第五章 あなたの敵を討ちたい
第38話 空から降ってきた乙女 ~藪に嵌まる
あれから
ユウナギはその間、馬術の訓練に精を出し、難なく乗りこなすようになった。
三月前からふたりはトバリに今までのことを話し、1年後の和議に向けて策を練ることを始めている。
初めてアヅミについて事実を話した時、トバリはただ黙って聞いていたが、それほど動じていないようだった。感じていたものがあったのだろう。
「でね、ナツヒも中央を出られるくらいになったし、久しぶりに魔術師のところに行きたいの」
兄弟は眉間に皺を寄せて固まった。
「帰り道、絶対どこか飛ぶだろう……」
ナツヒの言いたいことはつまり、君子危うきに近寄らず、である。
「確かに2回行って2回とも飛んでるけど、他でもあったんだから、あの山だけが鬼門ってわけじゃない。そんなこと言ってたら森にも山にも林にも行けない」
「今回はどういった目的で?」
トバリは一応彼女の言い分も間違っていないと、続けて意見を聞く姿勢だ。
「これから旅をするのに、彼の薬の力を借りたくて。よもぎのことも、あそこで使うんだから、ちゃんと確認したい」
「時空の旅に必要な薬、とは?」
「あのね、私もナツヒも、すっごくお腹すいたのよね……」
「あぁ、そうだったな……」
ふたりともがあのひもじさを思い出し、取り巻く空気が重苦しくなった。
「なんかこう、豆のような大きさで、一粒食べたら元気いっぱい! その日は存分に活動できる! なんていう薬ないかな――って」
「そんな便利な食料があったら、農耕ほとんどなくなるじゃねえか」
「おとぎ話に出てきそうな豆ですね。仙人などに会いに行かないと、手に入らないのでは」
ふたりに即否定され、ユウナギは少し落ち込む。
「不測の事態に食事が取れなくなるの、困るんだけどな」
「干し芋でも持って行ってください。今回も門限は6日後ですよ」
「行っていいの!? やったぁ、久しぶりの遠出!」
ナツヒは、そんな簡単に出していいのかと兄の方を見た。1年後までのふたりの無事は保証されている、と知った上での対応だと気付いていない。
道中、馬には乗らないこと、ナツヒに無茶をさせないことを言い付けられ、ユウナギは翌日馬車で出かけたのだった。
**
魔術師宅は3度目ということで、ユウナギはそこですっかりくつろぎ、雑談を繰り広げている。
「この三月、ナツヒは隊の仕事ができなくて、荒れてねぇ。大変だったの、訓練の時以外、暇で暇で……」
「隊?」
「ああ、この子、兵隊の人なの。たくさんの隊員を指揮したり、若輩を育成したり」
こんな平和な国でも軍隊は必要なのかと魔術師は問う。
「他地域との関係は長く平穏が続いているから、賊退治、
「お前本当にただ
いいかげん口を挟んだナツヒ、出された葉野菜を食べている。
「捜索か。それに犬は使うのか?」
魔術師が彼に尋ねた。
その質問の意味は、嗅覚の優れた犬に人を見つけさせるのかというものだが、猟犬は連れていくが、あくまでけもの対策だとナツヒは言う。
「犬は人と違って訓練できないからな」
そこで魔術師は意気揚々と話しだす。最近開発した有用な薬があるらしいのだ。
なんでも、それを食した者は鼻の利く犬に感知されるらしい。
つまり捜索に使える。犬は特別に訓練しなくてもいい。
「それって、行方不明者がそれを食べてなきゃいけないのでしょ」
「うん?」
「ちょうど行方不明になる前に、それを食べてなきゃいけないのでしょ?」
「……あ」
魔術師だって抜けているところはあるのだ。
「猫に鈴を付けて逃げることにした鼠みたいだな」
ナツヒは話半分で、また葉野菜を一生懸命食べている。
「いやこれな、意外と腹持ちが良くてだな、一族が移住の旅に出た時なんかに携帯食として持つのはどうだろう。途中で、あれっ子どもがひとりふたり足りないぞ! となった時、真価を発揮するんだよ」
「その一族が犬を連れていればでしょう?」
「一族は普通、連れてないか?」
「どうだろう? ナツヒはどう思う?」
「ん?」
ナツヒはもはや聞いていなかった。
「これなんだが、開発途中で作り過ぎてしまってな」
そう言いながら彼は瓶を持ち出した。
「これは、蜜?」
とろとろとした透明の液だ。
「基本は蜂蜜から作った」
そこでユウナギは指ですくって、ひと舐めしてみる。
「甘~~い!」
ナツヒがそんなもの舐めて大丈夫かと
「どう?」
「……甘い」
「身体に害はないぞ。俺も製薬途中でいくらでも食べたが、まったく平気だ。しかし犬には囲まれえらいことになる」
「それは気を付けないとね。でもこれ腹持ちするんだ? 2瓶いただきます」
と、ユウナギは前に持ってきたのと同じほどの米を渡す。魔術師はもちろん有難がった。
その後よもぎについていくらか質問をし、その住居を後にした。
「もうあと少しで
「いや、さっさと帰ろう」
ナツヒは田舎より中央のが好きである。
「なによケチ。あ、リスだ可愛い~~」
「もうリスにはついていくなよ!」
彼の慌てる理由がユウナギには分からない。
「あ、ちょうちょ!」
「お前は5歳児か。ってこの時期に蝶?」
その時ユウナギは自らに異変を感じた。
何度経験しても慣れそうにない、宙に浮かぶような危うい感覚。
取り急ぎ、脇に抱えている瓶を胸元で抱きしめ、しゃがみこむ。
「ナツヒ、瓶を抱きしめてる私を抱きしめて!」
「は??」
「早く! 食料は守らなきゃ! やっぱりここは鬼門だったぁ……」
ユウナギの早口に急かされて、しゃがんだナツヒがぎこちなく彼女を抱きしめた瞬間、ふたりはまたもやその山から飛び立ってゆくのだった。
***
山の中、ユウナギが失神しているところを、農具担いだひとりの少年が気付き立ち止まった。
「ここで女が
少年が仲間たちに呼びかけられ、そう叫んだ。
「この体勢、空から落ちてきたのか? 変だな」
ユウナギは藪の中にすっぽりと座るようにしてはまっていた。
守ろうとしていた瓶は、彼女の身体に挟まっているので無事である。
仲間の男たちが少年に駆け寄ってきたので、彼は藪から出すのを手伝うように言った。
藪から出して寝かせた彼女の頬を叩いても、返事がない。
「生きてはいるんだけどな」
そこにまた他の男たちがやってきて、近くに見慣れぬ男がやはり失神して伏せていると彼に伝えた。
少年は、この男女は連れ合いだろうと思い、仲間の男たちに彼らを荷車に乗せてほしいと頼んだ。
ユウナギが目を覚ましたら、そこは家屋の中だった。
「目覚めましたか?」
そこには女性がひとり、物作りをしていた。ユウナギと同じ年頃の村娘だ。
「ここは? ……いたっ」
「大丈夫ですか? あなたは少し怪我をしているんですよ」
ふんわりした声のその可愛い娘が、起き上がるのを手伝った。
あ、そうだ、私はまた……、と今回は早く気付けたユウナギであった。
「あなたが助けてくれたんですか?」
「いえ、私じゃなくて」
「あ、ナツヒ」
ナツヒが隣で寝ていた。
「お連れさんも近くで倒れていたみたいで。あ、お連れさんですよね?」
「そ、そう。そうです」
「彼に怪我はないみたい。あなたは藪の中で倒れていたって。だから衣服が破れて怪我をしてしまったのね」
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