第30話 2泊3日の旅の幕引き

 男は驚き、臆面もなく情けない声を上げた。2歩ほど後退あとずさりしていた。


 そこにはぽつんと印を内包する箱がある、と思い込んでいたのに、思いもよらない物がきっちり詰まっていたからである。


 表面が少し、ほろほろとこぼれ落ちる。


「……?」


 それを持っていた兵も、なんだろう? と抱えている金庫を脇に寄せ、その中身を覗く。


「ううぇぁぁ!」


 別に怪しげなものではない。ただ彼らにとっては思いもしなかったものだ。


 それは植物の類だったのだから。


 兵はそこから出てきた虫に驚いたか、金庫を手放してしまった。その時、わさっと中身が噴き出す。


「また……よもぎ!??」


 そこからである。男のくしゃみと嗚咽の再来が……。


「ぶわぁぁっくっしょいぃ!」


 ユウナギはやはりこれのせいだったかと答え合わせをした。なぜこうなるのかは知るよしもない。


「一度ならず……二度までもおぉぉ」


 主は目が痛いのか痒いのか、とにかくこすり続け余計に涙が出る悪循環。


 堪忍袋の緒が切れた彼はとうとう鎌を持った侍女から、それを手にとってしまった。その場で一心不乱に振り回す。



 ユウナギは再度その鎌に、得体のしれないを感じた。


 侍女らは恐怖で、殿の隅へと逃げ惑う。アヅミを捕らえていた兵も、彼女を放って逃げてしまった。


 自力で逃げることのできない彼女にユウナギは急いでかけ寄り、上半身を持ち上げ引きずり、入口の近くへ避難した。

 このまま逃げたいが、誰の協力もなく、意識混濁の彼女を抱き上げ走る体力は残っていない。


 ユウナギは欄間らんまの方を見上げた。ナツヒに助けを求めたかった。


 しかし彼は自身の役目を果たすまで、よほどのことがない限り出てこないだろう。実際ナツヒが矢を放つという直前だった。この騒ぎになったのは。


 矢は一本しかない、男が狂ったように動き回るうちは無理だ。


 ユウナギは実感する。この目に映るのは、血を求め彷徨さまよう物の怪に取り憑かれた脆弱な人間だ。私欲のため人を殺すことに、代償がないわけない。


 どうにかしてこの場を早く切り抜けたいが、自分にできることはもうない。


 囮として飛び込んで、特に働きもせずこの結果。


 もしかして金庫は開けない方が良かったのだろうか。無力感にさいなまれる。


 あとはアヅミを危険にさらさないよう気を付けつつ、あの男がちょこまかと動くのを止め、かつ回復する前にナツヒが射る、それを待つだけだ。




 その時、殿の正面扉が開いた。


 この馬鹿げた騒ぎの中で、その入室者はここにいる者たちの視線を集める。


「え? ……アヅミ?」


 そこに現れたのは、女官服の女。


 ユウナギの身体にしなだれる、焦点の定まらない目をした女性とは対照的な、凛々しく毅然とした、まるで初めて対面した時のアヅミだった。


 ユウナギは自分の膝元のアヅミをじっと見た。確かにこちらが本物だ。


 いま入室したばかりの女官は、足元の覚束おぼつかない彼女の主に歩み寄る。


 ユウナギの横を通り過ぎる瞬間、彼女は流し目で何かを訴えた。


 あれ? あれあれ?? と、ユウナギは違和感に追い立てられる。


 自分を守るように、前に立つ彼女。彼女は……彼女にしては大きい、のだ。


「あっ、あああああ!」


 ユウナギの頭の中は、何がどうしてどうなったらこうなってるの?? という疑問詞で埋まっていく。


 そこで女官は胸元から小箱を取り出した。ふたが開いた途端、それから放たれる、奥ゆかしい煌めき。


 薄目を開けた男は

「アヅ……金印を……ぶぁあああっくしょいっ! ……手に……入れたのだな……でかしたああ!」

と息も絶え絶えに、鎌を手にしたままゆっくり彼女に歩み寄る。


 その様子に衝撃を覚えるユウナギであった。

 この男は彼女を自らこのようにしてしまったことを、完全に忘れている。

 彼の見えている世には、自分に都合の良いことしか存在しないのか。それとも、もう精神も記憶も、物の怪に取り込まれてしまっているのだろうか。


 その一挙一動に冷静さを失ったユウナギは、その間、膝元のアヅミへ意識が向いていなかった。


 ただしばらく朦朧もうろうとしていたアヅミが、欄間の向こうから主に向けられている矢に、目を留めたのである。


 彼女のそれは反射かもしれない。「守らなくては」、その気迫だけで身体を動かした。


「えっ? アヅミ!?」


 その両腕と片足だけで身体を持ち上げ這い始めた。ユウナギを突きとばすことで勢いにして。


 そして女官の手の中の、金印にかぶりつこうとする彼の真横に、力いっぱい飛び込んだのである。


「……あ……」


「あ……アヅミ!!」


 書斎からの、ナツヒの射た矢は、迷いなくアヅミの腰を射た。


 ユウナギは声を上げ、真っ青になりながら彼女に駆け寄る。


「アヅミ! アヅミ!!」


 彼女はまだ微かに意識があった。地に伏す彼女をユウナギは抱き上げようとしたところ、すぐ横の気配に気付いた男が鎌を振り上げる。


「え……」


 その瞬間、女官が彼の懐に潜り込み、隠し持っていた短剣でその腹を刺したのだった。


 ユウナギの瞳には、その一連の動きが非常にゆっくりと映った。


 男は何が起こったのか不明であっただろう、剣が抜かれた後そのまま倒れ、ついには意識を失った。


 ぬるりと真っ赤な血が海を作る。


「…………」


 ユウナギは微動だに出来なかった。


 そんな彼女に、女官が声をかける。


「生け捕りにできなくて悪いな。ユウナギ」

「……ナツヒ……」


 怖い、悔しい、様々な気持ちが溢れ出すのに、いずれも言葉にならない。


 女官衣装をまとい、本人よりも濃いだろう化粧を施したナツヒに、脇目も振らずしがみ付きたくなった。


 しかし直ちに己を戒め、自分の元でうめくアヅミに思いを起こす。


「聞けユウナギ。アヅミは助かるかどうか分からない。もし可能性に賭けるなら、森の兵舎に医師がいる。兵もまとめて、今すぐ走って連れてくるんだ」


「でも……」

「俺が見てるから。応急処置を施す。さぁ早く。ためらってる時間はない」


 ユウナギは頷いた。


「あ、あの、あっちのナツヒは……」

「ああ、待ってろ」


 このナツヒは知っている。あの時どんなに扉を押しても無理だった。


 なぜか錠が掛かっていたのだ。それを覚えていたので、胸元にしのばせておいた鍵を取り出しながら書斎の扉に向かう。


 試行回数3回でその錠は外れた。


「ユウナギ!!」

「あっ……」


 扉が開くとなったら、中のナツヒは全力で扉を突き出し、錠を外したナツヒはそれに顔面殴打された。


 ユウナギはナツヒの代わりにナツヒに謝りたかったが、そんな暇はない。


「ナツヒ、医師を呼びに行くよ!」

「どこへ?」

「森の兵舎!」

「分かった」


 アヅミに、一刻も早く連れてくるから、と心で伝え殿を出た。




「はぁ……はぁっ……あっ……」

 気持ちは全力疾走していたはずだ。しかしユウナギはもうつくろえないほど、体力の限界だった。


「大丈夫か?」

 そこは森に入ったところ。あと少し行けば兵舎だ。


「負ぶるか?」

 少し前を走っていたナツヒが振り返り、ユウナギの手を取った。


 まだ走れる、とユウナギは言いたかったが、口先だけではどうしようもない。


 ナツヒだって状況は同じなのに。


「えっと……あなたが……先に……」


 その時だった。

「まずい……あの……感じ……」

「え? まさか」


 こうしてふたりはまた、急速に時空を飛び越えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る