episode7『警鐘』

「よう、“お兄ちゃん”。久々だねぇ」


「……?ぁ、あっ!?」


 ヒナミと一旦別れて部屋を出たのと、その声が掛けられたのは、ほぼ同時の事だった。


 ヒナミの入り込んでいたこの居住スペースは本来客人用の寝室だ。基本的に皆が暮らす用の寝室とは違って、来客に向けた設備がいくらか備えられている。

 とはいってもわざわざ言うような事でもない些細な設備だが、それは例えば共有の小机だったりスリッパだったり、廊下にこうして置かれているベンチだったり、といった具合だ。


 そのベンチに腰掛けて膝に立てた頬杖に頭をのせるその人影には、ハッキリとした見覚えがあった。


「白崎、さん」


「おや、あの状態でも聞こえてたのかい?あーいや、それか智代ちゃんに聞いたってのが濃厚かな」


 白崎典厩。確かに一度名乗られた記憶こそあるが、正直その時の記憶は曖昧だった。にも拘らずシンがその名を覚えていた……というより知っていたのは、彼の予測通りシスターに聞いたから、というのが理由だ。

 部屋で安静にしているしかなかったシンに気を使ったのか、付きっきりの看護を受けていたため、シスターからは色々と話を聞いていた。ヒナミの事は勿論、彼や、彼と共にいた魔女の事も。


『――あの人は私の恩師でな。昔から良くしてくれている。今回はヒナミの護衛として手を貸してもらっているんだ、日本でも指折りの製鉄師だからな。安心していい』


 そう言って安心させるようにシンの頭を撫でたシスターの表情には、全くの嘘偽りは感じられなかった。あの人がそう言うのであればシンが案ずることは何もない――ああ、いいや、一つだけ存在していた。


「あ、あああっ、すっ、すいませんあの時は……!ほんとにちょっとどうかしてて……!」


「うん?あぁ、ぶん殴られたやつね。いやぁ効いた効いた、おかげでちょっと寝不足気味だった目が冴えてねぇ、おじさん助かったわぁ」


「そうそう、良いのよ気にしなくって。子供に殴られたぐらいでどうこうなるような男じゃないから」


 不意に、廊下の奥からそんな声が届く。

 どこか聞き覚えのある声に顔を上げれば、そこに居たのはダークシルバーの髪をハーフアップにした、黒銀色の瞳の魔女。黒衣の洋装を纏ったその女性はどこか浮世離れした雰囲気を纏っていて、その肩からは革のバッグを下げていた。


 朧げにだが、その姿を覚えている。シンが初めて典厩と出会ったあの日も彼と共に居た、彼の契約魔女。シスターから聞いていた名は、確か――。


「白崎、街花さん」


「……って事は、トモちゃんに聞いたので確定かな。そうよ、私が街花。よろしくね、逢魔君」


 二っと笑って手を差し出してきた街花の手を、おずおずと取って握手を交わす。典厩と契約を交わした魔女という事は見た目通りの年齢ではないのだろうが、その仕草一つ一つが妙に大人びている。

 白崎という姓から分かる通り二人は夫婦だそうで、かなりの昔から製鉄師として活動していた、通称“第〇世代ワイルドエイジ”と呼ばれる熟練の製鉄師の一組と聞く。


 全く覇気を感じさせない典厩の姿からはまるで想像ができないが、なによりあのシスターが信頼を置く人物なのだ。きっと大丈夫だろう、と受け入れるのは容易かった。


「まあ兎も角、知っての通りおじさんたちは彼女……一応こんな場所だし、ミナちゃんって呼んどいたほうが良いかな?彼女を護衛するために来た。けどまあ、それだけが用件って訳でもなくってねぇ」


「……?シスターに何か、用件でも?」


「あぁ、違う違う。まあトモちゃんの顔を見に来たってのもなくはないけど、メインの用事はミナちゃんの護衛――それと、君に話があって来たの。逢魔シン君」


 苦笑しながら否定する街花は、シンの頬を指先で指し示すようにトントンとつつく。まるで心当たりのない故に困惑するシンの反応も彼女は想定していたようで、その肩に下げたバッグから大きな封筒を取り出す。封筒の端には『聖銑製鉄師養成学園』の文字が刻まれていたが、確か聖銑学園と言えば関東の方にある製鉄師養成学園ではなかっただろうか。


 典厩がこの大阪――否、関西地方一帯の製鉄師志望者の集まる養成校、『聖憐製鉄師養成学園』の学園長であるという話は聞いたが、そのパートナーである筈の街花がなぜ聖銑学園の封筒を?なんて疑問が一瞬浮かぶが、そんなものは即座に消し飛んだ。


 それを、見た瞬間に。


「……っ!な、なんで……っ!?」


 ――それは、数枚の資料。

 一番上の資料には、見慣れたかいぶつの姿があった。横に記載された名は当然『逢魔シン』。出身、年齢、現在居住区、そして経歴。あとは小難しそうな文章がつらつらと書き連ねられている。

 どうやらそれは、逢魔シンの全てを調べ尽くした資料であるらしかった。


 “だがそんなことはどうでもいい”。


 問題は、そのシンの資料に重ねられていた残り数枚の資料の一番上。それもまた、とある人物の情報の全てを記し纏めたもの。そしてそれは、この教会に暮らす誰でもない。


 それは、とある少女のものだった。


「……彼女の事を、どこで……っ!?」


「あんまり君の心情的には愉快じゃないでしょうけど、ごめんね。東からの依頼なの、君の経歴と関係人物は粗方洗い出してる。この子の事も、その一環」


 その少女は、かつてシンと製鉄師の契約を結ばんとした魔女の少女だった。

 二年ほど前にシスターの紹介によって出会った彼女は、魔女として己が役目を果たすと言っていた。護国を使命とする家の生まれだという彼女は、シンをこの鬼から救うと言ってくれた女の子だった。


 ――そしてその日以降、二度と会う事は無かった女の子だった。


「『OIオーバードイメージ感応外傷』……そんな例外中の例外を観測史上初めて引き起こした君に、黒崎さ……聖銑の学園長が目を付けてね。いずれ確実に起きると予想される崩界モルフォーゼ現象の防止のためにも、君には聖憐に来てほしいの」


「……モル、フォーゼ?」


「簡単に言えば、極度に大きな歪む世界を抱えるOI能力者の中で、その世界が暴走しちまう現象……とでも言えばいいのかねぇ。暴走は物質界にも左右して、最後には周囲一帯を巻き込んでボカン。まあ厳密には色々と違うんだが、そんなもんだと思っといてくれや」


 聞きなれない単語を復唱すれば、典厩が横から解説を挟みこんでくる。良く分からないが、要するにOI災害の一つ、という事なのだろうか。

 というか、それよりも話はその後だ。聖憐にシンを招く、という事はつまり、目的など一つしかない。


 この製鉄師達は――いいや、聖憐製鉄師養成学園は、シンを製鉄師にしたい、という事だ。


 或いは話に出ていた東の養成校、聖銑の意向なのかもしれない。だがそこは重要ではないのだ、何よりも大きな問題は、製鉄師になるためには『魔女と契約する』というプロセスを通る以外に成しえない、ということ。

 魔女との契約によって歪む世界オーバーワールドを封印し、その世界を力として具現化するのが製鉄師だ。迂回策など存在しないし、そも迂回した時点でそれは製鉄師ではない。


「僕を聖憐に、って……本気で、言ってるんですか」


「勿論、君が契約を拒んでいるという事もトモちゃんから聞いて重々承知してる。でも、悪いけれどこれは関西の治安の維持の為にも必須要項なの……崩界モルフォーゼっていうのは、それだけ重大な被害を齎しかねないって事だけは、頭に入れておいて」


「……っ!」


「ごめんね、脅すようなこと言って。幸い……とはとても言いがたいけど、ミナヒナミちゃんの安全の確保にはまだ時間が掛かる。それまでしっかり考えて、自分の意志で決断してくれると嬉しいな」


 “勿論拘束なんてしないけど、無理やり連れて行くのなんて嫌だしね”なんて続けた街花は、その黒衣の襟のボタンを外して、首元を露出させる。彼女がその首に掛けられた細いチェーンを引っ張り出していくと、やがてその先には十字架の飾りが姿を現した。


 どうやら、魔鉄製の首飾りらしい。街花からそれを受け取った典厩はひょいとシンの首にそれを掛けて、これでよし、なんてぽつりと呟く。


「一応、こりゃお守りだ。契約魔鉄器なんかと同じ魔鉄加工で、精神安定の効果を持ってる。気休めだが前みたいな発作は置きづらくなるだろうさ、身に着けときな」


「……ありがとう、ございます」


「ああ。悪いね、急な話を持ち掛けて。おじさん達はこれで失礼するけど……まあ、ゆっくり考えてくれや」


 ぽんぽんとシンの頭を軽く叩いた典厩はベンチから立ち上がると、ひょいと街花を両腕に抱える形で持ち上げると、ここは二階だというのに窓へ足を掛ける。一体何を、なんて問う暇すらなく強烈な風がシンの全身を打って、思わず両腕で顔を覆い隠してしまう。


 風が止んで再び目を開ければ、もうそこには誰もいない。残っているのは、廊下にたった一枚残された真っ黒な羽のみ。


 呆然と立ち尽くすシンの脳裏に、先ほどのやりとりが想起される。製鉄師、契約、魔女――とうの昔に諦めてしまったそんな世界からの思わぬ呼びかけも、しかし今や虚しく感じるだけのものだった。


 無理だ、不可能だ。製鉄師になるなど、このせかいを切り捨てるなど出来ない。そうしようとすれば、再び“罰”が下るだけなのだ。


 ――いずれ確実に起きると予想される崩界モルフォーゼ現象の防止のためにも――


「……っ」


 逃れようとすれば、罰が待つ。だが待ち続ければ、その先に待っているのも破滅だけ。


 ならば、ならば一体。


 ――どうすれば、良いというのだろうか。

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