憂鬱な夜に

@phaimu

第1話

 空を見上げると月が青く光り輝いていた.草原でただ一人空を見上げる僕を風が冷たく吹き抜けた.何かがうまくいってない.生きるために必要なものはすべてあるのに,何一つ望むものはないのに,僕の心はどこか渇いている.ぼんやりとした不安.それが僕に付きまとっている.僕は腰を下ろした.体勢を変えたところで何も起きやしないのにね.

「何してるのこんなところで」

 僕の横に座っている山川がぽつりと言った.

「なんでもないさ.身体に付きまとう不安になんとなく押しつぶされそうになってるだけ.こうやってだだっ広い草原で風に吹かれながら時が過ぎるのを待てばいずれなくなる.今日はそう言う日なんだよ」

 山川の方をちらりと見るとあいつはただ夜空を見上げていた.今日は満月だから星はそう見えないのにね.山川は白いワイシャツに黒いスーツのズボンを着ていた.あいつも社会人になったのかな.と僕は思った.僕は草原に寝転がって,後頭部で両腕を組んだ.

「君はそうやって自分一人でなんでもできる気でいるんだけなんじゃないか.気分が晴れない夜ってのは大抵孤独が原因だろ.誰かと話して酒でものんで寝れば次の日には忘れてるもんじゃないか.一人で夜風に当たって時が過ぎるのが待つってのはたんなる応急処置でしかない.いずれまた不安は心の底から湧き上がって次にはもっとひどくなって君を蝕むぜ」

「分かってる.でも,話す人がいないのさ.一人暮らしをしてから仕事をして,家で寝て仕事をする日々を過ごしてきた.横にいる人なんて僕にはいないのさ」

 僕は月を見た.月に空いた穴ぼこ,クレーターを頭の中でほかの事物と結びつけようとする.何か新しい解釈を考えたかった.でも,結局餅をついている,ウサギにしか見えなかった.

「なるほど.つまり君は自称一人.自称孤独な人なわけだ」

「そういうこと.昔はお前が俺の隣にいたのにな.高校でお前と会って高校を出てからはお前と会わなくなった.その後俺は大学に入って,たくさんの仲間を作った.酒を飲んで夜が明けるまでだらつきながらただ無為に時を過ごした.大学を出てから俺は社会人になった.大学のダチとは連絡することが少なくなった.そして今まで生きてきた.何も不自由だったことはないんだ.これでもね」

「なら良いんじゃないか.何も不自由じゃない.不満がないってことだろ.結構なことじゃないか」

 僕は起き上がった.山川はこちらの方を見ようともしない.

「今日は星がよく見えないな」

 僕が夜空を見上げながら言った.今日は満月で星がよく見えない.月で跳ね返った明かりがほかの星の光を消してしまうからだ.

「お前が強いのは口だけだよな.前から変わらない.俺と会った時からそうだった.高校の先生に口答えして良く怒られてたもんな.でもお前は本当はそんなに強くない.文化祭のとき,お前が手違いで焼きそばの発注する量を間違えて,クラス全員から総スカンを食らってたときもお前はかたくなに自分のミスを認めなかったな.帰り道の駅のベンチで一人で泣いてたのにな」

「それが今何の関係がある?」

「星が見えないのは満月だからってだけじゃない.お前自身が泣いてるからだろ.自分が泣いてることにも気づかないほどお前は鈍感になっちまったみたいだな」

 僕はほほを手で触った.確かにそこには涙の後があって僕の手に水滴がついた.

「駅で泣いていた俺になんでお前は声を掛けたんだよ.お前だってクラスの連中と一緒に俺のミスを責めてただろ.なんで心変わりして,俺を慰めたんだ? 俺は一人で十分だった.お前に声を掛けられることでよけい惨めな気持ちなった.今だってそうだ.一人で夜風に当たろうと思ってただけなのにお前は俺の隣にやってきた.お前がいると俺は自分が惨めな存在だってことを自覚しちまうんだよ」

  僕はどうしようもなく感情があふれてしまって,制御がきかなくなってしまっていた.えづいてしまっていたし,涙が止まらなかった.

「山川,お前が大学に入ってすぐにお前は交通事故で死んだだろ.俺のたった一人の親友が,俺のたった一人の理解者が,簡単に俺の前からいなくなっちまってよッ.あれから俺はお前みたいなダチを作ることができなかったんだ.うわべだけの関係.どんなに同じ時を過ごしても決して歩み寄ったりはしない.近くに絶対に人をよせつけない.誰もがそうだった.お前だけだったんだよ.俺の血となり肉となり,安心してそばにいさせられる人間は.なんで死んだんだよ.交通事故なんてあっけない死に方でよッーーーーー」

 俺は山川の方を見た.あいつは黙って下を向いていた.

「なんか答えろよッ.どうして俺をこんな惨めな気持ちにさせるんだよ.どうして優しく励すようなことができないんだよ.どうして,俺のそばにいてくれないんだよ......」

 山川は泣き崩れた俺を見ていた.

「どうして寂しいときに一緒にいてくれないんだ.どうして,どうして......」

 山川は顔色を変えずに自分のしている腕時計を見て言った.

「そろそろ時間だ.俺は帰らなければならん.今日は久しぶりにお前と話せて楽しかったよ」

「待てよ,待ってくれよッ.まだ,俺はお前と話したいことがあって.......」

「いくらこのお盆の時期だからって俺も長くこの世にいられるわけじゃねえんだ.それに盆ってのは祖先の霊を祀るもんだ.俺がこうやってお前に会ってること自体超特殊事例なんだぜ.甘ったれるな.いくらお前が泣きわめいたって,死んでる俺にはどうしようもできないんだよ」

 山川は徐々に空に昇っていった.

「待ってくれ」

 俺は必死になって,山川のワイシャツをつかんだ.

「しつこいぜ.死者には死者の生きてるもんには生きてるもんの悩みや苦しみってのがあるんだ.生きてるやつが死んでるやつに甘えてるんじゃねえよ.いい加減に立ち直れッ」

 山川が俺の顔面に思いっきりパンチをくらわした.俺はその場に倒れこんだ.

「アバヨッ.ダチ公.お前が死ぬまで絶対に死ぬんじゃねえぞ」

 そう言って山川は空に昇っていってしまった.

「意味わかんねえよ.令和の時代に殴って慰めるやつがあるかよ」

 僕は吐き捨てるようにそう言うのが限界でそのまま寝てしまった.

 夜が明けて朝日が僕の目を覚まさせた.従順な社畜の僕は慌てて近くのコンビニに入って時間を確認した.時刻は七時ちょうど.今から風呂に入って急いで着替えれば会社に間に合う.僕は走って家に帰って風呂に入って

食パン一枚を強引に腹に収めて,スーツを着て出社する.会社には遅刻せずに済みそうで僕は一安心した.ただ,さっき風呂で見つけた僕のほほにある赤黒い殴られた後のアザの言い訳をどうするか,僕は電車の中で必死に考える羽目になったのだった.

 

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