第3話

 シンが小太郎の鷹の行方を調べてから、数日は何事もなく過ぎていった。季節は梅雨が明け夏の暑さが始まっていた。山里は平地ほどの暑さではなかったが、金山で働く者にとっては、暑さの中での重労働は苦しいものだった。

 今日も暑い中、金山の坑道の中では、岩肌を掘り起こす重労働が行われていた。

「ああ、暑い暑い、休憩はまだかいなあ。伊助」

「さっき休憩が終わったばかりじゃねえか、弥助じいさん」

「そうだよなあ、解っちゃいるんだが。やっぱりもう歳には勝てねえなあ。おまえ歳は何ぼだったかな」

「たしか四十三ぐれえだ」

「自分の歳ぐらい覚えておけや、伊助。勘定が出来んようじゃあ。先が思いやられるぞ。ここを辞める時は、ちゃあんと自分の預けておいた給金をもらわにゃならんからな。給金の係の者が誤魔化さんとも限らんから、幾らたまっとるか判っておった方がええ。それにしてもわしらの国のご領主様は、よう出来たお方じゃ。給金をそん時そん時にもろうてしもうて贅沢したら年取って食うていけんだろうと、辞める時まで預かってくれとる、ありがたいこっちゃ。他の国じゃあとてもそんなことまで気に掛けてはくれんぞ」

「そうじゃそうじゃ、弥助じいさん。しかし、わしは頭は良うないが金勘定は別じゃ。小判でもう四枚にはなっとる」

「そんなになるか。わしは今年で五十五、年季明けじゃが三枚しかないぞ」

「おまえさんみたいに前借りしとらんからな」

「金に困っとらんかったのかあ。それならどこぞの国の農家に雇われた方が良かあなかったか」

「いやいや弥助じいさん。農家の手間賃は雀の涙ほどもくれんぞ。とてもおっかあや子供八人はやしなえん」

「ん、七人と違うか」

「また生まれたんじゃ」

「おまえ、そりゃあ作りすぎじゃ。なんぼなんでも」

「しかたないじゃろ、できるものは」

「それなら伊助、この金山の裏にある紅のせせらぎ姫神様の祠にお願いしに行けや。子供が出来ん時にお願いするのが本業じゃが、女神様じゃからたぶん出来すぎるのも止めてもらえるんじゃなかろうか」

「そりゃあいい、さすがじいさん歳の功じゃ」

 どうやら紅のせせらぎ姫、シンには人に構うなと言っておいて、自分はしっかりと構っているようである。

 伊助と弥助は昼の休憩の時を利用して、紅のせせらぎ姫神様の祠にお参りに行った。

 そこには先客がいた。数年前に年季明けした鮒助じいさんだった。

「おや鮒助さん。その歳でここまでお参りとは元気なこった」

「いやいや、わしももう大方体がきかんようになっとるんじゃが。紅のせせらぎ姫神様には義理があるから山に登れる間は、お世話せねばと思うとるんじゃ」

 謙遜しているが鮒助は六十過ぎているはずだが、弥助とそう変わらない歳に見える。弥助にしてみればやけに元気そうだと思うのも尤もである。

「へえ、ここはいつも綺麗にしてあると思うとったが、鮒助爺さんの仕事じゃったか。それでどんな御利益がござったんかの」

 弥助たちが訊ねると、

「いやはや、実は金山を辞めてからやれやれこれからゆっくり出来ると思った矢先に、頭が割れるように痛うなって熱も出るしで、半月も寝たきりになった。わしもいよいよあの世行きかと覚悟しておった。じゃが、息子の太郎がこの紅のせせらぎ姫神様にお願いする事を思い立ち、毎日お参りしてお願いしよったんじゃ。そうするうちに、ある日濡れ紙をはがすように治ってしもうたんじゃ。有り難いこった」

 と鮒助はもう一度祠を向いてお辞儀をした。

「へえ、それが本当だとしたら、大そう霊験あらたかな神様じゃあないか。罰当たりなお願いなどして大丈夫かいな」

 伊助は心配になった。

「自分で罰当たりとわかっとるなら大丈夫じゃろ」

 他の二人は笑いあった。


 この山頂近くにある祠の横から湧き出ている湧き水が紅琉川の最初の流れだった。

 そこからちょろちょろと岩場を流れ落ち、時には滝として落ちながら、紅琉川は段々川幅を増していった。

 紅のせせらぎ姫は紅琉川がまだ名もない川だったころからこの川に住み着いていた。母龍から代々この川が住処だった。

 紅のせせらぎ姫はこの国の人々の素朴さ心の美しさを愛していた。貧しい山岳地方の小さな国だったころから、金山が見つかり皆必死で掘り起こすようになるまで、ずっと人々を見続けていた。貧しくても清らかに生きていく者、貧ずれば鈍す者。金持ちになって強欲になるもの、礼節をわきまえるようになる者、人は様々である。

 紅のせせらぎ姫はそんな人々の代わりようを見つづけてなおさら、人間というものに興味を持ち、見守り続けずにはいられない気持ちになるのだった。

 そんな紅のせせらぎ姫の息子であるシンは、母親に似て人間を愛していたが、その気持ちがどうやら一線を越えてしまったようである。母親から不吉な話を聞いてから、今まで以上に夕霧の様子を一心に見ていると、どうやら夕霧の身に大変な事が起こっているようだった。


 夕霧は朝から新川でいつものように洗濯をしているが、涙に暮れていた。そこへ小太郎が心配してやってきた。

「夕霧殿、どうしたんです。何がそんなに悲しいのですか」

 夕霧はその問には答えず、ただ俯いて泣きながら洗濯をしていた。

「黙っていては解りませんよ。朝から夕霧殿が悲しそうにしているのでが気になって私は稽古に行く気になりません。もうすぐ兄弟子たちが呼びに来るでしょう。その前に何故泣いているのか行ってください。私に出来る事はないでしょうか」

「心配掛けてごめんなさい。でも父上に誰にも言うなと止められているの。だから誰にも訳はいえないの」

「頭が夕霧殿が泣くような事を言ったのですか。夕霧殿が何か頭にしかられるような事をしたのですか」

「いいえ」

「夕霧殿に落ち度はないのに、何故父上である頭は夕霧殿を泣かすのでしょう。それが親のすることでしょうか。私が頭に一言言ってきます」

「やめて下さい。父上は私が喋ったと誤解します。本当に誰にも喋ってはいけない事なのですから」

「この小太郎にさえもですか。私がそんなにお喋りだというのですか」

「いえいえ、父上は私がお喋りなので口止めされたのです。小太郎さんに喋ってしまっては、私、堰を切ったように誰にでも喋ってしまいそうなんです」

「夕霧殿はお喋りではありません。私にだけ話せばいいでしょう」

「それはそうなんだけど」

 夕霧は小太郎に話したくてたまらなかったので、とうとう父上に背いて話してしまった。

「小太郎様。私、あなた様とはあと何日かでお別れしなければならなくなりました」

 小太郎は夕霧の一言で、年頃の娘にありがちなことをすぐに察した。

「それはまた突然な事で、もしやお嫁入りですか」

「ええ」

「お相手はどなたですか」

「これはほんとに内緒ですよ。東の大国大河俊重の次男俊明です」

「なんと、本当ですか」

 小太郎は驚愕した。夕霧の知らない意味で。

「ええ、ご領主様の命令で、桜雅様の身代わりになるのです。ご領主様は紅軍団の頭の娘である私ぐらいしか、身代わりは務まらないだろうと考えられたのです。昨日、父上に命令とかじゃなくて頼まれたのだそうです。東の大国はおそらく金山が目当てでこのような縁談を持ってきたのに決まっているんです。金山の噂はもうとっくの昔から広まっているのですから、東の大国は姫を人質にして金山を手に入れるつもりなんです。ご領主様はご自分の娘も金山も手放したくないのです」

「しかし、それでは夕霧殿に死ねと言っているのも同じではありませぬか」

「紅軍団の頭の娘に生まれて来たからにはこれも定めでしょう。でも小太郎様とお別れするのが悲しくて。ここまで話したからには、私、言ってしまいます。私、小太郎様をずっとお慕いしていました」

 小太郎は夕霧に打ち明けられて、困惑はしなかった。以前から夕霧の気持ちには気付いていた。だがその気持ちにこたえることは出来ない秘密の訳があった。

「夕霧殿、もうそれ以上は。ほら、兄弟子たちがやって来ました。もう泣かないでください。この小太郎がなんとかしますから、この事は小太郎に任せてください。誰にも話さず、いつもの様にしていて下さい。きっとですよ」

 そう言ってから、小太郎は兄弟子たちに叱られながら稽古に行った。

 夕霧はいつも以上に小太郎が頼もしく見え、気持ちも収まって家に入って行った。

 シンはその様子を見ながら、小太郎はやけに余裕のある話しっぷりだったが、余裕の有りそうなときに限ってスカタン食らうのが人の常、と母龍が行っていたのを思い出した。

「いやな予感がするな。だけど人間の事に関わりあうなと母上は言っていたが。でも、何があっても夕霧だけは死なせはしないから」

 シンはそう呟いて夕霧の住いを見つめ続けた。

 小太郎は兄弟子たちと稽古場に向かいながら、自分の心に芽生えていた気持ちに気が付いていた。以前から夕霧の事は妹のように可愛いとは感じていた。だが、先ほどの夕霧の言葉に自分の心も激しく燃え出してきていた。愛してはならない人なのに。

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