砂漠渡りと長月

三題噺トレーニング

砂漠渡りと長月

 どんな人間が成功するのかと問われれば、それは努力を努力とも思わない類の人間だろう。俺がそんなよくある不変の心理を実感したのは、大学に入ってサークルで東原 典明と出会ってからだった。

 典明は漫画研究会でいつも絵を描いていた。いつもいつも絵を描いていた。週に1度のサークルの集まりで、会員が銘々に茶道サークルと兼用の畳の上で駄弁ったり好きな漫画を披露したりしている時も、典明だけはずっと絵を描き続けていた。

 それも、一心不乱にと言った体ではなくてごくごく自然に、まるで当たり前のようにそれを続けているように俺には見えた。

 俺も漫画家を目指してサークルへ入った身だったから、最初は自分が一番『漫画』がうまいと思っていた。典明を絵が上手いだけだと下に見て、インプットの足りない奴だと思っていた。

 しかし、その俺の自信も初めての学祭の部誌で揺らぐことになった。

 あろうことか典明はキュビズムでギャグ漫画を描いてきた。しかもそれなのにシュールに逃げない面白さがあった。やられた。俺はその時完全に落ち込んだ。

 そこから俺は素直に負けを認めた。典明に話しかけて、色々な話をした。そして俺たちは仲良くなった。

 典明は、古典名作から新進気鋭のアニメ、漫画、映画、劇、はては大衆演劇までいつ絵を描いてるんだ、というくらいに没頭してあらゆることにのめり込んでいた。

 今のマイブームはピカソとコロコロと麿赤兒に代表される暗黒舞踏と天井桟敷のアングラ演劇だったらしくそれがごった煮になって出てきたのがあの作品だったらしい。

 典明は銀縁メガネの鋭いやつだと思っていたが、のほほんとした気さくで根明な人間だほった。


 漫画を作るとは、心の中の砂漠を彷徨い歩き続けるようなものだ。常に孤独が付き纏い、正しさと正しくなさの狭間に揺られながら何が面白いかさえ分からなくなっていく。

 俺にとって典明の存在はさながら砂に舞う嵐のようだった。奴は俺の心を掻き乱した。

 俺も典明に負けじと漫画をたくさん描いて、あいつより面白い作品を、と作り続けてみたが、悔しいことに典明の漫画の方が面白かった。

 そして、評価も高かった。


***


 やがて卒業が近くなって典明の漫画の面白さに悔しさすら感じなくなっていた。

 だって、あいつはすごいやつだから、仕方ないさ。いつしかそんな呟きが口癖になっていった。

 典明の存在は俺に砂つぶをぶつける砂塵のような存在だったが、いつしか遠くに見える嵐のような存在へと遠ざかって見えた。


 そして大学4年の9月だった。

 俺にとうとう内定が出たのだ。


「トモは俺と一緒に来ると思ったんだけどなぁ」

 中秋の名月を家の狭いベランダで典明と一緒に眺めながら、金麦の缶をちびちびと俺は傾けた。

 典明は恥ずかしそうに頭をかきながら、それでも寂しそうだった。

「すまねぇ。俺にはそんな才能なかったみたいだわ」

「いんだよ。それがトモにとって幸せならよ」

 典明は久々の酒で酩酊してるのかそれとも最近寝れていないのか、ゆらゆらとしている。目の下にはたっぷりのクマを作っていた。

 でもよー……と典明はポツリとつぶやく。


「オレにとってのオアシスはトモだったよ」


 それを聞いて、俺はハッとなった。

そして、そうかそうか、と声に出すとそれに涙が混じっているのを感じた。

 俺は心の砂漠を当てどなくさすらっていたと思っていたが、それは典明にとっても同じだったのだ。

 俺にとってお前は俺の心を乱す竜巻だったが、お前にとっての俺はオアシスだったのか。オアシスがなくなってお前はどうするのか。

「オレはやっぱりプロを目指すよ。トモはいねぇけど、やれるだけやってみるよ」

 そう言って、ビールの缶をくっと飲み干して、俺の目をまっすぐに見た。

 もうトモの砂漠が潤うことはないのだろうが、荒野を目指すお前の目は満月よりも丸く、煌々と輝いてみえた。

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