壊れた母親と再会 壱

金山寺を出た江流(コウリュウ)は中国高山地域にある長江(チョウコウ)に向かっていた。


*長江とは中国最長の川で、中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川で全長は6300km*


江流は小さな足で遠く離れた長江までの道のりを歩いていた。


陳 江流 七歳


7月ー


熱い太陽の光を逃れるように俺は木の影に隠れた。


「あっつ…。網代笠だけじゃ熱いよ。」


俺は袋に入れていた地図を取り出した。


「はぁ…。まだまだ先じゃねーか。ちょっと休憩するか…。」


俺は地面に腰を下ろして煙管を口に咥えた。


金山寺を出て五日が経ったか…。


ボーッと空を眺めていると畑仕事をしていた老夫婦に声を掛けられた。


「おーい坊主!!1人で何をしてるんだー?」


お爺さんが手拭いで汗を拭きながら近寄って来た。


「長江に向かっているんです。」


「え!?長江?そーんな遠くに何の用事で行くんだ?」


お爺さんとお婆さんは驚いた顔をして俺に尋ねて来た。


「薬草を取りに行くです。」


「まぁ…、薬草を…。ねぇ、お爺さん。確か野菜を届けに長江方面に行くのよね?この子も一緒に連れて行っておやりなさいな。」


そう言ってお婆さんは俺の肩を優しく叩いた。


ナイスアイデアだお婆ちゃん!!


俺は心の中でガッツポーズをした。

「そうじゃな…。出発は明後日だから今日はワシの家に泊まりなさい。」


「え!?い、良いんですか?」


「構わんよ。この辺は夜になると獣が出る。ワシの家にいた方が安全じゃ。」


「そうなんですか…。じゃあ、お言葉に甘えて…。」


俺がそう言うとお婆さんは嬉しそうに手を叩いた。


「それなら、もっと野菜を取ってこないとねぇ!!今日はお鍋にしましょう!!」


「あ、あのお構いなく…。」


お婆さんは俺の言葉を聞かずに再び畑に戻って行った。


野菜を取って来たお婆さんと合流し、2人の家に案内して貰った。


小さな古家に案内され、お婆さんは俺の寝床を用意してくれた。


夜になると囲炉裏を囲むように座った。


グツグツと音を立てながら鍋の中で煮込まれていた。


食欲をそそる香りが鼻に届く。


「沢山お上がりなさいな。」


お婆さんはそう言って取り分けた鍋の具材を俺に差

し出してくれた。


「ありがとうございます。それじゃあ…、いただきます。」


手を合わせた後にスープを啜った。


「はぁ…。美味しい!!」


「アハハ!!それは良かった!!沢山食べろよ坊主。」


ワシャワシャ!!


お爺さんは笑いながら俺の頭を撫でた。


金山寺を出てから暖かい食事を頂くのは初めてだった。


お爺さんとお婆さんは俺の事を自分の息子のように扱ってくれた。


親がいたらこんな感じなのかな…。


こんな風に大事にしてくれたのかな…。


どうして、俺の事を捨てたのかな…。


"寂しい"と言う感情に心が支配されそうになった。


寝る前に必ず孫悟空の本を目に通す。


本を読むと心が軽くなる。


他の本ではこんな事を思わないけど、この本は特別だ。


あっという間に出発日になった。


お爺さんは荷車に荷物を積んで出発の準備をしていた。


「二日間ありがとうございました。お世話になりました。」


「気をつけて行くんだよ。これ、お弁当。」


お婆さんはそう言って竹皮に包まれたお握りを俺に渡して来た。


竹皮から手のひらに暖かい温もりが届いた。


「おーい!!準備出来たぞー!!」


少し遠くにいるお爺さんが俺に声を掛けて来た。


「あ、はい!!今、行きます!!」


お爺さんの所に向かおうとするとお婆さんが「行ってらっしゃい。」と言って手を振って来た。


「…。行ってきます。」


そう言って俺はお婆さんに背を向け荷車に乗り込んだ。


お爺さんは俺が乗った事を確認すると、馬のお尻を鞭で叩いた。


荷車はゆっくりと動き出した。


お婆さんは荷車が見えなくなるまで俺達を見つめていた。


「何個か街を越えると長江に着くから宿に泊まりながら向かおう。」


「後、何日くらいで着くのかな…。」


流れ行く景色を見ながら呟いた。


「半月程は掛かるぞ?」


「え!?は、半月も!?」


「これでも早い方じゃよ?歩きだったらもっと掛かっておる。馬を使っているから半月で済むんじゃ。」


お爺さん達に声を掛けて貰って良かった…。


「焦りは良くないぞ坊主。」


「え?」


「焦っていては見える物も見えなくなる。落ち着いて物事を判断しなさい。そうすれば己が求めていた答えが現れる。」


お爺さんの言葉が俺の中で凄く響いた。


いつの間にか俺は焦っていたのだと気付かされた。


「そっか…、そうだよな…。」


「坊主は必ずやり遂げれる。ワシはそう思っておるぞ。」


そう言ってお爺さんは俺の頭を優しく撫でた。




金山寺ではー


江流が出発した数日後、法明和尚は水晶玉の前に座っていた。


水晶玉に映し出されたのは観音菩薩だった。


「よぉ、和尚。出発したのか?」


「はい。」


「分かった。それじゃあ…こっちもそろそろ動き出そうかなー。」


そう言って観音菩薩は軽く首を回した。


「動き出すとは…?一体、何をするつもりですか?」


法明和尚が尋ねると観音菩薩はフッと軽く笑った。


「止まっていた時計の針を動かすんだよ。」


「えっと…?」


「こっちの話だ。暫くお前とコンタクト取れないから宜しく。」


観音菩薩の姿が見えなくなった。



同時刻 天界ではー


「そいじゃあ…準備して出掛けますか。」


そう言って観音菩薩は着ていた服を脱ぎ黒い襟付きのジャケットを手に取った。


金色の龍が刺繍された黒い中華服を着て手に取ったジャケットを羽織った。


「失礼します。お茶をお持ちしま…。」


お茶を運んで来た使用人が着替えをしている観音菩薩を見て驚いていた。


「あぁ。お茶はいらないから下げといて。」


「いやいや!!どこに行かれるのですか観音菩薩様!!」


「ん?内緒。」


観音菩薩は使用人の反応を気にせずに身支度を整えていた。


「聞いてますか!?観音菩薩様!!」


「え?聞いてない。」


「全く…貴方って人はいつもそうだ!!私の話を真面目に聞いてくれた事なんて一度もありませんよ!!」


使用人は涙目になりならがら観音菩薩に訴えた。


「はぁ…、分かったよ。なら、お前も来いよ。」


「え!?よ、宜しいんですか?」


「泣かれるくらいなら連れて行った方が良いだろ。」


観音菩薩がそう言うと使用人の表情が明るくなった。


「ありがとうございます!!一生付いて行きます!!」


「いやいや、一生はちょっと…。」


「それで!?どこに行くんですか?」


「僕の話を全く聞いてないな…。行き先は五行山だよ。」


観音菩薩の言葉を聞いた使用人は驚きのあまり腰を抜かしてしまった。


「五行山…って美猿王が封印されている山ですよね!?」


「美猿王じゃねーよ。孫悟空だ。」


「どっちでも良いですよ!!五行山に行くのは禁止されているんですよ!?もし、行った事がバレたらどうするですか?」


「そん時はそん時だ。」


「はぁ…、分かりましたよ…。美猿王じゃなくって

孫悟空に何の用事で会うんですか?」


観音菩薩は使用人の質問に答えた。


「時が満ちたってね。」


「は、はぁ…?」


「さ、行くぞ。」


「は、はい!!」


歩き出した観音菩薩の後を使用人は慌てて付いて行った。



陳 江流 七歳



半月はあっと言う間に流れた。


「ここを真っ直ぐ歩けば長江に着く。ワシが送れるのはここまでじゃ。」


長江に続く山道の入り口まで送ってくれた。


「ありがとうございます。本当に助かりました。」


「良いんじゃよ。気をつけて行くんだよ。」


そう言ってお爺さんは荷車を再び走らせた。


お爺さんの荷車が小さくなるまで見送くり、山道を歩き始めた。


真夏の森はとても涼しく、山道を歩くスピードも自然と早くなった。


暫く歩いていると山に囲まれた大きな川が見えて来た。


「や…、やっと着いた…。」


俺はやっと長江に着いたんだ!!


「だけど…。どの山にバイモがあるんだろ…。」


見渡すと沢山の山が立っている。


チリンチリン。


鈴の音が鳴り響いた。


どこから鈴が鳴ってるんだ?


周りを見渡すと赤い色の鈴が付いた番傘を持った黒髪を靡かせた女が立っていた。


山が似合わない人だな…。


さっきの鈴の音はこの番傘か。


「こんな所に一人でいるなんて…。もしかして迷子?」


「いや…、迷子じゃなくて薬草を探しに来たんだ。」


「薬草を?何て言う薬草なの?」


「バイモって言う薬草…。」


どうして初対面の人にペラペラ喋ってるんだろ俺。


「バイモを探してるの?それなら…あの大きな山の丘にあるわよ。」


女はそう言って一際大きい山を指差した。


番傘から覗かせた美しい顔にどこか懐かしさを感じた。


俺はこの人を知っている。


初めて会った筈なのにどうして?


「私も一緒に着いて行くわ。」


「え?」


「1人で行かせるのは心配だし…。それに…。」


「それに?」


「私が貴方と一緒にいたいの。駄目…かしら?」


そう言って俺に向かって優しく微笑んだ。


1人で取りに行かないといけないんだよな…。


「丘の近くまでなら…良いよ。」


「分かったわ。じゃあ…。」


スッ。


女が俺に手を差し出して来た。


「手を繋いで行きましょう?」


この人の目が優しいからなのか、俺の心が簡単に解されてしまうのは…。


俺は差し出された手を取った。

暖かい…。


「さ、行きましょう。日が暮れる前に取りに行きましょう。」


「うん…。」


俺達は近くにあった小舟に乗り込み、ゆっくり川を渡り始めた。



江流と番傘を持った女が小舟に乗り川を渡っているのを牛魔王と毘沙門天、哪吒太子率いる数名の妖達が見ていた。


「ちゃんと接触出来たようだな。」


牛魔王はそう言って毘沙門天の顔を見つめた。


「あぁ、計画は順調さ。哪吒、あの女が暴走し始めたら妖を送り込みなさい。」


「御意。」


毘沙門天が哪吒太子に指示をすると、哪吒太子は短く返事をして妖達を引き連れ江流の後を追って行った。


「ただ殺すだけでは駄目だ。とことん潰させてもらうぞ金蝉。」


そう言って毘沙門天は声を上げて笑った。




一方、その頃。


観音菩薩達は下界に降りて五行山に向かっていた。


「はぁ…、はぁ…。待って下さいよー。」


足軽に山道を歩く観音菩薩の後を使用人は追い付けないでいた。


「だらしないなぁ。ちゃっちゃと歩けよー。」


「観音菩薩様が早過ぎるんですよ!!こんな険しい山道なんですよぉ?」


大きな岩や小さな岩が五行山の山道には沢山ある為、一般の人間は五行山には近寄らないのだ。


五行山の山道はが凄く険しいと有名だからだ。


「あんまり遅いとお前の事を置いて行くぞ。」


「そ、それは勘弁して下さいよ!!頑張って早く歩きますから!!」


観音菩薩の後を必死になりながら使用人は山道を歩

き続けた。


歩き続けて三時間程経った頃、ようやく観音菩薩と使用人は孫悟空が封印されている岩の牢獄に辿り着いた。


「はぁ…、はぁ…。やっと着きましたね!!」


「…。お前はここにいろ。」


「え!!?」


「良いな。そこを絶対動くな。」


観音菩薩は少し睨み気味で使用人を見つめた。


使用人は観音菩薩の目を見て固まった。


観音菩薩はゆっくりと岩の牢獄に近付いた。


太陽の光で少しだけ牢獄の中が見えていた。


無数の鎖と沢山の札が貼られ、腰まで伸びた髪、痩せ細った体をした孫悟空の姿が少しだけ見えた。


「よぉ。何百年振りだな悟空。」


観音菩薩がそう言うと孫悟空はゆっくりと顔を上げた。


「何の用だ。」


孫悟空は何百年振りに言葉を発した。

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