17
リリーが手紙を送ってから三日目の午後、騒がしい音を聞き付けて覗き込むと、窓の下に洗濯物が風に舞っていた。
「皆様大変ね」
「今日は特別、風が強いですからね」
「そうだ」
「いけません」
「まだ何も言ってないのにっ」
「ではどうぞ」
本日の護衛は、侍女でもあるデオローダ侯爵家のナーラ・フレビアだ。護衛が同性であることを考えたリリーは、女たちが集う洗濯場に何かを閃いた。
「ナーラ様とご一緒なら、今日は洗濯場のお仕事を見て回ろう。私は訓練場と大会議室以外は出入り自由なのよ」
「………かしこまりました」
日課になっている城内散策。毎日城内を歩き回るリリーは、使用人と笑顔で挨拶を交わす。
たどり着いた洗濯場。干された敷布に涼しさを感じていたリリーは、近くで派手に桶をひっくり返した侍女に驚いた。
「大丈夫?」
「お、お嬢様、も、申し訳ありません」
「お嬢様、黒の安らぎを感謝致します。申し訳ありません、こちらは本日入ったばかりの侍女で、まだ不慣れなのです」
「そう、お名前は?」
「グーサンと申します」
「………グーさん?」
「はい」
「グーさんなの?」
「はい。グーサンです」
「……グーさん、女の子よね?」
「姫様」
性別の問いかけをナーラに窘められたが、リリーは「ふーん」と疑惑に見つめているだけ。
厚い前髪でそばかすを隠す、どう見ても普通の少女。リリーに注目された侍女はおどおどと、身の置き場無く一歩下がる。
だが突然、「グーさん、手伝ってあげるわ」とリリーは足下の敷布を抱え込んだ。
「姫様! お止め下さい」
「私たちが!」
ばたばたと慌てる周囲を横目に、リリーはグーサンと名乗った少女に抱えた敷布を手渡した。
「頑張ってね」
「はい!」
笑顔で恐縮した新人侍女であったが、手渡した敷布の下で、ある手紙は渡された。
「!」
「黒の安らぎを、感謝致します!」
敷布と共に深く礼をした。それにリリーは呆気にとられたが、ナーラに気付かれない様に手の平を握り締める。
(やっぱりグーさんの関係者だった。ふふ、面白いことするわね)
その場を後にしたリリーは、ふと手の平に収まる紙に首を傾げた。
「私、グーさんて言ったことあったっけ…。それとも手紙に書いてしまった?」
「何か?」
「ううん、独り言」
折り畳まれた小さな手紙を握りしめ、ナーラの目の届かない手洗い場に行くと一人になる。
そこに書かれていた内容に、リリーはまた、ぼそりと一人で呟いた。
「いいじゃん……」
*
翌日、リリーは再び洗濯場を訪れて、その場の全員に菓子を配り始めた。包まれた焼き菓子には、それぞれに花が添えられている。それを一人一人、自ら手渡しで労っていく。
「最後はグーサンの分、頑張ってね」
「ありがとうございます! お嬢様!」
渡された焼き菓子には、グランディアに指示された、自分の署名が同封されている。
「うふふ」
にっこり猫目を歪めたリリーは、家族に秘密の策略に満足し、微笑んでその場を後にした。
**
数日後、再び王都から贈られてきた書簡はリリー宛ではなく、ダナー・ステイ大公宛のものだった。それを目にした大公は、怒りに血管が浮き出るほど拳を握り締める。
「リリエルをここに」
緊張が張り詰め、まるで以前の冷気に覆われた城内に戻ってしまったかのように、全ての人々が緊張し息を潜める。
だが大公の執務室に呼び出されたリリーだけは、悠然と通路を闊歩して、人を飲み込む魔物の口のように大きく開かれた扉に、躊躇無く踏み込んだ。
待ち受けていたのは怒りを顕にした大公と夫人。だがその二人を前にして、リリーは全開の笑顔をみせる。
「何をした?」
「何もしていないわ」
「なぜお前の署名を、王が承認出来たのだ?」
「この前送った第四王子への手紙に、何か細工をしたのか?」
「してないわ。お父様もお母様も、中を確認したじゃない」
「リリエル、これは冗談では済まされないぞ」
「大丈夫。お父様とお母様と一族の皆様に、恥をかかせることはしないわ」
「そういう問題ではない」
「王族や
「リリー!」
「私、今回は、いろいろと失敗したくないの」
「何を言っている?」
「リリー、心配なんだ」
「大丈夫よ! 私はお二人の娘なの。誰にも負けるはずないわ!」
**
「今日もいないな。なんで他の部隊の奴らだけ知ってて、うちの隊は知らないんだ?」
「お美しい姫様に似てるなんて、そうあることではありませんが、見てみたいですよね」
「ですがこうも不自然が重なると、少し違和感があります。なぜうちだけ出会えないんですか? やっぱり嘘なのでは?」
「だがグレインフェルド様のところの者も、一瞬だけ見た者が居たというぞ」
「うーん。兄上の部下はふざける奴が少ないからなー。…もう少し、他も探してみるか」
サテラの街の噴水広場に、リリーによく似た少女をよく見かけると、騎士団の間で噂になっていた。
その正体を突き止めるために暇を見ては何度か訪れたメルヴィウスだったが、部下も含めて出会った事が無い。
だが急ぎの伝令に、メルヴィウスは城に向かって馬を走らせた。
*
「父上! 許したのですか!?」
乗り込んできた二人の兄弟。彼らを緊急に呼びつけた大公は、王の勅書を二人の目の前に放り投げる。
大公夫人の隣には、怒れる兄を前にして、何故か自信満々の妹が微笑んでいた。
「これより、グレインフェルドにリリエルの王都内での警護を任せる。メルヴィウスとこれまでの護衛十名は、その指揮下に入れ」
「父上! リリーは、来年、」
「それも含めて、この問題を解決してみせろ」
「…………」
怒りに殺気立つ兄たちを前にして、箝口令に自分だけ何も知らないリリーはにっこり微笑んだ。
「グレイお兄様、領地運営も大変なのに、私の事でごめんなさい」
「リリエル、」
「二年間だけだから。その間は、ぜーったいにグレイお兄様にご迷惑はかけないと思うから!」
「………、」
「お前、十六になるんだぞ!? それがどういうことか、分かってんのか!?」
「メルヴィウス!!」
「怒らないでお母様、メルお兄様はきっと、私のお誕生日会にだけ現れる、あの大きなケーキが気になっているのよね?」
「なんの話だ!?」
「大丈夫。心配しなくても、来年も再来年も、お誕生日は必ずダナーに帰ってくるわよ」
「……リリー、そうじゃない、」
「…そうだ! お母様、十七歳のお誕生日だけ、苺のケーキは三段重ねが嬉しいなっ」
ダナーの娘に纏わる十六歳の呪い。それを知らないリリーがその先を語った事に、大公夫人は娘を強く抱き締めた。
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