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貴族も庶民も多くの人が行き交っていた、休日に訪れていた大通りは、今は数えるほどしか姿が見えない。
だが緊急事態でも店はところどころ開いており、黒の馬車は甘味店の前で停車した。下車はしない。リリーとファンは、従者の買い物を待つだけ。
グレインフェルドの言い付けに、教会に立ち寄る事も禁止されている。街を見て回るだけの外出だったが、学院前の通りに差し掛かると、リリーは小窓をトントンと御者のアデンに合図した。
「お尻が痛い」
「??」
ゆっくりと停車した馬車に、護衛していたメイヴァーが何事かと駆け寄る。
「気分転換に景色は見れたけれど、休憩が無いからお尻が痛いわ」
「!」
「コホン!」
背後から来たナーラが、馬上でわざとらしく咳払いをした。それにリリーは口を不満に尖らせると顔を赤らめるメイヴァーとやって来たエレクトに訴える。
「少し疲れたので、屋敷に向かう前に休憩したいわ」
「ですが、この辺りには…」
大通りの公園まで戻らないと店は無い。困ったものだと周囲を見回す護衛たちに、内心で密かに笑ったリリーは「あそこ」と学院門を指差した。
「学院に寄ってもいいかしら?」
「駄目です」
即座にナーラが告げたが、リリーは負けずにお尻をさする。それを見ないようにエレクトとメイヴァーは顔を背け、不安げに顔を出したファンは突き出された指に驚いた。
「ファンくんに、私の通っている場所を見せてあげたくて」
「なりません。今は学院は閉鎖されています」
「わかるわよ、門が閉まっているもの。だからなの。今は誰も居ないなら、ファンくんが入っても問題ない」
「何を言っているのですか?」
「ファンくん、一度もこの学院に入った事がない。人が居ないなら、今なら入れるわ」
「……!」
奴隷の立場のファンは、行きたくても学院に通うことが出来ない。隠れる様に南の神殿で過ごしてきた少年を見て、ナーラは同じく長年城に隠されて過ごしたリリーの訴えに逡巡した。
「お願いよ。少しだけ」
「………………少しだけですよ」
「フレビア卿!」
メイヴァーとエレクトは非難したが、自由が制限されるファンの境遇を知る二人も強くは止められず、戦争により閉じられた学院門は、呼び出された管理者により開門された。
玄関からエントランス、音楽室、講堂、図書室、貴族専用サロン、展望室、そしてリリーの教室。
「次が闘技のための訓練場。でも正直言うと、うちの城の訓練場の方が広くて綺麗。ファンくんも、きっとそう思うはず」
「ふふ」
案内した学院の一室一室と、ダナーの城とを比較する。あまりにも続くリリーの自慢話にファンの警戒は薄まり、興味深くあちらこちらを見て回る。
闘技練習場から王宮に続く連絡通路は厚い扉で閉ざされている。一通り回ったところでリリーは中庭にファンを案内すると、街で購入した菓子をテーブルで広げた。
「ここで少しお茶しましょう」
**
「スペース卿、ご苦労様です」
閉じられた学院内だが、定期的に館内を確認する。中庭に続く回廊手前で呼び止められたアエルは、赤色の外套を纏う祭司に礼をした。
「祭司クラウンこそ、どうしてこちらに?」
「聖堂の資料が必要だったのですが、丁度良かった、鍵を……?」
中庭に入ってきたのは黒の騎士たち。テーブル席の一つに座る者たちを見て、クラウンは眉をひそめた。
「あれは…」
「ダナーの大公令嬢ですね。軟禁以降、学院では見ませんでしたが」
アエルも久しぶりに見た。風変わりな令嬢は、人気の無い学院でお茶を始めている。見るとリリーの隣には、王警務隊内で問題となった、奴隷の少年を同伴していた。
「呑気なものです。奴隷を学院に連れ込むとは」
「奴隷?」
「ああ、祭司には分からないかもしれませんが、令嬢の隣に座る少年は姿隠しの術を使っています。あの黒髪赤色の瞳は、本来は翠色の髪にピンクの瞳なのです」
「翠色に、ピンク?」
クラウンは、アエルが居るにも関わらず驚愕し興奮を隠さない。
「最上級の奴隷です」
「はい。ですがあれは、ダナーが所有している物でもあります」
祭司の異様な雰囲気に、何故かアエルが釘を刺した。それは耳に入っていたのか、クラウンは挨拶もそこそこにその場を足早に立ち去った。
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