episode8『真実』

「――シン。これ、どうすればいい?」


「うん?あぁ、それは奥の棚と……あとは天井裏の物置だね。ちょっと危ないから、天井裏の方はやっておくよ」


 ヒナミと仲直りを済ませ、白崎夫妻からの警告を受けてから日は少し過ぎた。


 あくまで現状だが、海外の製鉄師達の干渉は未だない。白崎夫妻はあのあとすぐにまた戻ってきていたようで、時折子供たちの遊び相手になったり、或いは勉強を教えていたりと、すっかり家族たちに馴染んでいるようだった。二人の立場が立場だけに何も知らない子供たちが失礼を働き続けている事は気が気でなかったが、軽く流してくれていることに一先ず安堵する。

 肝心のヒナミも少しずつ家族たちと馴染み始めているようで、今ではある程度大広間や食堂にも顔を出すようになった。さすがに完全に心を許せている訳ではないのか、基本的にシンが付き添うことが前提条件とはなるが、その影響もあるのか、同じくシンとよく共に居るマナとは親しげに話している様子を見かける。


 そんな交流の甲斐あってか、以前のように部屋に閉じこもりっぱなしという事は少なくなってきた。今のように掃除の手伝いをしてくれたりと、積極的に皆と関わろうとしてくれている。



「ちょっと重いから、気を付けてね」


「分かった……っとと、ほんとに重いね」


 ヒナミから段ボールの箱を受け取れば、想定よりもずっしりとした重みが伝わってくる。中はスカスカだったので軽いものだとばかり思っていたが、どうやら魔鉄のインゴットであるらしかった。

 何でこんなものがとは思ったが、良く思い返せばシスターが以前に教会の補強用に魔鉄を購入していたことを思い出す。別にシスターがOI能力者というわけではないが、事前に建材である魔鉄を用意しておけばその分割引も効く。

 基本的には業者に用意してもらう方が一般的ではあるが、手数料も込みだとこうして自前で用意した方が安上がりなのだとか。

 これは恐らく、その時の在庫の残りなのだろう。


「……?シン。怪我してるけど、大丈夫?」


「へ、ほんと?何処だろ」


 ふとヒナミがそんなことを言って、心配したような表情を浮かべる。まるで気づかなかったといった顔のシンが見当違いのところを探すので、ヒナミは「そこじゃなくて」とシンの背中に回った。


「ここ、背中のところ。……でも、何でこんなところ怪我してるの?滅多に怪我するようなところじゃないと思うんだけど」


「さぁ……?僕もあんまり身に覚えがないから……」


 すこし背伸びしてシンの肩甲骨のすこし上あたりを示しながら言うヒナミに、シンが困ったように笑う。“まったくもう”なんて小言を漏らした彼女は、ぱたぱたとスリッパを鳴らして廊下の奥に姿を消してゆく。

 ……かと思えば、すぐにまた戻って来たらしい。その手には少し大きめの木箱が収まっており、蓋には赤十字のマーク。どうやら、わざわざ救急箱を取りに行ってくれていたらしい。


「放っておけば勝手に治るのに」


「だめ、傷口からばい菌入っちゃったら危ないんだから。それに、服が血で汚れちゃってるでしょ?ほら座って、それとシャツ脱いで」


「うぐ、服の事を言われると……」


 渋るシンの手を引っ張って座らせたヒナミは脇に置いた救急箱から消毒液を取り出して、ティッシュを何枚か取り出す。渋々シャツを脱いで背中を晒したシンの背中に手当てを施そうとしたところで、ヒナミが驚いたように目を見開いた。


「……ね、ねぇ、結構大きめの傷だけど、ほんとに痛くないの?」



 ――シンの背に出来た傷は、ちょっと怪我をしてしまったと言うには、少し大きすぎた。



 てっきり、どこかで切ってしまったとか、あるいは転んでしまったとか、そのくらいの傷だと思っていた。だがこうして診てみれば、明らかにそんな軽い怪我ではない。

 勿論、重症と表現するにはいささかオーバーではある。が、肩甲骨から背筋を伝うようにある傷は、明らかに並の怪我ではなかった。


 明らかに、普通の手当てでは足りない。


「なんで、こんな……」


「……あれ、シン兄また怪我してた?」


 ふと、横からそんな声が掛けられる。想定以上の怪我にどうすればいいのかと途方に暮れていたヒナミがばっと振り向けば、そこに居たのは見知った顔――マナが、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「ま、マナ……これ、どうすれば……」


「やっぱり。最近多いね……ちょっと待ってて、すぐシスター呼んでくる」


「……最近、多い……?」


 ヒナミが疑問気に問い返すよりも早く、慌ててマナは階段を駆け下りていく。その場に残されて途方に暮れるヒナミの様子を見かねたのか、シンが笑って話を振ってきた。


「実は最近、結構こういうことが多くってさ。僕も気づかないうちに、体のどこかが怪我しちゃうみたいなんだ。痛くはないからいいんだけど、服が汚れちゃうから勘弁してほしいよね」


「痛くはないって……この怪我で……?しかも、最近多いって……」


 慌ててシンの体を改めて見てみれば、全身の至る所に真新しい傷跡のようなものが散見された。瘡蓋は勿論、酷いところだと縫った跡の様なものまである。しかも新しいものだけではない、よくよく見れば、無数の古傷が新しい傷の下に敷き詰められている。


 それはまるで、拷問でも受け続けてきたかのような有様だった。


 これが“最近多い”?馬鹿な、こんな傷がちょっとやそっとのドジでそう頻繁に起こるものか。明らかに何かしらの外的要因が、彼にこの傷を負わせているとしか思えない。

 ……が、仮にそうだとして、そもそも。


 なぜシンは、それに気付かない?


「シン」


 突然聞こえてきた声に、はっとして顔を上げる。

 長い焦げ茶色の髪を一括りにまとめて、深い藍色のベールを被った長身の立ち姿には、よく見覚えがあった。彼女はシンとよく似た困ったような表情でため息を吐くと、駆け足でシンの傍に近寄る。


「っと、ごめんシスター。また怪我しちゃってたみたい」


「今回もまた派手な傷だな、痛みはないんだろう?……っと、あぁ。ないと思ったら、救急箱はミナが持ってきてくれていたんだな。ありがとう」


「え、あ……うん」


 慣れたような手つきでてきぱきと手当てを進めていくシスター――智代の後ろで、半ば呆然としながら立ち尽くす。だがヒナミがどういった反応をしようが周囲の皆にとっては慣れたことのようで、特に慌てた様子もないまま淡々と処置を進めていく。


 くるくると巻かれた包帯はすぐに赤く滲んで、更に痛ましさを加速させる。そんな姿になっても何でもないように笑っているシンの姿が、より一層その異様さを際立たせていた。


 ――不意に、トンと肩に手が置かれる。


「……?」


「少し良いか、ミナ」


 そう言って微笑んできた智代は、シンの手当てを終わらせるとすっと立ち上がって、シンに「今日は部屋で安静にしておけ、皆を心配させる訳にもいかんだろう」と少し強めの口調で念を押す。シンの事だから無理を押して動きかねないというのは彼女もよく承知しているのだろう。

 皆が心配するなんて聞いてしまえばさすがにシンも従うしかないのか、若干不満そうながらも「わかった」と立ち上がる。少し智代と離れた位置でこちらの様子をうかがっていたマナが、慌てたようにシンの傍に駆け寄った。


「……丁度よかった。マナ、シンを部屋まで送ってやってくれないか?」


「……っ、う、うん。わかった、シスター」


 びくんと怯えたように背筋を伸ばしてそう答えたマナは、シンの横に付いてそそくさと立ち去っていく。若干『まだ怖がられているな……』とでも言いたげな少し凹んだ表情を浮かべた智代は、ヒナミの方に向き直ると、ぽつりと一言呟く。


「場所を変えよう。あまり、皆には聞かれたくない話でな」


「……。」


 呆然と状況を見ているのみだったヒナミは、ようやくそこでこくりと、頷きで肯定の意を示した。




 ――――――――――――




「く、そ……っ!」


 ドッ、という鈍い音と共に、真っ白な拳が木製の柱に叩き付けられる。あまりに力のこもった殴打に拳の方が傷ついて、つぅっと赤い血が指の隙間を伝って落ちた。

 急にそんならしくもない行動を起こした智代にすこし驚いたヒナミの様子に気が付いたのか、額を柱に預けながらも小さな声で「……すまない、ヒナミ」という謝罪の言葉が発される。


 それが、シスターの部屋に入って直ぐの出来事。ついさっきまでの冷静な彼女の様子からの突然の変化に驚きこそしたが、別にそのことを責める理由もない。無論、理由は気になるのだが


「……どうしたの?」


「……なんでもない、と言わなければならないのだろうがな。少々、私の中でも耐え難くなってきたらしい。すまないが聞いてくれ――シンにも、おまえにも関係する話だ、ヒナミ」


「わたし、にも?」


 困惑するヒナミをベッドに座らせた智代は、自分もまたその前に椅子を置いて腰掛ける。近くにあった作業机の中から厚みのあるクリアファイルを取り出した彼女はその中をぺらぺらとめくると、やがて目当てのものが見つかったのか、一纏まりになった紙束を取り出す。一番表のものはどうやら住民票のコピーらしく、その内には“宮真妃波”の文字列。更にその裏から取り出されたのは、一枚の見慣れない資料だった。


「……委任、状?」


「そう。おまえの身柄を預かるときに私に託された、正式にお前の身元引受人としてこの私――有馬智代を選定する旨が記された、国からの指示書だ」


「国からの……って、でも、それなら」


「あぁ、本来なら、お前はもっと念入りに保護される筈だった。それこそ聖憐……或いは、東の聖玉や聖銑で厳重に囲い込まれる手筈だったんだ、本当は」


 だが、現実としてそうはなっていない。ヒナミはこうして、どこにでもあるような小さな児童養護施設に預けられ、たった一組の製鉄師のみが護衛としてついている。

 無論、国とてヒナミの魔女としての破格の才は認識している。未だ前例の無いほどに規格外の魔女適正値は、日本皇国にとっても真っ先に保護せねばならない対象として登録されていた。

 ならばなぜ、ヒナミは今ここにいるのか。なぜこんなにも無防備な場所で、リスクを抱えながら暮らしているのか。


 決まっている。


「――


「……え?」


 あまりにもハッキリと告げられたその一言を、聞き違える筈もない。

 智代は今、ヒナミがリスクを背負ってまでここに来たのは、己が仕組んだ結果だと言った。ヒナミを敢えて危険に晒し、小さな児童養護施設に連れてきたのは、他でもない智代自身だと言ったのだ。


 ヒナミがここに連れて来られた時、府の役人は“身元引受先が見つかった”と言っていた。無論それに偽りはないが、まるでそこ以外に選択肢がないかのような口ぶりで。


「無論、他が黙ってはいなかったがな……全て黙らせたよ。こちらには大義名分があったからな」


「大義名分、って……」


「――シンだ」


 突然出てきた彼の名に困惑するヒナミに、智代は無理もないと言いたげに笑うと、一つ深く息を吐く。


「あの子がOI体質者だという話は、したな」


「……うん、内容までは知らないけど……かなり重度のOWオーバーワールドだって話は、聞いた」


 重度のオーバーワールドを持つという事はつまり、それほど当人の認識する世界を深刻に歪めてしまう強烈なイメージを持っているという事だ。だが、数多くとは言わないが、そんなOI能力者は日本だけでもある程度存在する。その中でシンだけを国が特別扱いする理由がわからない。


 無理を押してまでヒナミをここに連れてくるに足る要因、それがシンだというのなら――


「シンの位階は、《振鉄ウォーモング》だ。或いはもしもそのさらに上の位階があるのなら、その域に達している可能性すら存在する」


「振鉄のさらに上、って……!?」


 無論、そんなものは存在しない。あくまで“もしも存在するなら”という話の上でだ。

 そしてそんなものが存在しない現状からも分かるだろう、存在していないのは『存在しなかったから』という理由以外にない。居ないゆえに必要がなかったから、ないのだ。


 つまりそれは、シンのオーバード・イメージが。


 ――人類史最高位階に位置する、という宣言に他ならない。


「……シンのあの傷は、あの子のOWオーバーワールドによるものだ」


「OW、っていっても、確か五感とか認識のところが歪んでるだけで、実際に体そのものに影響を与えるものじゃないんでしょ?なら何で……」


「分からない。あの子は《自分が鬼に見える》と言っていたが……おそらくそれだけではないんだ、あの子の世界は。あの子の世界イメージは、あの子自身を傷つけ続けている……アストラル体だけに留まらず、こうして物質界にも傷として表れてしまう程に」


 ――絶句する。

 何も、シンの症状についてではない。無論それも閉口するに値する話ではあったが、それに付随して判明した智代の意図に、ヒナミは何も声を発せなかった。

 智代も、ヒナミが全てを察したことに気が付いたのだろう。苦虫を噛み潰したような、或いは短刀を己が腹に突き立てたような顔で、口を開く。


「ああ、そうだ……許せ、ヒナミ」



 前例の無い程の強大なOI体質者に、ヒナミという規格外の魔女を引き合わせる理由など一つしかない。


 智代は――


「――私は、シンを救うために、お前を利用しようと危険に晒している」

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