第121話 ずっとこのまま

「ほう、女性がひとりで旅をしているのか」

 少年に紹介された彼の祖父は、齢50いくつだろうか、陽気で、しかし年齢を感じさせる深みのある人物だ。ユウナギはいつもの交渉に入る。


「しばらく泊めてもらいたいんです。農作業でも狩りでも、炊事洗濯何でもやります!」

 彼にか細い女性の申し出を断る理由もない。それに孫が彼女を気に入っているようだ。


「近くに持ち家があるから使えばいいよ。蜘蛛の巣だらけだから、掃除しなくてはいけないがな」

「ありがとう!」

 

 ただ彼は不思議に思う。旅の途中と言っているのに彼女に手荷物はないし、着ているものがとても上質だ。また今度話してくれるだろうか、と考え、彼は自分たちのことを話した。実は彼らは血の繋がった祖父孫ではなく、少年、ダイチは拾い子だったようだ。実子たちの巣立った後、彼とその妻はみなしごだったダイチをいちから育てた。妻は2年前他界したが、ダイチは彼女を本当の母のように慕っていた。それは聞けば聞くほどユウナギの好きな、「心温まる話」であった。



 翌朝からユウナギは精力的に仕事をこなした。本当に家事はなんでも引き受けるし、女であるのに狩りにも付いていける。むしろその技量は半端でない。10日も過ぎると少年と祖父は、彼女がとても好きになった。

 ユウナギもこうやって知らないところで過ごしていると、現実から目を伏せられるので朗らかでいられた。なので今までまず旅先で聞いていた、“ここはいつのどこであるのか”を、彼らに尋ねることはしなかった。然るべき時に元の世へ戻されることも分かっているからだ。


「でも、どうして私はここに飛ばされたのかしら。神は気まぐれ。今までだって、理由なき処へ飛ばされてたことあったんじゃ……あれ? あったっけ?」


 どれもこれも神が彼女を愛でるが故の神隠しだということを、彼女は心得ていない。



 その後、数日間雨が続き、外での仕事は出来なかった。ユウナギは祖父と縄を作る作業などをしていた。

 だが少年は悪天候でもここぞとばかりに洞窟に行って、朝から晩まで掘り続けていた。それをちょくちょくユウナギも手伝った。

「もっと広くなったらここを整えて、祖父さんに住んでもらうんだ」


 ユウナギは今でも住めなくはなさそうだと思ったが、彼はもっと広くて快適で、前衛的な住居を想像しているらしい。

「ああ、一緒に住むからもっと広くね。それなら、それはいつになるの?」

「何年かかるかなぁ!?」


 どうにも楽しみだという彼に、ふとユウナギは考えた。そうはいっても彼の祖父はもういい年だ。健康そうに見えてもほぼ長老の域なのだ。

 しかしそんなことは口にせずともよいのだろうし、続けて少年の夢を聞いていた。彼の口ぶりだと、今後も彼は子どものままで、祖父は元気な長老のまま、何も変わっていかないような印象を受ける。今の安気な温かい暮らしが永遠に続いていくと、信じて疑わないのだろう。自分も12の頃はそうだったかもしれない、と思い出に浸りながら、ユウナギは力いっぱい踏みすきを振り落とした。




***


 いったん雨が止んだ日の昼間、家の畑のものを採っている時、祖父がユウナギに語りかけた。

「君が何者なのかは、この際聞くつもりもないのだが」


 ユウナギは相槌を打つ。その頃、遣いに出ていたダイチが家の垣根のところまで帰っていたのを、彼女はちらりと横目にした。


「お願いしたいことがある、ダイチを頼みたいのだ」

「頼む、と言うのは?」

「ダイチを引き取ってもらえないかと」

 彼はいつになく真剣な表情だ。


「……私はただの旅人ですよ?」

「君が最初着ていたものは、我々には手の出ないほど上質のものであったし、君の雰囲気から、きっと高貴な人なのだろうと思ったんだ。図々しい願いだと分かっているが、あの子に知識を授けてやれたらと日ごろから考えていてな……」

「少し驚きです。邑の人が、そういうことを考えているなんて」

「一介の民草が望むことではないよな。俺も、我が子を育てている間は食わせることだけに精一杯で、こんな考え浮かびもしなかった」


 彼は、身分制に反発しようと思っているわけではないと念を押す。

「しかしダイチはあれでなかなか賢い子ではないかとね。機会さえあれば、邑の役に立つことができる男になるかもしれない」

「いいと思います。武功を立てて役人になる民がいるように、持つ教養を証明して出世する民がいてもいい。ただ知力は武力と違って、特別に磨く機会がないとね」


「そうなんだよ。だから、下働きとしてで構わない。それでもあの子に多少の学びの機会を与えてもらえないかと」


 ユウナギとしては、これが自身の住む世でのことなら、前向きに考えるところだった。しかし、いつか戻らなくてはならない。うまく連れて帰れる気もしない。


「……考えてみます……」

 何より自身ももう、いつどうなるか分からない身の上なのだ。安請け合いはやはりできない。



 この時、いつまた雨が降るかという空模様だったので、大人たちはこの隙に外の仕事に精を出していた。ユウナギも慌ただしく手伝っていたのだが。

 夕方になってもダイチは帰ってこない。祖父は心配になった。近所の人も見ていないという。すぐ日は暮れ、もしかしたら友人のところにいるのかもしれない、翌朝探しに出ようという話になった。


 朝、ふたりは早くから集落を回ったが、友人知人のところにもおらず、次は例の洞窟に向かった。

「今までもこんなことあったんですか?」

「叱った際に、洞窟に一晩隠れてたことは幾度かあったが、昨日は何もなかったよな……」

 ユウナギは、そういえば彼は一度帰ってきたような、と思い出した。


 洞窟をのぞいてみたが、結局そこにはいなかった。一度戻ってまた近所を探しても、昼を過ぎても帰ってこない。小雨がまた降り始め、近所の人らも共に、今度は洞窟の向こうの森に足を伸ばしてみようとなった。

 森に入ったところでいったん祖父とユウナギ、3人の邑人むらびとと二手に分かれた。祖父は声を張り上げ少年の名を呼ぶ。しかし返事は一向に返ってこない。


「ここには来てないのかしら」

「いや、以前一度、この森の奥でふてくされていたこともあった。確かその時は……」

 彼は思い立ったようで、さらに奥へ進んでいった。

「もうすぐ行ったところに崖のくぼみがある。子どもたちの、たまの遊び場になっているところなんだが」


 そこを抜けたら、幅の狭い川を挟んだ崖の向こう側、下方の岩崖のえぐれたところに、うずくまる少年をふたりは見た。

「ダイチ!」

 祖父は今のところ彼が無事であることに安心したようだが、一刻も早く保護しなくてはいけない。そこで少年は何か必死に叫ぼうとしているのだが、ふたりには聞こえてこない。

「もしかして、声が出なくなってるの?」


 しかも自力で動けないようだ、足を怪我しているのかもしれない。

「今行く!」

 深い谷になっているそこは、降り続いた雨で増水している。今もまだ雨は続き、狭い谷川の水位は更に上がる。向こう側はこちらより低い、あとどれくらいもつだろう。


「向こう側へはどうやって!?」

「少し行くと、つり橋が掛かっている!」

 それを伝って子どもたちはよくあちら側へ行っていた。橋の向こうも崖のえぐれで狭い通路となっており、その少年のいる行き止まりは袋のように広くなっている。


 確かにつり橋はあるが、それは今にも切れ落ちそうだ。

 ユウナギは渡るべきではなかった、だがそれに気付かず彼に付いて行った。この状況だ、冷静でいられるわけもなく。彼もユウナギに、そちらに残る指示を出す余裕などはなかった。


 ユウナギが渡りきるというその時、つり橋はとうとう切れて落ちた。その直前、間一髪で彼は、彼女の手を引っ張った。

「あ、ありがとう……」

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