白い靴

母が私の妹を産んだ時、私は5歳になっていたのだが、母のお腹が大きかったとか、お腹が重そうで大変そうだったとかいう記憶が全く無い。


鎌倉の小さいアパートで、企業戦士だった父の遅い帰宅を待ちながら、泣き疲れた娘の手足をさするだけが母のルーチンではなかったはずだが、子供は自分本位なもので、自分の方を向いている母親の顔しか覚えていないという事なのかも知れない。


ほぼ母娘二人でつましく暮らしているうちにも、臨月は巡ってくる。


母は、第二子を出産するにあたり、長子を産む時と同じ様に、里帰りをした。


ただ、長子の時はお里の家の座敷でお産婆さんに取り上げてもらったのが、第二子の時は、お里の島の隣の大きな島に建った総合病院での出産となった。


幼稚園をお休みして、長子の私も母の里帰り出産期間は瀬戸内の母のお里で暮らした。


兄弟姉妹が集まる盆暮れに里帰りする時の母は、それは楽しそうで生き生きとして、子供の目から見ても若返った様に見えて、鎌倉のアパートにいる時の様には甘えられない雰囲気だったが、盆暮れでもない普通の日々の母のお里の家には、祖父母と伯父夫婦が静かに生活していた。


いとこ達も、通常運転で毎日登校しているし、毎年繰り広げられていた喧嘩合戦もおのずと休戦状態となった風だった。


いよいよお産が近付いて入院、となるまでは、私も母のそばで静かに過ごしていたのだろう。


だが、私が寂しさに耐えきれずに暴発するまで、そう長くはかからなかった。


つまり母は順調に産気づいて、入院したのだった。


ある日、母の代わりに祖母が私にピッタリくっ付いて来ていたのだ。


「なんでおばあちゃんが来るの?ママはどこ?」と素直に聞けない子供だった。どこか、本当の事を知るのが怖いから、逃げている様な所があった。


祖母は多分、私の母の入院の事を伝えてくれたはずだが、私は、聞いても理解する事を本能的に拒んだのだろうと思う。


祖母は、絶望にくれる孫の機嫌を取ろうとしたのか、私を島の商店街に連れて行ってくれた。


商店街の通りを祖母と手をつないで歩くと、たくさんのお店が並んで色々な物を売っていて、なるほど目先の気分は変わった。


小さい子供の目線をちょうどキャッチする様な、巧妙なディスプレイのお店の前で私の足がピタリと止まった。


「これ買って。」


「靴買うんね?履いてきたのがあろう。」


「この靴がいい!」


可愛らしいデザインの、オシャレ靴に目を奪われたのだ。


母だったら絶対に買ってくれないカテゴリーの品だ。


汚れても洗えない。幼稚園に行く時に履かせられない。すぐ小さくなって入らなくなる。下駄箱の肥やしになるだけ。


「これ買うたらもう泣かんのね?」


「うん。」


買ってもらった靴の包みは祖母が持ってくれた。

私は、ありがとうぐらい言ったのだろうか?

言っていないと思う。


島の商店街は、にぎやかで華やかであったが、子供の足でも20分も歩けば通り抜けてしまう程度の規模であった。

祖母は、用事や買い物をする事もなく、ただ私の機嫌を直すためだけに連れて行ってくれたのだった。


もうすぐ商店街の端っこに差し掛かる、まさにその時、雷に打たれた様に、あるお店の前で釘付けになった。


私の目に、さっきのよりちょっと可愛い靴が飛び込んできたのである。


さっきのより、こっちの方が清楚で上品でオシャレできれいな色に見えて仕方が無い。絶対に気のせいなんかじゃ無い!


「これ買って。」


「へ?珠ちゃん何言おんね。今買うたばっかりやろ。」


祖母は、靴の包みを私に示し、驚きを隠せずすっとんきょうな声を上げた。


「これも買って!これも欲しいの!」


「あんた、おんなじようなもんふたーつも買うてどうするん?」


「同じじゃないの!白いのが良いの!」


こっちの靴は、白い色が似合う本当に清楚な可愛い靴だった。


しばらく靴屋さんの前で押し問答をして、祖母もあの手この手で気をそらそうと試したに違いない。


でも孫の泣き声が次第に大きく響き始め、人々の視線を感じ始めると、白旗を挙げざるを得なかったと見える。


「もう明日はこがに買わんからね。今日だけよ。」


祖母は、(どして二つもおんなじ様な靴屋があるんじゃろか。)と苦々しく支払いを済ませたのだろうか。


真新しい、非実用的なお嬢ちゃま靴の包みを二つも抱えて孫の手を引いて、(やれの〜。早いことみっちゃんが退院して来にゃ、えらいこっちゃ。)

と、冷や汗でも拭っていただろうか。


泣き止んだ私は、祖母と一緒に帰って来ると、大田商店の上がりがまちに、買ってもらった可愛い靴を二つ並べてご満悦であった。


夕食の席で、祖母がみんなに今日の出来事を報告して、「二足も買わされたんで〜。」と笑いながら身振り手振りで話しているのを、(おばあちゃん、ママみたいだな…)と、再発見した様な気分になって見ていた私であった。










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