第110話 ボーイッシュな少女

 悩まし気な日々の中、ユウナギは思い付きで、あることを侍女に頼み込んだ。それは久々に、子どもの頃暮らしていた侍女らの屋敷に行ってみたいという話だ。


 王女になってからというもの、気兼ねがして一度も訪ねたことはなかった。中央の隅にあるので近場であるし、幾人か年の近い子もいたのだが、この身分となった後、彼らに対し引け目に思う気持ちがあったようで。


 ユウナギは侍女服に着替え、久々にその屋敷の戸をくぐった。そこは大きな、倉庫の様な家屋だった。

 多少は覚えている。昼間は外で働いたり、仲間たちとはしゃいだり、夜は大勢で乱雑に寝ていた。母がいる時はぴたりとくっついて眠った。


 今度は外に出てみて、屋敷の質素な外観をぼんやりと眺めていた。そうしたら、なんだか母がすぐそこを通ったような気がして、目から涙がこぼれ落ちた。


「母上……」

 目の奥が打たれたように痛む。それがどんどん強まり、涙が後から後から溢れだす。母に会いたくて、抱きしめられたくて、そんな思いが止まらない。


「母上ぇ……。怖いよ……助けて……。助けてっ……」

 泣いて請うても母は現れてくれない。もしかしたら近くにいるのかもしれないが、ユウナギを抱きしめる腕が彼女にはないのだ。


 それでも。

 「逃げたい」とこぼせば受けとめてくれるであろう母を求め、しばらく声を上げて泣き続けた。



 その後、うずくまり顔を伏せているユウナギに、後ろから声をかける者たちが。

 ここで暮らす子どもたちだ。ひとりの大きな子と小さい子3人ほどで連れ立っている。

「おねえちゃんも一緒に遊ぼう?」


 ユウナギは涙を拭いながら尋ねた。

「えっと、何をして?」

「かくれんぼ」

 4人は顔を見合わせたら、すぐそこの林の中へ駆けていってしまった。


 んんと、私が探す役なのかな? とユウナギも、彼らを追ってそこに入る。きょろきょろと見回しながら奥へ進んでいった。いったん歩みを止め左右を見回し振り返る。

 そして一歩踏み出した瞬間、水面に立ったような感覚が走り、神の吹くいざないの風が彼女を遥か遠くへと吹き飛ばしていったのだった。




 目が覚めたらそこは家屋の中だった。

「おや、気付いたかい」


 男性の声がした。頭がまだぼんやりしている自覚はあるが、身体に痛みはない。なので起き上がろうとしたら止められた。

「頭を打ったんだろう? まだ寝とるといいよ」


 その家屋には男性がひとりきり。助けてくれたらしいその人は、偉丈夫だが老人だ。ユウナギは天井を見つめたまま礼を言った。


「ああ、お前さんが倒れているのを見つけたのは、俺じゃぁないんだがな」

 老人はユウナギの礼で察し、その手柄を、彼女を見つけた他の人物に渡した。ユウナギはおぼろげに、この人の家族かなと思った。

「俺は外におるから、寝とればいい」


 その言葉に甘え、そのまま休ませてもらうことに。ユウナギはぼんやり考える。久々に神隠しによる移動で意識を失った。サダヨシにこういった経験を話した時、それはもしかしたら国の外に出る場合、受ける衝撃が大きいのでは、と推測された。ここは国ではないのだろうか。



 ひと眠りして回復したユウナギが家を出たら、老人は物作りをしていた。

「何を作っているんですか?」

「起きても大丈夫かい? けものを捕える罠だよ」

「へぇ。おじいさんは職人なのね?」

「昔からなんでも色々作っとったが、最近はいろんなことができんくなってなあ。目はよう見えんくなったし、手もよう動かん。あとすぐ疲れるようになった」

「そうなんですか」


 彼はユウナギに聞く。どこから来たのか、帰るところはあるのか。

「えっと、旅をしてるのだけど……」

 彼は不思議そうな顔で見てくる。ユウナギは言葉に詰まった。それを察してか。


「ここは旅人がたまに流れつくところだ。もし雨風凌ぐ当てがなければ、近くの空き家におってもいいよ」

「空き家があるんですか?」

「俺の息子が暮らしとったのがある。長いこと空き家だが倉代わりにもしとって、たまに掃除はしとるからな、たぶん使えるだろう。後で見とくよ」


「息子さんは今どこに?」

「集落のどこぞかなあ」

 集落があるようだが、ここはそれから離れた場所らしい。


「どうしておじいさんもそこで大勢の人と暮らさないの?」

「どうしてだろうな。ずっとここに住んどるから、越すのが面倒なんかな」

「そっかぁ」

「ああ、さっきお前さんが倒れてるって俺を呼びに来た子は、多分あっちの原っぱにおるよ」

「はい、お礼言ってきます!」


 草原に出るまでは林の中をまっすぐ行けばいいと聞いた。人がしばしば通るおかげか小道ができている。ユウナギは木々の隙間から差し込む光を頼りに、その人物を探しながら進んでいった。



「原っぱはもうすぐかな。……ん?」

 背の高い木々の枝葉で覆われた、薄暗い場に入った瞬間だった。前方から来る急な眩しさに目がくらんで、いったん両目をぐっと閉じ、顔を背けた。そしてゆっくり目を開けながら前を向くと、驚くなかれ、大木の幹がまばゆい光を放っている。


「中央……伝説……??」


 “次のその地位に就くお方は……光輝く木の幹の中に座って……”、歌姫のあの言葉が瞬時に浮かんできた。


 それは確かに光っている。斧も何も持ち合わせていないが、そこを切ってみたくて足を一歩踏み入れた。


 その時、大木の裏から、ひょこっと小さい子どもが顔を出した。するとユウナギの目に映っていたまばゆい光は、途端に消えてなくなったのだった。


「消えた……?」

 今のはなんだったのと、茫然とする彼女の前に現れたのは、齢10にも満たないだろう、目のくりくりした子どもだ。それをしばらく、うわぁ可愛い女の子だぁ……とじろじろ見つめていた。


「さっき気絶してた奴だな? もう起きていいのか?」

 声もいかにも幼子風に甲高く、可愛らしい子だ。きのこのたくさん入ったかごを手にしている。


「別に礼とかいいぞ。運んだのは爺さんだしな」

 それだけ言って、向こうへ歩いて行こうとした。


「あ、ちょっと待って!」

 ユウナギはその子の見た目調査を慌てて止めた。


「何だ? 俺に何か用か?」

「んん?」


 なんだか違和感だ。女の子……だよね?? と、まじまじと見るだけだが再び調査に入った。確かに子どもの見目や声の性差はそれほどもないが、やはりこの子は女子おなごだと思う。髪の毛は短いがそれでもちゃんと女子に見える。


「どこに行くの?」

「そっちの原っぱでよもぎ採る」

「なら私も手伝う。一緒に行っていい?」

「いいけど」



 すぐに林を抜け草原に出た。日当たりの良い場で、よもぎが集団を作って生い茂っている。少女は重ねてあったかごを外し、よもぎを採ってそこに入れ始めた。ユウナギもそれを手伝いながら話しかける。


「それはおじいさんに?」

「ん?」

「家族なんだよね?」

「いや、爺さんは友達だ。爺さんにも持ってくけど、これは母上に食べさせるんだ」

「友達……」

 少女と老人が友達というのは一見妙ちきだが、案外親和性があるものだと感じた。


「晴れてりゃ毎日爺さん無事か確認しにきて、ここらで食べ物採って帰る」

「じゃあ、あなたは集落で暮らしてるのね?」

 子どもがひとりで通えるほどなら遠くはないと知る。


「母君はきのことよもぎが好きなの?」

 その問いに、少女の顔が曇った。

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