通の人間と比べて知覚能力が高い。匂いで何かを察知しようとしているのだろう。

 彼は一通り匂いを嗅ぎ終わると、何かを納得したかのように腕を組み直して道を開けた。


『通っていいぞ』

「一体、何を確かめていたんですか?」


 建物に入るのを認められたのを理解したルアが呟く。俺も疑問だったので肩をすくめてみせて尋ねてみる。

 獣人の魔導師はそれを見て、やれやれといった表情になった。


『お前ら、レヴィナさんの作業場でフソウの茶を飲んだだろ』


 踵を返して、奥へと向かう獣人の背を俺は驚きながらただただ追うのであった。


 倉庫の中は外見とは異なりとても広く感じた。手前から奥の突き当たりに行くだけでも時間がかかりそうだ。ひんやりとして薄暗い室内にはびっしりと様々な調合材料やら魔道具が置かれている。必要な材料――小竜角粉を見つけるには時間がかかりそうだった。

 顎をさすって悩む俺を前にルアは小走りで獣人の魔術師に駆け寄って袖を引く。


「小竜角粉ってのは何処にあるんです??」


 俺はルアのエクリ語を翻訳して、彼に伝える。


『それなら、粉の列の角系のところにあると思うが』

「粉の列の……角系……」


 ルアは困惑しながら、そう呟いた俺の方を見た。

 確かに部屋の中には何かを示すような表示版がところどころ飛び出していたが、ブレイズ語でもエクリ語でもなく絵文字のような何かが書かれているだけであった。どれが粉を表し、角系がどれなのかを判別するのは至難の業だった。


『出来たら場所を教えて欲しいんだが』

『おいおい、グリフも読めないのか? レヴィナさんも変な弟子を取ったな』

「……私達、弟子じゃないんですけどっ!」


 腰に手を当てたルアがむっとした顔で抗議する。獣人の魔導師はそれを受けて、きょとんとした顔になってしまう。ブレイズ語とエクリ語の「弟子」という単語は同じ音だ。ルアもそれでふと耳に聞こえた言葉に反応したのだろう。

 彼がそういう反応になるのも無理はない。大抵、宮廷魔導師なんかに関わるのは弟子と役人、それと宮廷の関係者である貴族や王族くらいなものだ。


「ばったり出会って、いきなり手伝いをお願いされたんだよ」

「そんなこともあるのか、あのレヴィナさんがお手伝いを……」


 彼は呆けた様子で歩きながら、考え込んでいた。二人とも考え事をしながら、歩いていたせいで自然とその速度は遅くなっていた。

 表示版が一つづつ頭の上をゆっくりと通り過ぎていく。


『どうやら彼女のことをよく知っているようだが』

『宮廷の中でも一二を争う高位魔導師だからな。宮廷に関わっていて、知らないほうがもぐりだ』

『ふむ』


 ルアは頭の上を通り過ぎていく表示版に書かれた「グリフ」とやらを静かに眺めていた。数々の絵文字は確かに見ていて飽きないものだった。

 ふとイーファのことが気になった俺は獣人の魔導師に尋ねることにした。


『翻訳魔法の件以来、ずっとあんな様子なのか?』

『ああ……』


 彼は深くため息を付く。


『昔は幼くても凛々しい、誰もが畏敬の念を抱くような大魔術師の風格を持っていたんだが、今じゃあんな感じでな。自信を打ち砕かれるってのはこれほどにも人心に堪えるものなんだな』

『俺も似たような経験がある』

『そうなのか、弟子じゃないとは言ってたが魔法の心得でもあるのか?』

『いや……』


 背後のルアの様子を見ながら、どう答えるべきか考える。

 昔、師匠が言っていたことを思い出した。言葉がわからずとも雰囲気で意味は伝わるのだと、そのうえで通訳者や翻訳者は職人としての正確さを求められるのだと。

 だからこそ、ブレイズ語が分からないのだとしても「翻訳者だった」と堪えるのは気が引ける。

 答え方を迷っていると、獣人の魔導師は鼻を鳴らして居直った。


『ふん、不思議な奴らだ。まあいい、自己紹介を忘れたな。俺はエーリッヒ、宮廷魔導師だがここの倉庫番をやっている』

『キリルだ』


 短く答えると獣人の魔導師――エーリッヒはその場で立ち止まった。ややあって、棚に置かれたガラス製の容器を指し示す。


『そこにあるのが小竜角粉だ。必要な分だけ持っていくと良い』

『助かる、ありがとう』


 そういうと彼は気恥ずかしそうに頬を掻きながら、その場を去っていった。そのガラス製の容器を下ろすと、ルアと一緒にその中を覗き込む。


「ああ、これです。さっさと革袋に詰め込んでイーファさんのところに戻りますよー!」


 張り切るルアはガラス製の容器の中に横たわる匙を頭上に持ち上げる。それを俺は取り上げた。


「よこせ。そうやって雑にやろうとするから、失敗するんだぞ」

「少しは私にも良いところを見せさせて下さいよ!! オトナでしょ!」


 そういってルアは俺から匙を取り返そうとぴょんぴょん飛び始める。セミロングのオレンジ髪が飛び上がるたびに左右に振れて可愛らしい。

 しかし、そんな可愛さに惑わされてはいけない。

 俺はルアの頭頂に軽く手刀を入れる。彼女は懲りたのか、涙目で頭を押さえながら引き下がる。


「いたぃ……」

「まったく」


 俺は匙で革袋に粉を移していった。革袋の口を閉じて、ルアの方を見やる。彼女はまだ痛がっていた。そんなに強く叩いたつもりは無かったのだが。


「おい、大丈夫か? もう終わったから行くぞ」

「は、はい……」


 なんだか少し怯えられているような気がしなくもない。気になりながらも、掛ける言葉は出てこなかった。

 出入り口のところでエーリッヒが脱力した顔で紫煙をくゆらせていた。手元には細身のパイプがある。一服中のところを邪魔しないように静かに前を通ろうとしたところ、俺の耳に小さい囁きが入ってきた。


『お前たちと関わって、レヴィナさんの中で何かが変わると良いが』


 つい口にしてしまった、というような口調だった。俺はその言葉の意味を聞き返すこともなく、彼の前を去ったのであった。

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