ユア・ブラッド・マイン―鬼と煉獄のカタストロフ―

ぜっつん

『焔の中の約束』

episode1 『鬼は焔の中に産声を上げる』

 パチ、パチ、と火花の弾ける音がする。

 視界いっぱいには赤く燃え盛る炎が広がって、それは今この眼前に広がるそれだけではなく、彼の周囲全てを――前も、後ろも、右も、左も、足元も、天井も、全てを焼払わんとその火力を強めていた。


 その真っ赤な炎の海の中に、炎とはまた違う紅があった。


 真っ黒に焦げようとしているその二つの人の形をしたソレの首筋辺りから漏れ出ていたのは、赤黒い粘液性の液体だった。それは命の貨幣、魂の循環、ヒトを構成する大切なモノの一つ……だが、シンは生憎ソレの名前を教わった事は無かった。


 手の中に収まっていたのは、同じく赤黒い液体を垂らす包丁だ。この包丁があの二つの人型のモノの首を斬りつけ、この液体を外に流したのだ。そしてシンは、自らが行った行為の意味を知っている。

 “やっつけた”なんて誤魔化すような言い方はしない。いくら自分が10の齢にも満たない子供だからって、そのくらい理解できる。


「……そっか。殺したのか」


 バキバキッという折れるような音と共に、大きな木製の柱が炎の侵攻に耐え切れなくなったのか、シンの眼前に大きな音を立てて倒れてきた。それはそのまま“両親だったもの”の頭の上に落ちて、既に炭化しかけていたソレをぐちゃぐちゃに叩き潰す。


 焦げた木片が何束か弾けて、その一つがシンの頬を深く切った。


 垂れてくる自分の紅いそれを拭って、その手を凝視する。けれど拭ったはずのそれは両親だったものたちの“ソレ”に混じって、どれが自分のものなのかすらも判別がつかなくなってしまっていた。

 カラリと包丁を手放した両手に纏わり付くそれは、ポタポタと床板に落ちていく。その様はまるで、両親が見ていたテレビ番組に出ていた“さつじんき”の様だった。


 “さつじんき”とは、人を殺す鬼と書くらしい。なるほど確かに、この様はまさに鬼そのものだろう。


 何度か読んだ御伽噺に出てきた、人々を攫って、お宝を盗み、好き勝手に殺して、そして最後にはやっつけられた、あの鬼の様で。連想すればするほど、不思議なくらいにしっくり来た。

 今の自分のこの様が、あの鬼達とどう違うだろう。この紅く染まった両腕など、まるで醜い怪物の様ではないか。


 一度、瞼を下ろす。一秒と満たずに目を開ければ、そこに映っていたのはもう人間の腕では無かった。


 長い爪はまるで鋭利な刃物のように。赤黒く染まった肌は話に聞く赤鬼のようだ。炎のせいか、それともおぞましい虚ろな感覚なのか、喉が渇いて仕方がない。両腕に纏わり付くコレを啜れと、強く迫られているようだった。


 これが、こんな悪を成した自分への罰だ。親を殺すなどという愚を成した自分に対する、神様が下した罰だ。


 背後から、いくつかの足音が聞こえた。外からは消防車のサイレンが鳴り響いている。銀の防火服を纏った大人達が瓦礫を押し退けて、家に踏み入ってくるのが見えた。


 死ぬ事は許されない、この罰を背負い続けろと、運命はそう言うのだ。


 せめてこの炎の中で、あの憎い二人を焼き尽くしてくれたこの炎の中で死ねたのなら、どれ程気楽な事だっただろうか。けれど炎は、人を殺した大罪の鬼を殺す事など出来なかった。



 あぁ、それは、なんとも。



「……酷い話、だなぁ」









 ――逢魔シンは、自らが血濡れた鬼に見える。











 ◇ ◇ ◇











「――っ、ぁ」


 最悪の目覚めだった。


 荒い呼吸のままに目を見開いて、その天井がよく知る教会の一室のソレである事に一先ずは安堵を覚える。今のビジョンが夢であった事に安堵して、額に浮いていた汗を片手で拭った。

 枕元の時計に表示されている時間は午前五時過ぎ、起きるには少々早めだが、神父様やシスターはもう起きているだろう。別に起きてしまっても特に不利益はない。


 上半身を起こせば、天井まで頭スレスレだ。天井もそう高くはない上に二段ベットなのだから仕方ない事なのだが、そろそろ寝場所の移動をシスターに申し出ておかないとな、などと考えつつ、ベッド端の柵から身を乗り出して、木製の梯子に足を掛ける。

 義兄妹達はまだぐっすりと眠っているようで、彼ら彼女らを起こしてしまわないよう、慎重に寝室を後にした。


 窓から朝日の差し込む廊下を渡って、中庭に繋がる扉を開ける。いくらか横の棚に仕舞われているスリッパの内の一つを履いて、庭の端にある井戸へと向かった。


「……?あぁ、シン。おはよう、今日は早いんだな」


「おはようシスター、変な夢見ちゃってさ。今から寝直すには微妙な時間だし、起きちゃおうかなって」


 先に居た若干男口調っぽいシスター――本名を有馬ありま智代ともよという名だそうだ――は、神父様の代わりにこの教会で児童養護施設の主として暮らす、シン達にとっては母親の様な存在だ。

 元々は格闘技をやっていたらしく腕っ節がめっぽう強いし、怒るとそれはそれは恐ろしいので、シンと同じくここに暮らす子供達は彼女に誰一人逆らえない。一応立場的には彼女より上の筈の神父様の方がまだ怖くない。


「それより、シスターもどうしたの?この時間はまだ朝のお勤めじゃなかったっけ」


「早めに起きて終わらせたんだ、今日は少し出かける用事があるからな」


「ふーん……」


 何かあっただろうか、と昨日見たカレンダーの記憶を掘り返してみるも、特に何かがあった覚えはない。急用か何かなのだろうか、などとぼんやり考えながら桶に貯められた水で顔を洗った。


 シスターが差し出してきたタオルを受け取って礼を言い、それで顔を拭えば、ポンと頭に手を置かれる感触があった。


「そういう訳だ、シン。昼頃には帰ってくると思うが、他の子達の事を頼むぞ。最年長はお前なんだからな」


「……ん、ぐ……!シスター、痛い痛い」


「おぉ、悪いな」


 ケラケラと笑って手を離す彼女に少々不満を抱きながらも、手に持ったタオルを井戸横のタオル掛けに戻す。視線を戻せばシスターは既に肩に大きめの鞄を下げており、出発準備は終えられているようだった。


「……行ってらっしゃい、気を付けて。シスター」


「うん、行ってくる。ありがとう、シン」


 そう言って庭の裏門から外へ向かうシスターに手を振れば、彼女もまた答えて手を振り返してくる。姿が木々に隠れて見えなくなった辺りで、何やら背後から視線の様なものを向けられている事に気が付いた。

 気になって振り返ってみれば、ついさっきシンが出て来た扉からこちらを除く小さな人影を見つける。隠れる必要もないというのに引っ込んでいるその仕草から簡単に誰なのかが予想出来て、苦笑しつつシンはその人物へと呼び掛けた。


「マナ、もうシスターは出たよ。おいで」


「……ほんとに?もう居ない?」


 そう不安そうに顔を出して来たのは、シンの一つ歳下にあたる少女だった。

 夏目なつめ真奈まな。シンがこの児童養護施設にやってきた丁度一ヶ月ほど後に家族となった子であり、運悪くもシスターがお怒り心頭の現場に直撃してしまった子でもある。無論、彼女が何かをやったという訳でもなく、他の子達の内数名が怒られてしまっていたというだけなのだが、幼い彼女にとっては大変ショッキングだったらしい。


 今でもこの通りちょっとしたトラウマとなっているようで、シスターに「私はマナに怖がられてしまっているのか……?」と相談される事もしばしばあった程だ。マナがシスターと対面する時は大概の場合、シンも連れ出されるのがお決まりのパターンとなっている。


 パタパタとスリッパを鳴らして駆け寄ってくるマナに「おはよう」と声を掛けて、井戸の前の洗面所の場所を譲る。マナもまた挨拶を返して桶から手で水を掬い、ぱしゃりと顔に掛けて顔を洗い始めた。


「マナも今日は早いね、どうしたの?」


「……んむ。さっき起きたらね?シン兄が居なかったから、びっくりして」


「っとと、ほら、先に顔拭いて」


 びしょ濡れの顔のまま話しだそうとするマナに、慌ててタオルを引っ張り出して顔を包んでやる。痛くない程度に優しく顔を拭ってから少し乱れてしまった髪を軽く整えて、服の襟を正した。


「……ん、ありがとシン兄」


「はい、どういたしまして。僕はちょっと変な夢見ちゃっただけだから、大丈夫だよ」


 タオルを戻しながらそう言って、教会内に繋がる扉へと戻る。マナがパタパタとその後に続いて、シンの服の裾を遠慮がちにちょこんと握った。


「今日はシスター用事あるらしくって、昼までは帰ってこないんだ。悪いんだけど、朝ごはんの用意を手伝ってくれるかな」


「うん、分かった。皆はまだ起こさないでも良いの?」


「大丈夫、今起こしても皆眠いだろうしね」


 スリッパを脱いで棚に戻し、マナの分も一緒に仕舞う。少し長い廊下を歩いて食堂に向かえば何やら良い匂いが漂ってくるので、キッチンの裏を覗き込むと、IH調理器の上に大きな鍋がいくつか置かれていた。

 横には書き置きがあったので目を通すと、どうやらシスターが既に朝ごはんの用意は済ませてくれていたらしい。味噌汁の良い匂いが、自然と空腹感を強めてくる。炊飯器も既に保温状態に移行しており、ご飯は炊きたてのようだった。


「マナ、食器をお願いしても良いかな。俺はご飯を混ぜておくから」


「分かった、いつもので良い?」


「あぁ、一気に持ってこなくて良いからね」


 奥の部屋の食器棚へ向かっていくマナを見届けてから、カパッと炊飯器の蓋を開く。人数が人数故に少々一般のものよりも大きな炊飯器だが、もう何度もやっているせいでこの程度ならどうという事はない。

 もうもうと立ち込める湯気も気にせずにしゃもじをご飯の端に差し込んで、ぐるりと周囲を一周させる。下の方から切るように混ぜて、端に残った米粒は可能な限り削ぎ落とした。


 ふぅ、と一息ついて額をぬぐい、一先ずはこれで良しと蓋を閉じる。水を溜めたカップにしゃもじを戻してぐるりと肩を回せば、ふと調理台に置かれている手鏡が目に入った。


「……っ」


 そこに映っていたものを見て、シンは小さく顔を歪める。なんということはない、ずっと前から何度も見てきたものだ。今更どうこう言ってどうにかなる話ではないとも分かっている。だが、それでも気にせずにはいられなかった。


「シン兄、食器持ってきたよー……シン兄?」


「……ん、あぁ、ありがとうマナ。助かった」


 取り繕うように笑顔を浮かべて、彼女の持ってきてくれた数種の食器を受け取る。その内人数分重ねたお椀を持って鍋の近くまで行き、味噌汁を注ごうとしたところで、シンはふと気になってマナに問いかけた。


「なぁマナ。僕のここ、何か付いてないかな」


 そう言って彼が指したのは、己の額だった。少し長めの前髪を掻き上げて、自分のおでこがよく見えるようにする。だがマナはその質問の意味がよく分からなかったようで、こてんと首を傾げた。


「何にも着いてないよ?」


「……そっか。ありがとう、分かったよ」


 そうして笑顔を浮かべ、一先ず自身の分とマナの分だけ朝食の用意を進める。考えないように、目を逸らす様に、マナと会話を挟んだりと、気を紛らわせる様に繰り返した。

 しかし、再び鏡はシンに突き付ける。彼にしか見えない、そのおぞましい姿を。


 紅の瞳に、鋭く伸びた牙。鋭利に尖った爪に、歪な形の耳。そして何より、額から伸びる大きな二本角。


 ――その様はまるで、御伽噺に出てくる様な、地獄の悪鬼そのものだった。




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