第66話 水のせいにして温め合ってたのに……
アヅミによって彼が連れてこられたところは、3階西側の客室だった。崖寄りの方で、大きな窓から見えるのは山を覆う木々、もちろん下には川が流れる。
「ユウナギはどこに?」
「川屋へ行くと」
「ひとりで行かせたのか?」
「おひとりで行くとおっしゃって聞かなかったんですもの」
呆れたように話し、彼女はそこを出ていこうとする。
「私は用があるからいったん下がるわ。ここを出るなら夜明け前がいいでしょ? それまでふたりで待っていて。兵舎にいる護送兵への通達はどうする?」
「……頼む」
「準備しておくように伝えるわ」
そして扉の向こうに消えた。
「……猿芝居もいいところだな、互いに」
霧が出てきた。彼の次の仕事は、ユウナギの声が聞こえたら返事をすることだ。
しかし彼にとってこれはまったく気が重い。1年前の自身にこちらの存在を示唆する意味もあるが、主な目的はユウナギを川に落とす引き金となることだから。
幾度話し合っても本人がそうしろと言うのだから仕方ない。そしてそれを助けるのも自分なのだから、一応責任は果たしている。それでも彼女が絶望を感じた瞬間がある、という事実が心苦しいのだ。
そのように悶々としていた頃、とうとう聞こえてきた。自身の名を呼ぶ声が2度。
彼は迷いを投げ捨てるように顔を上げ、窓の外に向かい彼女の名を呼び返した。
過去のナツヒを西側の川沿いに連れて行った後のユウナギは、調理場に戻っていた。
そこに入室した時、目に入ってきたのは満腹でご満悦の侍女ミツバ。
「いや~~もう久しぶりにモリモリ食べたわ! これね、この生地の上に具材乗せて焼くとくっつくんだよ! 餅だねこれは」
「え、そうなの? それでいいなら巻く手間省けるわね」
「巻く?」
「ううん、こっちの話。どの具材が合ってた?」
「野菜は、
「蛙良さそう~~」
同意しながらユウナギも余った分をつまむ。ナツヒに持っていきたいなと思った。しかし食べている暇はきっとないだろう。
「でも一応包んで持っていこっと。じゃあ、おやすみなさい!」
ユウナギも軽食に満足し、出ていった。
「おやすみ~~。……あれ、あの子どこで寝るつもりなんだろ?」
彼女がいくら待っても、侍女用の寝室に侍女ナギがやってくることはなかった。
辺りは暗い。動くなら少し目が慣れてきてからのがいいだろう。
「……っ」
「……ん、ユウナギか?」
衣類庫に向かう途中、ちょうど3階から降りてきたナツヒと鉢合わせした。
「あ、ナツヒ。良かった」
「暗いから気を付けろよ」
衣類庫まで辿り着き、ユウナギがそこの扉を開けようとした時だった。その手を押さえ、ナツヒが止めた。
「?」
「あ、あのさ、俺が先入る」
「え?」
「お前ちょっとここで待ってろ」
「ん? どうして?」
暗いのでユウナギには、彼が慌てている風なのがあまり分からない。
「いいから、お前はここで」
何を思ってか彼がたどたどしく話すのを無視し、ユウナギは扉を開けた。
「今は時間との勝負だっていうのに、何言ってるの? ふたりでやった方が早…」
暗がりの中、奥にずかずかと進入した彼女の目に入ってきたのは。
「ん――??」
大事なものをすっぽりくるむように抱きしめられて眠る1年前の自分と、額に頬寄せ抱きしめて眠る1年前のナツヒだった。
ユウナギは小さく、「うわぁ……」と呟いた。
「それは、そうしてないとお前の身体冷たくなって、胸の病になったら困ると……」
後から入ってきたナツヒが、気を配った小声で言い訳をする。
「まぁ正直、俺も寒くて、熱が欲しかったってのも、まぁ……」
そこで振り返った彼女は、軽く握った手を口元に寄せ、はにかんだ笑顔で言うのだった。
「じゃあ、ナツヒから私を取り上げちゃって、悪いね」
「…………いいよ」
暗いせいかユウナギが存外可愛い
そしてふたりは協力し、ふたりを起こさない様に気を付けながら、眠る彼女を現在のナツヒの腕に流した。ユウナギは眠るナツヒの肩と膝に織物をかぶせ、そこを後にする。
それからふたりは3階にある道具倉庫に、眠り姫のユウナギを連れてきた。
「さて早速着替えだけど、なにこの布ぐるぐる巻きは……。これ書で見たことある。ずっと遠い国で、こういう遺体の保存方法があるって」
「うるさい、それしか“しよう”がなかった」
「これあそこで目が覚めても、私自分で解けないじゃない。手首まで雑にぐるぐるされてて。どうするつもりだったの?」
「うるさい」
ユウナギはとりあえずその布を解こうとした。
「あ、見ないで。あっち向いてて」
「は? ひとりで起こさずにできるのか? というか元の衣服脱がしたの俺なんだけど」
「なに言っ……、脱がしたって言うなぁ!」
深く考えないようにしていた事実を言葉にされ彼女は赤面したが、篝火程度の明るさでは顔色まで見えないので問題ない。
言われた通り、ナツヒは背を向けて待つのだった。
「うわぁ―…自分の身体を抱いて作業するって変な感じ……。あぁっ。……あの、やっぱり手伝ってください……」
ナツヒは鼻から息を抜いた。
「できるだけ、見ないで……」
結局ふたり掛かりで、持ってきた侍女服を着せることに。
「あ、そうだ」
「ん?」
「私、ナツヒにちゃんとお礼を言ってなかった。いやぁ1年間、水中での人命救助特訓して、自分で助けたと思い込んでたから」
「そりゃ絶対に無理だろ」
「初めて聞いた時、驚きすぎて言い忘れてたし。あの時、助けてくれてありがとう」
「…………」
彼女はまったく素直な娘なのだ。
「まぁ、俺それが仕事だし……」
ナツヒは王女がそんなことを口にする必要もないと心得ている。照れ隠しに、用意しておいたよもぎを手渡した。
ユウナギはそれを、眠る過去の自分の衣服にどしどし忍ばせながら語る。
「よもぎなんだけど、元々ここに入ってたそれは川に落ちた時に失っている。私たちがあの男の弱点だと知ってこのように仕込んで、この仕込みのおかげで1年前の自分たちはそれが弱点だと知る。これってどういうことなんだろうね」
「どっちが先かって話か? それは卵が先か鶏が先かと同じだろ」
「永遠に分からないことね? 神の領分かな」
「多分な」
仕事を終えふたりは立ち上がる。
「あ、ナツヒこれ食べて」
布にくるんで持ってきた食べ物を取り出し、彼の口に放り込んだ。
「なんだこれ。餅?」
「分からない」
「!?」
分からないものを唐突に突っ込んでくるなと言いたい。
「どう?」
「……わりとうまい」
「さぁ、今回の最重要任務に出かけましょうか」
「最重要というわりに無計画じゃないか……」
次は忙しなく殿に向かうのだった。
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