グランディア編

81



  リリーが街へ外出を決めた日の早朝、北の国境線に向かっていたグランディアは、ある違和感に野営地を見渡した。


  朝食の準備の兵士たちにも緊張感は丸でなく、穏やかに談笑する指揮官と高官たち。そこをサイが足早に走り抜け、グランディアにたどり着いた。


  「殿下、落ち着いて聞いて下さい」


  「何事だ?」


  「昨晩合流した侯爵家の三軍、様子がおかしく指揮官に確認すると、大変な事実が」


  耳打ちに声を潜めるサイの告げた内容に、グランディアは呆然と呟いた。


  「……演習だと?」


  「はい。北に向かう全軍は、友好国セントーラとの大規模合同演習だと」


  「今までの軍会議はなんだったんだ?」


  「出陣前に、国王陛下から緊張感を高めるための訓練だったと、伝令があったそうです」


  「…………この、左右の領地戦の只中に、演習……? 知らなかったのは、我が隊だけか」


  怒りに拳を握りしめたグランディアの元へ、広がる雲の中、真っ直ぐに青い鳥が飛んでくる。サイの掲げた腕に着地した伝令鳥が差し出した足、筒から手紙を取り出すとそれをグランディアに開いて渡した。


  小さな伝達を受け取ったグランディアは、それを握りしめてサイを見た。


  「サイ、君の家の部隊メーベルライトは、王都守備隊だったな」


  「はい。我がメーベルライトと、エルドラード侯爵家が配置されています」


  「守備を解除し、急ぎエルドラードはアトワへ、メーベルライトの部隊をダナー領に向かわせろ。そして私は王都に戻る」



 **



  妹の外出を窓から見送ったメルヴィウスは、青空を覆い隠す雲を見上げると、柱時計に目を移した。


  「ダナーは、ローデルートの部隊がそろそろ国境線に到着するはずだ」


  「はい。クレルベ卿の部隊も、昨晩デオローダ領に入ったそうです」


  書類の束を手にしたルールも、メルヴィウスに同調して頷いた。


  「蛮族国相手に、我が母上は戦いを長引かせたりしない」



 **


 

  両軍は睨み合い、膠着状態が続いている。だが互いに部隊が増員し続けるなか、パイオドが陣形を変え左右に割れると、新たに現れた黒の騎士団、その掲げる家紋にトイ国の部隊長は息を飲んだ。


  「ここでグラン・グラスを出して来るとは、奴ら、これ以上遊ぶ気は無いようだ」


  ステイ大公領において、グラスの最終擁護官と称されるグラン家。死神と謳われるダナーの中では、慈悲があり、最後まで罪人や敵を庇うと印象付けられているがその実は違う。


  捕虜を一切必要としない、死すべき者の行く手を阻まない殲滅部隊。


  指揮に立つローデルートは、美しい灰色の馬の背、碧の瞳をひたりとトイ国の前線を見つめると、進撃に片手を上げた。



 **



  「学院の下見はどうだった?」


  「下見、ですか?」


  「絶対に通わなければならない場所でもないけれど、経験してみるのは良いことだと思う。良い出会いも悪い出会いも、ファンくんの経験値が増えるから。最近通い始めた私の台詞ではないけれど」


  「……でも、奴隷は学院には通えません」


  「……そうね、奴隷の皆さまは、今直ぐ通えない。でもそれは、きっと変わるから」


  「?」


  「奴隷の皆さまも、貴族も庶民も、お金があってもなくても、いつか皆が通えるようになる。教育は国のためになるのだから、国が先行投資でお金を払えば問題ないわ。国、というか国王陛下がね」


  「……」


  周囲の者たちは聞かなかったことにしたが、リリーの根拠の無い発言を、ファンは心に焼き付ける。用意された菓子を全て平らげると、リリーは本来の目的を思い浮かべてにっこり微笑んだ。


  「では見学の最後は、を見に行きましょうか」


  校庭の森を抜けると、目印の境界線から向こう側は、境会の大聖堂を囲む森に繋がっている。小高い丘に出たリリーとファンは、森に囲まれた豪奢な大聖堂とその奥の王宮を眺めた。


  「学院内から王宮までも遠いけれど、外側の森からでは更に遠くなるのね」


  やれやれと丘の上で腰に手をあてた。リリーの姿にナーラは眉をひそめたが、ファンは間近に見えた三叉の矛を恐怖に見上げる。


  遠く街から眺めていたよりも、より一層不気味に赤く輝く異様な姿。


  「姫様、そろそろ屋敷に戻りましょう」


  「ナーラ様、少し息を整えてからね」


  森の散歩に息を切らすのはリリーだけ。少年ファンと辺りを見回す護衛たちは、何の疲れも見せてはいない。


  「リリー様、」


  再び赤い矛を怪訝に見上げたファンだったが、リリーは、背後のナーラに気付かれない様に片目を瞑った。


  「どう? 近くで見た、悪意の象徴」


  「え?」


  「発信源まで来れば、根元からブチッと切れるのではないかと思って来てみたの」


  他には何も考えてはいない。だが思ったよりも遠くに位置する境会の場所を見て、リリーは「今日は無理ね」と潔く諦めた。


  「では戻りましょう」


  背後の護衛たちを振り返ったリリーはぎくりと身を固めた。近くに居たナーラ、その後ろに居たエレクトとメイヴァー、更に周辺を見回っていた彼らの部下達が、一斉に地に伏している。


  何かに押さえ付けられるように身を伏せて、それからようやく顔だけを上げたナーラは苦鳴と共に呟いた。


  「ひ、姫さま、お逃げ下さぃ…」


  「!?」


  真横を見ると、ファンも横たわっている。


  「どうしたの、皆さま、ファンくん、ナーラ様、エレクト様、メイヴァー様、」


  おろおろとファンの身体を起こそうと手を伸ばす。だが森から現れた人影、リリーは自分を取り囲む灰色の外套たちを見回した。



 

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