episode2『全てが変わる日』
「――ふぁ、あ」
「やっぱり眠い?急に早起きしちゃったもんね」
咄嗟に出たあくびを嚙み殺そうと顔に力を入れてみたが、堪え切れずに少し顔に出てしまう。アッサリと隣を歩くマナにはバレてしまい、照れ隠しに頰を掻いてそっぽを向いた。
レジ袋を片手に、アスファルトで舗装された大通りの端を歩いていく。正直エアボードを使えば別に歩く必要もなく、そちらの方がずっと早いのだろうが、あまり面倒臭がってばかりいると体が弱ってしまうとはシスターの言だ。急ぐ時以外には基本使わないし、更に言えば今はマナも居る。二人乗りは流石に危ないし、彼女はまだアレに乗れない。歩くのは必然だった。
人類が魔鉄器時代に突入してから、文明は大きく進化した。
百数十年前に突如として発掘され始めた未知の金属『魔鉄』は、人類史に巨大な影響を与えた。かつてこの世界全てを傘下に納め、“統一超国家”として成立した大国ラバルナにより、それまで通常の方法では加工すら不可能だった魔鉄の運用方法と、『製鉄師』と呼ばれる異能力者とも言えるような存在が確立。
そしてそのラバルナが突如として崩壊した事による、それまでラバルナに独占されていた技術の流出。それにより齎された、世界中の国ど家の経済的大混乱。通称、『ブラック・カタストロフ』。
以後魔鉄の運用方法は世界中に広まり、世界は今や魔鉄文明――エイジ・オブ・ブラッドに突入した。
今やほぼ全ての建造物は魔鉄……否、建造物に限らず、街灯や搭乗物、道具など、魔鉄の利用範囲の拡大は未だ留まることを知らない。今や一般的な短距離移動手段となりつつある反重力移動盤……通称“エアボード”も、魔鉄加工による産物だ。
本当に便利な世の中だ。己のように、家族も親戚も居ないはぐれ者ですらも、こうして社会の恩恵に預かれるというのだから。
「……?」
食材の買い出しのために向かったスーパーを出て数十分後、しばらく歩いて教会の前にまで辿り着くと、あまり見覚えのない真っ黒な車が止まっているのが目に入る。普段客人など滅多にいないこの教会では珍しい状況に少し目を丸くしつつも、今は教会にシスターも神父様も不在である事を思い出す。
となると、客人の応対は年長者が行うルール。この教会兼児童養護施設にて神父様とシスターを除けば、一番の年長者は自分だ。
「ごめんマナ、荷物を食堂まで運んでおいてもらえるかな」
「うん、わかった。お客さんだよね」
「あぁ、話が早くって助かるよ。マナは賢いね」
嬉しそうに笑うマナの頭を優しく撫でてから、落とさないように食材の入ったレジ袋をマナに預ける。軽く身嗜みを整えてから小走りで聖堂に向かい、正面玄関の扉を開けば、すぐに客人の姿が目に入った。
何やらかなり大柄な金の髪を持つ外人の男と、同じく外人だがこちらは少々小柄――外見的には13から14歳といったところだろうか――の少し暗い銀髪の女の二人組。女の方は一見シンとそう変わらない歳に見えるが、シンの予想が正しければまず見た目通りの年齢ではないだろう。
二人はどうやらシンの代わりに応対をしていたシュウヤ――シンの一つ年下の少年と話していたようで、その体の大きさによる威圧感のせいか、シュウヤは少し腰が引けてしまっていた。無理もない、慣れない客人の対応をさせてしまった上、相手は外人だ。
「ごめんシュウヤ、お待たせ。後は変わるよ」
「シン兄っ!?お、おかえりっ、後お願い!」
ビクビクとしながら裏に引っ込んで行ったシュウヤに代わって二人組に向直れば、鋭い二つの視線がキッとシンの顔を睨みつける。そんな威圧的な目にも特に反応を示すこともなく、淡々と軽い笑顔を浮かべながらシンは口を開いた。
「弟がすいません、あまり人と接するのに慣れていなくて。何かご用件でしょうか?現在はシスターも神父様も出払っているので、重要なご用件であればこちらから伝えておきますが」
「……へぇ、勇気があるねボウヤ。こんな厳つい男、君くらいの歳なら怖がったって無理ないでしょうに」
最初に口を開いたのは女の方。その髪と同色の銀の瞳を細めて面白そうにシンを見つめる彼女は、近場の長椅子に腰掛けて大仰に足を組み、その唇の端を釣り上げる。他所の家――もとい教会での非常識な行動に内心ムッとするが、それは態度には出さない。社会にはこういう人物などいくらでも居るだろう、一々文句を言っていてはキリがない。
「あまり時間を取らせるのもなんだし、用件だけ言うわ」と、女は胸元のポケットに指を差し込んで一枚の写真を抜き出し、こちらに見せるように開く。その写真には彼女と同じ……いや、彼女のそれよりも更に透き通った、白銀の髪と眼を持つ、シンと同程度の外見年齢をした少女が写っていた。
「
「……聞いたこともない名前です。魔女体質の人を見たのだって、最後に見てから貴女で何年かぶりなくらいですから」
銀髪銀眼の女性、それは世間一般でいうアールヴァ……つまりは『魔女』の素質を持っている事を表す外見的特徴。
製鉄師、つまりは全世界において戦争の形をその存在一つで変革させた異能力者達、『ブラッドスミス』が存在する為に必須な存在であり、その力の源泉でもある『魔鉄分』をそのアストラル・ボディ――詳しくは分からないが、魂のようなものなのだろうか――に蓄えた存在。彼女らはその特徴として、その素質が高ければ高いほど銀色に近づく髪と眼。11歳から15歳程度で停止する成長、老化。一般的な人間に比べて頑丈、尚且つ長い寿命を持つ。
この写真の少女ほどの綺麗な銀色は、魔女の中でも相当のもの……というか、まず居ないレベルのものだ。これは即ち、このヒナミという少女がそれだけ魔女として完成した存在である事を示す。
――ふと、一つの妄想が頭をよぎる。
これ程の純度で完成された魔女ならば、ブラッドスミスと契約を果たせば非常に強力な存在となるだろう。そんなものが日本で誕生してしまえば、他国家にとっては都合が悪いだろうというのも容易に推測出来る。
となると、海外から来たというこの二人組は――?
「……どうやら本当に知らないみたいね。仕方ない、地道に探すしかないか」
女はそう気怠げに呟いて立ち上がり、軽く手をクッと振って見せる。大柄な男はそれに応じるように無言で頷いて、彼女を守るかのように女の隣に付いた。一瞬だけ長めの金髪から覗く蒼い瞳がシンを睨んだようにも見えたが、しかしそれも一瞬の事だった。
毅然とした態度を保ったまま二人が聖堂を出て行くまでその背を見送り、その姿が見えなくなってからようやく大きな溜息を一つ。
まったく、我ながら何を考えているのだろう。仮に先程の妄想が合っていたとしてシンには関係の無い話、それどころか。仮にそれを止めようとしたとしてシンに何が出来るだろう。
彼らは製鉄師、ブラッドスミスなのだ。たった一組のブラッドスミスが居るだけで戦況が傾くとすら言われる生きる戦略兵器相手に、こんな子ども一人で何が出来る。無理だ、シンに出来ることなど何一つない。
「……だから馬鹿なんだ、お前は」
相変わらずの自分の奢り腐った性根に、自虐気味な悪態を漏らす。人を――親をその手に掛けて今更善人ぶろうだなんて、虫がいいにも程があるだろう。そんな血濡れた手で救えるものなど、何もないというのに。
視線を落として、手を開く。視界に映るのは、いつも通りに真っ赤な血に染まった鬼の手。醜く悍ましい、怪物の手。
「……シン兄?」
「――?シュウヤか、もう大丈夫。お客さんは帰ったよ、よく頑張ったね」
「う、うん。すっごい大きかったね、あのおじさん……」
彼が怯えるのも無理はない。普段慣れている日本人はそもそも平均身長がそう高くはないし、今の男は目測でも恐らくは2mに近いほどの背があった。そのようにガタイもあり、あの厳つい顔も後押ししている。さらに言えばシュウヤは子供なのだし、怖がってしまうのも当然といえば当然だ。
ニッと笑ってくしゃくしゃと彼の頭を撫でてやってから、奥に戻るよう促す。
窓から見える蒼天の空で、太陽は既に午後の方角へと沈んで行こうとしていた。
◇ ◇ ◇
「……えー、っと。確か、この辺に」
教会の本堂から少し歩いた離れには、神父様が世界各地から集めた本が納められた書庫が存在する。世界各地、と言うだけあって海外の本――つまりは外国語で書かれた本も大量にある訳で、無論そんなもの未だ英語の基本すらも習ったことのないシンには読めたものではない。
コツコツと石畳の床でブーツの踵を鳴らしながら、並べられた無数の見慣れた言語――まあ要するに日本語の書物が集められた本棚を、その背表紙を確認しながらなぞっていく。
探しているものは、一昔前に大ヒットした、
無論、先程帰ってきたシスターに頼めば簡単に取ってくれるだろうが、彼女がシスターを怖がっている事もある。必然的にその役目はシンに引き継がれる、という訳だ。
「あった。えーっと、確かマナが言ってたのは……いち、に、さん……」
目的のシリーズを見つけて、巻数を数えていく。彼女が欲しがっていたのは結構後の方の巻で、未だあの文字だらけの本を読むのがかなり苦痛なシンからすると、我が妹分ながら大人びているなぁなどと感心する。
恥ずかしながら、自分がアレを読むと途中で頭が痛くなって読むのをやめるまでの流れがはっきりくっきりと見えている。もうちょっと成長して好みが変わってくるその時まで、暫くは遠慮したい。
「……ろく、ひち……あれ?」
全10巻のこのシリーズの内、今回取りに来たのは8巻。なのだが、7巻は今シンがマナから受け取ってここに返しに来た訳だから手元にあるとして、8巻があるはずのスペースがすっぽりと抜けている。
いや、それだけでなく、9、10巻があったであろうスペースにも本がない。誰かが借りていったのだろうか、とも思ったが、シスターはあまりこういう本は好まないし、神父様は留守だ。出先に8、9、10巻だけ持って行っている……なんてことも考えづらい。
となれば本はどこにいったんだろうか、と首を傾げて数秒。
――ぺらり、と紙をめくる音が聞こえてきた。
「……?」
てっきり誰もいないと思っていたので少し驚きつつも、音の出元を確かめる。万一にも不法侵入なんて事があったら怖いし、もし
開け放たれた窓から、涼しい風が入り込んでくる。それに煽られたカーテンが一瞬大きく膨れて、しかし風が抜ければすぐにしぼんでいった。
そうして遮られていた視界が開けて、ようやく音の主がその姿を見せる。
滑らかなシルクのように美しい、真っ白な髪。まるで宝石のように透き通った純白の瞳。それは確かに、彼女が“
その姿を知っている。だって今日、直接ではないが知ったばかりなのだ。こういうのを“噂をすれば”とでもいうのか、いや、少し違うかもしれないが、それにしたって奇妙な縁もあったものだ。
積み上げられたいくつもの本の山の中心にぺたんと座り込んで、手元に収まった本――たった今シンが探していたそれを読む少女。こうして近付いてもまるで意識を本に吸い込まれてるみたいに、目線をページから外そうとしないその少女。
「……君、は」
そう呼び掛けてようやく、シンの接近に気付き視線を上げた、彼女は。
昼間、教会を訪ねてきた1組のブラッドスミスが探していた、至高の“
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます